言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ご飯の「友」

白米に合うおかずを指して「ご飯の友」と呼ぶことがある。私の場合であれば例えばそれはイカの塩辛であったり、明太子であったり、さらに変わり種で言えば青南蛮の味噌漬けであったりするわけだ。
これだけあればご飯が食べられてしまう、と言うようなものであり、大抵塩気の強いものである。
だから単独で食すことはなく専ら白米を持ってして消費していくわけだから、その消費スピードと言うのは速いようで意外と遅いのである。
流石に偏った食生活になりすぎるので、私と言えど毎日毎食同じものを食べるのはやめているからだ。週7日のうち5日は食べていたりするけれど、それはまあお弁当の梅干しとかそういうものだと思って分かって欲しい。

でもって悩みとは、そんなご飯の友が何かの拍子に、同時に集まってしまった時の処置についてなのである。イカの塩辛や明太子と言うような海産物系のものは、いくら漬物であるとはいえ開封したら1週間くらいで食べきりたいものである。普通なら毎日とは言わずとも高頻度で食べるから問題はないが、2種類3種類とご飯の友が重なるとそのペースがぶれてしまい、変にもてあましてしまう結果となる。
かといって、贅沢に! なんてことで全部同時に食べてもいいが、それはさすがに塩分の取り過ぎであるし、つまみとしてお酒と一緒に食べるとしても限界と言うものはある。
まあこれは嬉しい悲鳴と言う事でもある。納豆なんかは結構日常的に食べるわけだが、本当におかずがない時は毎朝納豆と言うこともある。別に嫌ではないが、続きすぎるとそれはそれで微妙な気持ちになる。そう言った状況からすれば、ご飯の友たちで溢れる状況というのはとても素晴らしい状況なのである。ご飯とおかず。この組み合わせが至高であり、幸せである。身体によくないと思ってもなかなか量を減らせない。白米を食べ進める飛び道具、それがご飯の友である。気をつけないと際限なく食べてしまうから。そうでなくても大盛りとかそういうのは控えてるのに、明太子食べ放題の店に行ってご飯をお代わりしていちゃわけないのだ。

また、最近は旅行に出すぎているので、最近あまりお土産をたくさん買ってくるような事は減ったが、そのぶん、珍味を買ってくるような事は非常に増えている。買ってくるし、ご飯の友好きは知られているのでありがたくもいただいたりする。
西伊豆に行けば鰹の塩辛を買うし、仙台に行く人あれば青南蛮の味噌漬けを頼むし、飛騨に実家のある知り合いは「めしどろぼ漬け」をたまに送ってくれるし、大洗のめんたいパークで直売の明太子を仕入れて来るし、小田原のまいたけ漬けがあったと連絡が来る。
嬉しい。非常に嬉しい。今のところ血圧とかが特に問題ないからいいけれど、そろそろ炭水化物の方は減らさなければならない時が来ている。でも食べたい。制限すれば、解き放たれてしまった時が怖い。だから出来るだけ少しずつバランスを見て、でも気にしすぎず、とりあえず食べて過ごすほかあるまい、と都合よく結論付けているのである。馬鹿なものだ、と10年後の未来の自分が言うだろうな。ごめん。

夜景と山登り

夜景を見ようと思ったら、高いところに登る必要がある。さらにそれは当たり前だが夜でなくてはならない。例えば都会ならばそれは東京タワーとかそういう所に登ればよいわけだが、必ずしもそれだけが夜景スポットではないだろう。

例えばそう、山の上。山頂展望台というのは昼間の眺めも良ければ夜景観賞スポットとしても有名である場合が多いのである。
山と言っても、高さがある場合はそれこそ「登山」となるわけだが、そこまでして登る山は流石にハードルが高いので、自然と昼に普通に登れるような山つまりほぼ丘のような場所に出かけるのが一番簡単、となるわけだ。
だいたい富士山だとかそういう高い山は夜景ではなく、その先の日の出つまりご来光を拝むべく夜に山に登るわけで、そもそも目的が違う。

