言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

学生の休みの日

正月休みとかって、学生時代の方が圧倒的に忙しかったように思える。年末年始はたいていアルバイトだった。大みそかや元旦はさすがに行っていなかったが、ここは人出がものすごい薄い時期であるので、短い時間でもシフトを入れてくれと懇願された覚えがある。小売業は大変だ。需要があるかどうかで言えば需要がある。それも私の場合はドラッグストアで働いていたもんだから、開いていない病院の代わりに薬を買いに来る人がそれなりにいて、まあそれでは店を閉められないよね、と多少納得はできたものだ。それでもこういう営業時間やら開店閉店なんてのは店に権限はなくて、最終的に上の方で「開けろ」と言ったら開けるしかないから小売りは大変なんだ。
大抵昨年の同月からどれくらい売り上げが伸びたか、で評価されるわけだから、一度年末年始の通し営業を行ってしまうともう元には戻れなくなってしまう。店舗単位ではどうにもならないから、大本営で一斉に休業を宣言でもしてくれないと大手を振って休むことなんてできないわけである。
世に言う「ブラックバイト」というやつはこういったタイミングで大学生なんかを店に縛り付けようとする。私のアルバイト先は決してアルバイトに対してはブラックではなかったので強要はなかったが、店長が不憫すぎて1月2日から店に出た事はある。結局こういうのって店長あたりとの信頼関係だよね、と思うわけで。扱いの悪い店長の時は言う事を聞きたくなくなるのも人間というもの。ならば逆もそうで、いつも良くしてもらっている店長のお願いは聞きたくなるものだ。

小売に限らず、製造業(とひとくくりにしていいのかわからないが一応まとめておく)の営業職なんかは、カレンダー通りに休みが貰えるとはいえ、休んだ分だけ平日に頑張らなければいけなかったりする。営業成績のノルマはまあ毎年同じような日数で行われているのでしょうがない点もあるが、毎月必ず80件訪問するだの何だのの余計なノルマを少ない日数でこなせと言われるのはアホらしい話だ。アホらしいけど本当にある話なのだ。
上記の例は特殊だとしても、休めば休むほど自分の首が締まって行くのは本当の話である。悠久なんて使ったらさらに同じことだ。マンパワーでなんとかしようとするとすぐに自分に覆いかぶさってくる。
長期休みは楽しみだけど、休みが開けた後が地獄だな、なんてのはきっと良くある話だ。悲しい。


この年末年始、ラーメンチェーンの「幸楽苑」が31日の15日から元旦いっぱいまで全店休業すると発表して話題になった。その告知の新聞広告も出た。

 「売上2億円を削ってでも、全店休みます」

手放しで喜べるわけではないけれど、こうして休む企業が増えてもいいと思っている。

働き方改革をしろと国に言われているから全員定時に退社しなさい(退勤とは言っていない)、とか、お前らが休んだおかげで下がった売り上げをどうするつもりなのか考えろ、とかそういうことじゃないんだよな。


そういえば、最近は大学の時間割もかなり休みを削って作られているそうだ。月曜日に祝日を集中させた結果、月曜日にある祝日は基本的に平日と同じように授業日としてみられるようになった大学は多いと聞く。GWなんかもそうだ。国民の祝日だろうと容赦なく授業日である。教授のお情けで休講になっても、1日1授業とは限らないので全員休みにしてくれない限りはやっぱり行かなければならないわけで。
文部科学省が授業のコマ数やらなんやらを定めているそうなのでそこが悪いんだろうけれど、そのせいで、シラバスには全15回と記載されていても、実際には11回しか授業スケジュールはない……なんてパターンはざらになってしまっている。公式資料には建前のコマ数、でも実際はその通りには行わない。だいたい半期に15回本当にやろうとカレンダーに当てはめたら補講が3回くらい必要になるとか馬鹿みたいな話もあるし、これはこれでかなり形骸化しているものだとはっきり分かってしまうものになっている。
ようするに制度を作ったりしたおかげで最終的に授業を行う個々人の裁量に任されてしまっていて、学生はそれに振り回されるという事になるわけだ。

年末年始や休みの日はアルバイト、祝祭日は授業、就活も早まったり長引いたりで、もういつの時代も意外と大変なんだな、と思わされるわけである。