言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

紅葉の季節

そろそろ紅葉の季節になったわけだが、紅葉という奴は「旬」が難しい。というのも、紅葉の季節になったなんて悠長な事を言っている私はもう2週間も前に紅葉を見に出かけているからである。
その2週間も前に紅葉を見に行ったのは栃木県は日光である。日光とはいっても、市街のほうはまだ全く紅葉するそぶりも見せておらずまだ早かったかと不安になったほどだ。だがいろは坂に差し掛かったあたりから葉が色づき始めており、中禅寺湖のあたりまで達した頃にはすっかり色づいていたわけだから、紅葉という奴はかなり標高の要素が大きく影響するわけなのである。

さて、極めて平地である我が家の周辺は、12月間近になってようやく紅葉の最盛期を迎えた。なんだかんだ言っても例年これくらいの時期である。小さい頃は紅葉と言うと秋のイメージが強かったが、実際には12月に差し掛かってもまだまだ葉は落ち切っていないので、言ってみれば晩秋から初冬のものであると言ってもいい。だから紅葉はしばしば季節外れの雪との競演を見せてくれる。関東平野に位置する我が家ではめったに見られない光景だが、例えば北海道などではよくある光景らしい。言われてみれば北海道ではもう雪が積もっている。2年前はそれと同じようなことが関東でも起こった。11月に雪が降ってしまうと紅葉と雪が同居することになる。一瞬季節感を失ってしまうが、実際季節としてさほど間違った光景でもないのでますます混乱してしまう。だから面白い。子供のころに付いたイメージと言うのはどうも強いものである。他にもたぶんそういう事はいくつかあるような気がする。


私は紅葉している様を眺めるのも好きだけれど、それ以上に落ち葉と言うものが好きだ。特に桜の木の落ち葉は赤や橙、黄色で色づいていてとても綺麗である。あのうず高く積もった落ち葉を踏みしめる感覚や音は何とも言えないし、しばらくたって湿った落ち葉のあの何とも言えない鼻孔をくすぐる匂いもまた良い。
この季節になると桜の名所やそういった公園に出かけたくなるのはそのためだ。歩いているだけで楽しくなるし、なんだかいろいろ考えたくなる気分にもなる。落ち葉と言うのは楽しいだけではない。桜の花を見ている時と似たような、滅びの美学のようなそんな感覚さえ抱かせる。色づかなければ散っていかないけれど、いつまでも盛夏のように青々としているわけにもいかない。だからかどうかはわからないが、葉の一枚一枚がとても綺麗な色になって散っていく。虫食いがあったり、欠けがあったり、それもまた良い。発色の良いものからそうでもないものまである。中には色づく途中で雨に打たれたか、風に吹かれたか、半端な状態で散っていくものもある。
楽しくてでもどこか切ない気持にもなれる。それが紅葉であり、落ち葉の季節である。
だから私はこの季節が好きだし、日常の中にさらりと挿入される景色として感じられるのがとてもいいと思っている。

ただ私が好きなのは基本的に広葉樹の落ち葉である。銀杏の木は遠くから見るのはとてもきれいで良いが「ぎんなん」のあの臭いはどうも慣れない。食べたらおいしいのはわかっているが、あの臭いだけはどうしても好きになれなくて敬遠してしまう。靴の裏なんかについてしまったら嫌なので、出来れば避けて歩きたい。
綺麗なので卑下してしまって大変心苦しいが、どうかそれだけは勘弁してもらえないだろうか。