しかしまあ、夜の山登りは怖い。
まず人がいない。当然だ。夜、暗くなってから山を登ろうと思う酔狂な輩は少ない。大抵山登りの序盤は森林浴みたいなものなんだから、夜は明かりなんて一切ないし、月明かりすら入り込んで来ないようなうっそうとした森の中を少しずつ登っていくような場所だったりする。近くでごそごそと音を立てるのは何か小動物だろうか。そんな事をを考えながら、ライトで足もとを照らして歩いて行くわけだが、その過程に恐怖を覚えるのは自然な事だろう。足もとが舗装されているわけではないし、ガードレールがあるわけでもない。昼間は落ち葉で覆われた道というのは何とも良い雰囲気を醸し出しているものだが、夜となれば滑ったりつまずいたりしないかと不安を増大させる要素の一つにすらなりうる。
実際、こういった場所では滑落等の危険があるため、夜の登山は遠慮するようにと看板が経っていたりする。それはあくまで昼間も含めて登る人が多いような山に限定されていたりするのだけれど。

だから1度明るいうちに登ったことがある。運の悪いことに6月の一番日が長い時に登ってしまった。そうしたらすっかり暗くなるまで4時間くらい掛ってしまってびっくりしたもんだ。天気もいいし眺めもいい。だからこそ遠く水平線まで見えるのでなかなか日が暮れてもなお遠くがうっすらと明るいのだ。

私はああいう橙から群青に移り変わる空の色が好きだからずっと見ていられたが、夜景を撮影しに来たカメラマンとしてはなかなか心中察するものがある。

夜に限らず高いところから見る景色はとても好きだ。それでもやっぱり夜景は特別。
だから例えば函館山の山頂とか、姨捨のSAだとか、そういう、歩いて登らなくて済むようなところにも出かけるのだ。でもどうしてかたまに、足を使って登りたくなってしまう。何故だろう。

夜景には不思議な魅力、いや、魔力がある。

ブログとかそういうもの

ブログって結構、続かないものだと思う。かく言う私もブログは3回くらい、さらに遡ればあの懐かしの「Yahooジオシティーズ」なんかでHPを作ってみたりもしたことがあったけれど、今はすべて闇に葬られている(探せば1つくらいは消していないのが出てくるかも知れないけれど怖くて見れない)。
だいたい続かないものなのだ。

初めてネットに何か文字を残そうと思ったのは、当時書いていた小説の公開場所が欲しかった、という事情がある。だからブログというよりは創作を連載するような、そんな事がしたかった。そんな時知り合いが教えてくれたのが「Yahooジオシティーズ」というHP作成が割と簡単に出来るサイト。遠い昔ホームページビルダーで父の作ったHPを装飾していた思い出と共に、勢いで作ったのがそのページだ。
結局物語は完結してないし、相互リンクを貼って友人と外部に開かれてない、サイト内の掲示板なんかで遊んだりしたけれど、いつしか飽きて忘れ去られていった。「Yahooジオシティーズ」が今度なくなると聞いて、あのページ(もうurlを忘れて入ることすらできない)もなくなるんだな、と少し寂しくもなるなどした。

今でもあるかもしれないけれど、あのメールにブログの本文を書いて送ればそのまま投稿される機能のあるブログってあったよね、と今更思いだす。将棋のプロ棋士佐藤紳哉七段が、昔ブログと間違えて知り合いの女性にひたすら日記を送り続けていた……というホントかウソかわからないエピソードに登場するあれである。
上手くめぐりあっていたら少しは違ったのかもしれないなあ、なんて思うのはやっぱり手軽さだろう。
ブログ更新はその昔はとても面倒くさいものだった。
原因はいくつかある。1つは使っていたのがガラケーだったことで、PCからだけ更新できるものだったから。もちろんガラケーでも出来るものではあるのだが、私自身のネット環境がPCにしかなかったということだ。写真はデジカメかガラケー。それを取り込んでアップロードして貼り付けて……というのはやや面倒だったし、また文字を大きくしたり色を付けたりなんてのも面倒になる原因だった。スタートダッシュで頑張りすぎたのがもう1つの原因だと思う。間違いない。こだわりすぎると後から苦しいのだ。

