言葉のリハビリ場

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初詣とおみくじ

 

お正月と言えば初詣、初詣と言えばおみくじだろう。おみくじにはいろいろ作法があるし、いろんな習慣があるので一概に言えないが、私の場合は新年のこのタイミングにだけおみくじを引くことにしている(もちろん例外はある。出雲大社に行ったとかそういう場合なんかは2回目だろうと引く)。
と言っても、そんな大層な信念やら信心やらに基づいているがゆえのことではなく、ただなんとなく何度も引くのは何だか負けた気がするというだけの理由だ。

さだまさしの「飛梅」の歌詞にこんな一節がある。


  手を合わせた後で 君は神籤(みくじ)を引いて
  大吉が出る迄と も一度引き直したね
  登り詰めたらあとは 下るしかないと
  下るしかないと 気付かなかった 

とまあそういうこともあって、大吉がでたらでたでそれはひと喜びしてそれで良し、それ以外が出ても引き直したりせずに受け入れよう、と。そういうわけである。
もっとも、このところはずっと吉とか小吉、末吉なんかが続いていて、引いた時のリアクションをどうしたらいいのか難しいので、たまにはどちらかに振れた者が出てくれてもいいと思う。


このおみくじの「大吉」や「凶」らの出る確率というものは、その神社によってかなり差があるものだ。ここ10年くらいで毎年初詣行っている神社(電車で15分のところ)は、わりと大吉や凶といった極端なものは比率が低い。わりとオーソドックスなタイプだと思う。最近では凶なんかは少なくしてあったり、さらには出さないといった神社もあるという。それだけおみくじの影響力は計り知れないものなのだ。

そういったおみくじの「信奉者」を追い込む「凶」や「大凶」比率の高い神社と言えば鎌倉の鶴岡八幡宮である。あくまで体感だが、あそこはかなりおみくじの内容が「厳しい」。かくいう私も大凶を引き当てたことがあるのは鶴岡八幡宮においてのみである。書かれている内容も結構厳しくて、吉や中吉でもチクリと警告を入れるような文が載っていたりする。新年早々気を引き締めなさいよ、というタイプのおみくじだ。知らずに引いたら結構びっくりする人もいるだろうし、そういった所でもあっさり大吉なんかを引いてしまう猛者も存在する。そういう人が運がいい人というのだろう。私だって出来れば大吉を引きたいけれど、ガチャを回す感覚でおみくじに挑んだって1つもいいことなんかないのでそれはやらないでおいている。


そんな厳しい鶴岡八幡宮だが、世の中にはこの真逆を行く、というか、おみくじの概念が少々変わっている神社も存在する。
近年足を運んでいないのでどうなっているのかわからないが、地元の有名な神社がそれだ。
そこは新春夢みくじと題して、おみくじの結果によって粗品をプレゼントしてくれるおみくじがあったのだ。まずおみくじを引く。大吉が出たら、プレゼント抽選に移ることができる。特賞はハワイ旅行とかで、それ以外にも電動自転車とか、ゲーム機だとかがある。
つまりおみくじはおまけなのだ。つまり、大吉を引くことができなかったらその時点でプレゼントをもらう権利はない。

これ、おみくじとしてはどうなんだろう。と思ってしまうのだが、実際問題子供の頃はずっとそのおみくじを引いていた訳だから、まあ別にいいんだろう。システム上、大吉の確率は非常に高かった(体感4割くらい)し、その上ちょっとした粗品をゲットできるチャンスがあると来ればやりたくなるものだ。神社で射幸心を煽ってどうするのだという気持ちは拭えないが、毎年あれを楽しみに参拝する人が沢山いたのだから、戦略としては大当たりなのだろう。

最近その神社に行かなくなったのはあまりにも初詣の参拝客が多くなりすぎてしまったためなのだが、今年くらいは様子を見がてら行ってみた方がいいのかな、と思っている。もう三が日は過ぎてしまうので、初夢みくじをやっているかどうかを確かめられないのだけれど。