言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

明日の朝ごはんがサンドイッチになった理由

 

最近のパン屋は、トングとトレーを取らなくても割と大丈夫だな、くらいに思っていた。何故なら、パンがすべて小分けの袋で包まれている状態であったからだ。
私の家の周りのパン屋はある時点から最近までずっとそうだった。全部のパンが小分けの袋入りか、あるいはプラスチックのトレーに入れられていた。コロナが流行してから衛生面を考慮してこのような対応をしたのだろう。おかげで、「トングを使ってパンを取ってトレーに乗せて、それをレジで包装してもらう」という流れはほぼほぼなくなっていたわけである。そしてイートインを利用する時なんかは逆に袋を取ってお皿に乗せてもらうという工程になっていた。いつも「逆だな」と思いつつ、別に私にとって不便はないわけでぼんやりとその工程を眺めていたわけだ。

それがついに今日、仕事帰りにパン屋に寄ったらば、かつてのようにパンがトレーの上にそのままの状態で並べられていたのを見つけてしまった。数年前までの当たり前の光景なので本当ならばなんてことのないいたって日常的なパン屋の姿であるが、見るのが久々すぎてちょっとテンションが上がってしまった。
今までずっと、パックに入ったサンドイッチや袋詰めされたパンは別に手で取ってもそんなに悪い事ないよな、でもまあ一応衛生的な観点から素手じゃなくてトングにしておくか……みたいに自分に言い訳のようなものをしながら、やや滑りやすい素材であるがゆえに必要以上に力を入れつつパンをとりあえずトレーに乗せ換えていた、そんな時間があった。それがなくなった、ついに! パンをそのままトングで取ってトレーに乗せて、レジで袋に入れてもらうんだ!
いやまあ冷静に考えれば大したことのない普通の行為なんだろうけれど、いつの間にか変わってしまっていた光景がまさか戻って来るとは、と思いがけず嬉しくなってしまった。
私は基本的に途方もない不器用人間であるためトングで直接パンをつかむときは変な緊張のようなものがあったり(特に他にお客さんが真横で待っていたりしたら)するわけだが、久々だと「ああやっぱりパン屋ってこうだよな」という感じがしてテンションが上がったのだ。

不思議なもので、袋に入っているときはさほど個体差を考えず無造作に選んでいたパンだが、そのままの状態で並んでいるとどうしても「どれにしようか」とちゃんと見て悩んでしまう。袋やパックで隔たりがあるとあまり気にならないのに面白いものだ。鮮明に見えると細部が気になるというのは普段眼鏡をかけている私にとっては結構あるある(眼鏡をかけると落ちているゴミが見えるとかそういう)なのだけれど、袋とかでも同じようになるもんなんだな。

そんなわけで私の明日の朝ごはんはめでたくパンになった。サンドイッチがまだ割引の時間じゃなかったけれど、全然気にならない。賞味期限は今日中です、と言われて物分かりよく頷いたが、明日の朝食べて会社に行くつもりだ。別にいいでしょ。あとついでに買う予定のなかったアップルパイも買ってしまったりした。とても美味しそうに見えたから、ついうっかりの余計な買い物。これはさっき家に帰ってすぐデザートとして食べてしまった。買った時は明日の朝に少し温めて食べたらおいしいかもとか思っていた割には帰って手を洗って、お風呂場の入り口の段差に腰かけて食べてしまった。最近なんとなく帰ってきてすぐお風呂に入るはずが手前の段差に腰かけて時間をつぶしてしまったりするのだけれど、今日もそんな感じ。アップルパイ食べて、適当にスマホ眺めていたら30分くらい経過していた。疲れているのに、疲れているからこそかな、そんなことをしてしまう。
でもなんだか悪くない気分。