時同じくして流行り出したのがTwitter。当時環境としてPCしかなかった私だが、あれよと言う間にハマってしまった。今でも当時知りあった古いフォロワーとはかれこれ7年くらいの付き合いになると思うと驚かされる。一緒にコミケに行ったり旅行したり飲みに行ったりできるような人と出会えるとは思ってもいなかった訳で、そう考えると面白い。

話が脱線したが、つまりTwitterが便利すぎるという事なのだ。時代も味方した。スマホ時代において写真を取る、文字を書く、投稿する、ということが簡単に出来るようになったのだ。
そのせいか知らないけれど、一時Twitterのつぶやきが一定数溜まったらまとめてくれる機能のあるブログなんてのもどっかであったなぁ、なんて思う(使ってる人は見たことがない)。

だから、あえてブログで日常の呟きなんてのはしなくていいと思っている。ここはただ思いついたことを書き連ねる場所。それでいいんじゃないかな。
日常の時系列のつぶやきはTwitterに任せて、ここでは140文字で収まらないような言葉を書こうかな、と。

 

※そういえば、これまで特にどこにも流してなかったのに、なぜか今までじわじわアクセスがあった記事がこれ。

fwbc0416.hatenablog.com

なんでだろう。


あとこの記事に関連して、後輩のSくん、質問箱に俳句投げまくってごめんね。

Blue-ray Disc

ブルーレイディスクがPCで再生できないと気が付いたのはつい先日のことだった。
もう既に2つのテレビシリーズ、1つの映画作品のブルーレイを所持しているのにも関わらず全く気がつかなかったのだが、どうも私の使っているPCにはブルーレイを再生できるソフトがなかったらしく、新しく届いたブルーレイを挿入していざ観よう! という時に初めて気が付いたのだ。再生ソフトがない、と。

Windowsの固有の再生ソフトである「Windows Media Player」は全く対応していないのは想定内であったので、さっそく何かソフトを導入していなかったものか? と捜索にかかる。そうすると、変な拡張子の動画を再生すべく頑張った時の残骸のようなフリーソフトがいくつか出てきた。

だがどれを試してみても、再生できない。バージョンが古いのか? と新しいものを探してインストールし直したがどうもそうではないらしい。
試行錯誤の末この日は一旦投げ出す。ブルーレイ対応のTVがあるのでそれで見ればまあ別にしばらくはいいか、という思いもあって、Twitter上で「しばらくテレビを使って観る」旨の書き込みをした所、某社からリプライが飛んで来ていたのを翌朝確認する。

どうも、ブルーレイ再生用のフリーソフトがあるらしい。なるほどそれなら試してみようか。
さっそくダウンロードののちインストールする。ただサイトそのものも外国仕様だし、どうも胡散臭い。というかただ再生したいだけなのに「リッピング」とかそういう単語がちらちらと出てくる。ああ、そういう類のソフトなのか? 例えばDVDをデータごと引き抜いてMP4あたりに変換して、スマホとかで同期することができますよ、とかそういう。個人で楽しむ範囲とか書いてあるけれど、実際レンタルDVDとかからも出来てしまう仕様らしく、webへの再度のアップロードだって特に制限もついていないから、正直これどーなの? という代物であるのは確かなようだった。

んで、まあうさんくささは感じながらも使ってみたところ、やっぱり観ることはできなかった。再生はできたんだけれども、どうも映像が乱れに乱れる。

というか、Twitterに投げて、フォロワーでもなんでもないメーカーからリプライが来るところまでは理解ができるけれど、犯罪すれすれというかかなりグレーなソフトをあたりかまわず進めてくる会社ってどうなのよ。

そんでだって、再生できないんだもん、ブルーレイ。
聞けばAACS(コピー防止の仕組みのようなもの)の解除キーがないとのこと。そらそうよ。リッピング推奨のフリーソフトだもの。そりゃ音は再生できても絵が乱れるわけだ。
安物買いの銭失い。まあフリーソフトなんで金は払ってないけれど、時は金なり、と言うわけだし。

結局、WinDVDというPCに標準装備されていたソフトの最新版を買うことにした。4千円くらいしたし、もっと簡単に観られる方法もありそうだけれど、もう疲れてしまったのでお金で解決することにした。

ブルーレイってのは綺麗なんだなあ。あっさり再生できたし、変にこねくり回さずにすんなりお金を払った方がやっぱりいいこともいあるんだね。

 

油そば

ほんのつい最近まで、油そばと言う食べ物を食べたことがなかった。もちろん存在は知っていた。けれどもどうにも手が出なかったのである。

ラーメンは好きである。非常に好きである。好きすぎるがゆえに、つけ麺に手を出すのが遅くなったほどだ。油そばも全く同じだ。週に数回ラーメンを食べるがゆえに、他に手を出す気にあまりならなかったのだ。その選択肢につけ麺が加わったのはここ5年くらいの話だ。食べてみて結構うまいじゃん、なんて思ったのがきっかけでラーメンとつけ麺が並列した選択肢になった。

食わず嫌いをしているわけではない、と思う。嫌いだと言った覚えはないし、たぶん美味いんだろうな、とは思っていた。しかしどうも選択出来ない。
冒険したい気分の時は期間限定メニューに挑戦するが、そうでないときは「〇〇屋の〇〇を食べよう」と店に来ているからか他のものに手を出すことはあまりない。そういった性なのだ。店を開拓するのも好きだが、あくまでそれは常用したくなる店を探しているわけである。ここに通いたいな、と思えば本当に通うことになる。だから毎日新しい店に……とはなかなかいかないわけだ。

そんなこんなで油そばにはとんと縁がなかったがために、最近まで食べたことがなかったわけだ。

足を運ぶことになったきっかけは至極単純であった。「油そばは食べたことがない」と何かの拍子にポロっと漏らしたら、じゃあぜひ食べよう、美味い店が近くにある、となって連れて行ってもらったわけだ。当初の「美味い店」とは違う店にはなったが、とうとう重い腰を挙げて油そばを初めて体験するに至ったわけである。

油そばとは要するに汁なし麺だ。一応ラーメンの一種であるらしい。酢やラー油を自分で掛けて、麺や具を全部混ぜて食べる。
それだけを聞いて「どこかで似たような物を食べたことがあるな」と思い至る。たぶん香港行きの国際線の機内食だ。ただしあちらはタレと言うよりはあんかけと言うか具と言うかそう言うものがかかっていて、それを混ぜて食べるものである。なるほど混ぜて食べる麺類とだけ聞けばハードルは低い。たぶん美味しいに相違ない。

とここまでひたすらにハードルを下げまくったものの、実際食べて見たらそんな心配は杞憂であったとわかる。普通に美味い。どこかジャンクだが、実に食べやすくて良いのである。酢の加減とか、ラー油の量とかそういうものがよくわからなくて適当に入れたのだがそれだけで美味かったのだから、油そばとは実に美味い食べ物なのだな、とやっとここにきて理解をしたのである。

困ったのは、油そばが食べられる店が家の近くにないことだ。職場とかの近くにあるかどうかはまだ調べていないのでわからない。通っていた大学の近くには何軒かあるらしいので、もう少し早く出会っていればよかったのかな、なんて今更思ったりもする。
なにはともあれ、ラーメン、つけ麺、そして油そばと新たな選択肢がここに加わったのである。

 

美味いは正義。

パン屋と旅行と


普段の生活ではパン屋を利用する機会と言うのは結構想像しやすいだろう。朝ご飯が食パンの過程であれば定期的に購入するだろうし、例えばちょっとした休憩用としてカフェスペースを設けているような店舗であればそういった利用方法もある。総菜パンなんかは昼食代わりに購入したりもする。かくいう私も土曜日か日曜日は総菜パンの買い出しに出かけて昼食とするわけであるから、それなりにパンを食べているに違いない。

では、旅行中はどうであろうか。
よく考えて見ると、旅行中にパン屋に入るシチュエーションがほとんど思い浮かばないのである。入ったことがないわけではない。旧軽井沢のメインストリートに店を構える浅野屋という有名なパン屋に入った事はある。私は何も買わなかったが、他の同行者はなにか買ったりしていた。もっとも、これは店の名前が「浅野屋」であり、我々の同行者の一人が「浅野さん」だったからという要因は大きい。

もっとパン屋には光が当たってもいいと思う。というか当てればいいと思う。もっとパン屋に行けばいいのだ。私の場合では、たぶん一番行きやすいのは朝食の代わりだろうか。ビジネスホテルの朝ご飯というのも好きだが、連日続いた時の変わり種にはパンというのはぴったりだと思う。イートインスペースがなくとも、買って持って帰ってくることもできるだろうし。
おやつに食べるのにもいいだろう。イートインスペースがあった方が尚良いわけだが、それはコーヒーブレイクのついでにおやつとしてパンを食べればいいからである。小腹満たしにちょうどいい。

もっともよく考えて見たら今まででも食べないわけでは必ずしもないのだ。例えばパン屋ではないが、軽井沢に行けば腸詰屋でホットドックを食べたりするし、先日宇治の黄檗駅前で入ったパン屋は、あれは完全に聖地巡礼目的で行ったのだけれろも、作品の中とまったく同じものを買って食べ歩きをしたりした。理由があればちゃんと行くのだ。

海外旅行であれば話は別なのか……? と思ったりしたが、よくよく考えるとパン屋にはほぼ行ったことがない。住んだ訳ではないからだろう。生活すれば朝ご飯用だとか夕飯用だとかに都度パンを買う行為が発生するわけだが、外食はしてもパン屋に出かけてパンを買った経験はほとんどない。あえて挙げるとすれば、ハワイで朝食代わりに購入したベーグルサンドだが、あれはパン屋だったかと言われると微妙だ。

強制されえいるわけでもなんでもないのだが、これからはもっと旅行中にパン屋についても考えて見ようと思う。有名なパン屋を探していくのもよい。ある意味名物を探してきたようなものだろう。もっと柔軟になる必要があるのだ。だから危うく食事難民になりかけるのである。探した末見つからずコンビニに行くくらいならば、選択肢を広げればいいのだ。駅弁を買いに駅に戻るのもいいがせっかくならそこでしか食べられないものを探そう。

味噌汁賛歌


味噌汁が好きだ。味噌汁なら何でも好きだ。豆腐とわかめのあの朝ご飯に出てきそうな味噌汁でも、飲み会の最後にシメで頼んだ焼きおにぎりと一緒に出てくるみそ汁も好きだ。飲んだ後に呑んでもそうでなくても好きだ。とにかく味噌汁が好きだ。

料理という面でも味噌汁はやり直しがきくからいい。味噌を溶く時に何度味見をしたっていいじゃないか。味が薄ければ味噌を足せばいい。濃ければまああんまりやりたくないけれど水を足すこともできる。

出汁のばっちり取れている味噌汁が好きだ。そうでないのでもいいけれど、出汁の味がする味噌汁はとてもおいしい。鰹節がある程度残っていてもそれはそれで構わない。すくうの大変だし。そう言う意味ではパックになっている奴は便利だ。いつも使うのが福岡で有名な茅乃舎だしだけれど、あれはパックになっていて取り出しやすいから好きだ。高いけど。博多駅のお土産コーナーの端っこに店舗があるので気になる人はぜひ寄ってみて欲しい。出汁の飲み比べが出来て楽しいから。

味噌汁は良い。納豆を食べている時に味噌汁の存在はとてもありがたい。味噌汁には納豆のネバネバを弱める成分が入っている。だから納豆を食べた後に味噌汁を飲めば粘り気が多少取れるわけである。そもそも味噌も納豆も同じ大豆なのに面白いもんだ。味噌汁の中の豆腐も油揚げも、納豆にかける醤油も大豆だし納豆定食と言うのはイかれている。でも美味い。おかしなことやっとる。

インスタントみそ汁もすごい時代になった。セブンイレブンのあさりの味噌汁なんか、貝殻ごと入ってる。フリーズドライじゃなくて別パック。アマノフーズのやつは貝殻ごとフリーズドライされているのもある。あれはしじみだけれどすごいのはすごい。そして美味い。
どうでもいいと言ったら失礼だが、ボタンひとつで味噌汁を作れる機械が外食産業にはよく登場する。松屋にあるあれだ。あれはあれで美味しいけれど、たまに生味噌が切れているのかお湯のような味噌汁が出てくることがある。色だけ茶色のお湯はひどく空しい気分になるから出来れば飲みたくない。
普通に出てくる分には汁物の存在と言うのはひどくありがたい。汁物であり、味噌汁はおかずにも成り得る。そう言うところが好き。お行儀は良くないけれど、一人だとこっそり、味噌汁にご飯を入れてしまったりする。誰も見てない時だけだから、良いよね。
鍋のシメにご飯を入れておじやにするのは誰も咎めないんだから、そう言うものだと思ってどうか一つ。

とんかつを食べている時に、豚汁が付いてくる店があるのは何でだろう。豚が被るじゃないか。かぶせるのが好きだなのかな。まあそれでも私は吉野家豚丼に豚汁を合わせるけれどね。

 

旅館のご飯が食べたい病

定期的に旅館のようなところでご飯が食べたくなる。もちろん泊まりで行った場合の話だ。たらふく食べても、たらふく飲んでも、そのまま遠くに向かったり家に帰ったりしなければならないのは少し面倒だ。

旅館はできれば港町がいい。白いご飯に味噌汁、に付け、お刺身、あとはちょっとした珍味みたいなものがあると良い。お酒も頼む。1人なら冷酒を1本くらい頼むのでちょうどいいくらいだろう。それを適当に、行儀がよくはないがテレビでも見ながらゆっくり食べるわけである。数人で行ったならばなんやかんやと会話をしながら食べるのが良いが、1人だと話し相手はいない。ぼんやりゆっくりしながら食事をするのもたまにはいいじゃないか、なんて思いながら食べ進める。
旅館の夕食は18時とかやや標準より早い時間で食べることができる。というか否かに行けばいくほど早くなるような気もしている。前に行った宿は17時半で自動的に食事が用意され、その15分前には部屋の内線電話が鳴って食事の準備がもうすぐ出来ると知らされた。ゆえに食べる時時間はとても長い時間用意されている。流石に民宿のせっかちなおばあさんも、いつ食べ終わるのかと急かしには来ない。だから私はゆっくりと、おひつに用意されたご飯が空になるまで3杯も4杯もお代わりして食べ進めて行くわけである。おかずも含めてなんとなくもったいないな、と思ってしまうからついつい食べ過ぎてしまう。港町のおかずはとてもご飯やお酒との相性が良い。塩辛あるいは酒盗に類したものがあれば最高だ。催行過ぎてそれだけでひたすらご飯が食べられる。夕飯でなくても、朝食でも同じだ。ご飯のおかずは正義である。何ならその日のうちに家に帰るのであれば、要冷蔵の品も工夫してお土産を買って帰るまである。

港町がいい、と言ったが、山の中の旅館というのもそれはそれで良いものだ。季節が良ければアユやイワナなんかの川魚を楽しむことができるし、山菜などの山の幸も良い。ジビエ料理なんかも最高だ。先日秋田県阿仁合という所で1泊したが、クマを使った料理を食べることができてとても良かった。ただこの地域は本当にクマのよく出るからこその「マタギの里」であって、備え付けの温泉の露天風呂は外から動物が入ってこれないように高めの壁に覆われていたりして面白い。や、面白い、じゃ済まないことにならないように何だろうけれど。
真夜中に入りに行ったら周囲に明かりもないし、背後の旅館の建物以外は本当に真っ暗で、こりゃあクマも出るわな、なんて思ったりもしたわけである。日帰り入浴客が多いからか露天風呂は夜も朝も貸切で、良い思いをさせてもらった。少々値は張るがまた行きたい場所の一つである。
山の中、それも秘境じみたところはこういった他にはない良さが見られるからこそ面白い。食事面でこれほどのアドバンテージはそうそうないだろう。

こうして文字に書き起こしているだけでも、口の中に唾が溢れてくるのを感じる。ああ、また食べたい。そのためだけに出かけたい。1度行ったことのある場所でも、そうでない場所でもいい。昼は適当に、それなりに観光でもして、早い時間に昼飯も済ませて、万全の状態で宿に向かうのだ。温泉なんかがある宿もまたよし。食後、酔いがさめるまで待つ時間だってたっぷりとある。部屋に少しお酒やつまみを用意していて、風呂の後にまた1杯やるもよし。

ああ、美味しいご飯のためられる宿に行きたい。ハイシーズンじゃない、なんでもない土日に、ふらりと出掛けたい。

青南蛮の味噌漬け

青南蛮の味噌漬け、と聞いてピンとくる人がどれだけいるだろうか。仙台名物牛タンの付け合わせに出てくる、あの辛い唐辛子の味噌漬けのことである。
かくいう私の大好物だ。

そもそも私の好きなものと言えば白いご飯のお供である。例を挙げるなら、イカの塩辛だとか、辛子明太子だとか。これがあればご飯がいくらでも行けるな、と言うものが好みである訳で、青南蛮の味噌漬けもその中の一つである。

当然だが、唐辛子であるゆえに、辛さはかなりのものだ。少し咀嚼しただけで、口の中から熱くなるような感覚に襲われる。物によっては「口から火を吹く」というような表現ができるほど辛いものもある。その上で味噌漬けになっているから塩辛くなっていて、ご飯とよく合うわけである。ピリっと辛くて味噌味の塩辛さ、ご飯に合わないわけがない。

ところがこの青南蛮の味噌漬け、あまり人気があるという話を聞かない。それどころか、いらないという声さえ聞く。何人かで牛タンを食べに行くと必ずこれが苦手な人がいるくらいだ。私はそういう人から食べないならもったいないと譲り受けたことすらある。
どうやら青南蛮好きは割合に異端児であるらしい。

まあ味噌漬けになっているとはいえ、唐辛子を丸かじりしているようなものだから、普通ではないのは確かだ。私だって辛い物は得意ではない。でも味噌漬けならば行ける。白米と一緒に口にすればなんてことはない。確かに辛いけれど、顔をゆがめたりするほどではない。良いアクセントくらいに感じるのだけれど、どうもそうとは思ってもらえないようだ。なぜだろう。
思い当たる節はないこともない。青南蛮の味噌漬け、この食べ物はあくまで付け合わせとして出てくるわけだ。牛タンの付け合わせとしては、あまりに白米を「食って」しまうからどうしても印象が悪いのかもしれない。牛タンでご飯を食べようと思っているから、別のものにリソースを割く余裕がない。なのにこの青南蛮はたくさんのご飯を持っていく素質がある。とろろが一緒についているセットならばなおさらだ。青南蛮は他の漬物同様に、軽く口に放り込まれる。だが青南蛮は唐辛子そのものだからとても辛い。単品で口に入れたならなおさらだ。不意打ちのようにやられてしまえばそりゃあ印象が悪いだろう。付け合わせであるがゆえの悲劇である。構えていればさほどでもないものを。

だから、この青南蛮そのものをメインとして買おうなんて選択肢が生まれてくるわけがないのだ。発想すらないのかもしれない。事実、仙台駅構内で購入すべく探しまわってもなかなか見つからない。牛タンの店、例えば利休だとかそういう所に行かないと確実に手にすることができないのだ。だから牛タンを食べに行ってその場で買う。これが正しい入手法なのである。

言ってみればこれも部類としては「珍味」であるということだろう。知る人ぞ知る味。多くの人には気にとめられなくても、私はこの味のために牛タンを食べ、そして青南蛮の味噌漬けを購入する。細々とで構わないから、せめて生産中止にだけはならないように頑張って欲しい今日この頃である。

駅弁あれこれとシウマイ弁当

その昔、それはJRがまだ国鉄だった時代には、「駅弁」と呼べるものへ細かな定義が存在していたという。ご飯と魚(焼き魚)、肉料理、フライ、卵焼き、かまぼこ等一般的な総菜を使った幕の内弁当のような普通弁当、あるいはますのすしや鯖の押し寿司のような物を含めた、幕の内弁当以外の米飯の入っている特殊な形態の弁当(特殊弁当)のみをいわゆる「駅弁」と呼んでいたらしい。
米が入ってなければ弁当でない! というのもなんだか横暴な話であるが、当時は結構大真面目に定義されていたことであるようだ。その証拠に、横浜駅で買える崎陽軒の特製シウマイには駅弁マークが付けられていない。だってご飯が入ってないから。いくらこれとビールとで食事をするのだとしても決して駅弁とは名乗れなかったらしい。その名残か知らないがシウマイ弁当のおかずは、上で書いた普通駅弁に定義されているおかずのほぼすべてが入っているわけである。メインの特製シウマイ(シュウマイではない)、の他にまぐろのやけ焼き、厚焼き卵、かまぼこ、唐揚げなどが入っているのは、いわゆる普通弁当を意識した形になっている。その上で調理方法をひねったり工夫したりして、また筍の煮たものなど珍しいものも入れた工夫した作りになっているのだ。もちろん小さく駅弁マークも包装紙の右上に入っている。味やバランスもそうだが、シウマイ弁当は駅弁たるためにあえて幕の内弁当の形式にこだわったとみてもよさそうだ。

ちなみに現代では駅弁そのものに特に大きな定義はなく、例えばそばを楽しめる長万部の弁当とかも駅弁の1つとして見ても特に問題はない。強いて言うなら駅弁マークがついたものならばこれは駅弁なんだなと分かるという程度で、厳密にこうでなくてはならないなんて定義はなくなったも同然である。だってコンビニ弁当だってご当地色があったりする時代だし、こだわる必要は特にないんじゃないかな、と私は思うわけである。なんなら私は駅で売ってすらいない弁当を持ちこんで食べることもある。北海道新幹線で東京方面へ向かう列車に乗り込んで、函館駅前の棒二森屋ハセガワストアで買ったやきとり弁当をいそいそと青函トンネルへ突っ込んでいく車内で食べたりしたって別にいいじゃないか、と。シウマイ弁当のように定番中の定番弁当も好きだし、そうでないものを食べることもある。駅弁かどうかは正直気にしてはいない。

シウマイ弁当の良さは安定感だ。いつ食べても同じ味。同じなのに飽きない。それどころか旅や出張の定番としてよく食べる。野球観戦の時の定番ですらある(横浜スタジアムや東京ドームなどで野球版の包装のものが売られている)。
冷めてもおいしい俵型のご飯。シウマイ一つずつに丁寧に醤油を付けて、余った分はかまぼことマグロにも少しつけて食べる。箸休めの紅生姜と昆布もまた立派なおかずだ。シウマイはホタテだしを使ったうま味たっぷりの味付け。筍の甘辛煮もたまらない。おかずの真ん中に据えられた干しあんずは最初に弁当のふたに避難させて、食後のデザートとしていただく派だ。
マグロや唐揚げを含めても脂っぽすぎないから、私は朝早く新幹線に乗って旅立つ時の朝食としていただいたりすることがある。重すぎず、かといって軽すぎることもない。普段の朝ご飯でこんなにたくさん食べることはないが、シウマイ弁当はそんな役割もこなしてくれる。万能ベテラン選手といったところだ。

定義なんて固いこと言わないで、食べ散らかしたり、周りに迷惑をかけたりしないように、とかそういうマナー面の事を気にするくらいで、あとは何を食べても、どう食べても、そんなに上げ足をとってやるなよとそう言いたいわけである、私は。