言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

紙ストロー


紙ストローというやつがある。プラスチック製品を削減するために最近ファストフードなどでよく使われているもので、私も何度か遭遇したことがある。
世の中的には大層不人気だそうで、Googleで「紙ストロー」と打つと後続に「まずい」とかそういうネガティブな文言をよく目にすることになる。私は本当にたまにしか使わないので「ああこれが例の」という感じでともすればちょっと珍しいくらいの受け止め方をしてしまうのだけれど、これが毎日とかになるとだいぶ気になっていくんだろうな、とは思う。それくらいプラスチックのストローと紙のストローとでは差がある。

紙ストローが良いか悪いかというのは一旦置いておくとして、私はこの紙ストローというものに出会った時に、なんだか「懐かしい」と思ったのが最初の感想だった。良い悪いよりも先に出てきた感想である。
紙ストローが店で出るようになったのはこの数年のことだと思うけれど、もっと前から存在はしていたわけである。紙パックのジュースについてくるストローが紙ストローだったというのは、かなり昔の記憶としてあったと思う。サイズとしては小さいものだ。4連とかで売っているようなあれ。普通はプラスチックで売っているものがほとんどだったのに、なぜか特定の種類だけ紙製のものがあった。だから私はあの紙ストローの「味」を知っている。
だからあんまり紙ストロー自体に今あまり違和感を抱いていないのかもしれない。

あとあれだ、飴の棒。チュッパチャップスとかはどうだったか覚えがないが、平らなフルーツ味の飴は確か棒のところが紙製だった。あの最後まで飴を舐め切った後の紙のふやけた味というのは、紙ストローのそれによく似ている。
小児科で診察を受けた後にご褒美で貰えるあの飴が昔は好きだったが、小学校に通うようになってからは貰えなくなったのですごく残念な気持ちになったのをよく覚えている。まあ別に割と優しい先生の居る小児科だったので病院を嫌いになったりなどはしなかったが、飴が貰える場所がそうでなくなったときは内心ちょっと衝撃だったりした。まあ別に大したことではないのだけれど。
話がそれたが、要するに昔のこうした経験から紙製のものが口に入ってくることに、私はちょっと抵抗がないほうなのかもしれないな、ということである。

まあただ、別に紙ストローのほうがいいとかそういうことはたぶんない。気にはなる。あと選べるならプラスチックにしてしまうとは思う。味はともかく耐久性というところではどうなんだろうなと思うところはあるからだ。なんとなく柔らかくなって来るし、口元はちょっとふやけてくるような、そんな感覚があったりするから、あんまり良くはないのだと思う。放っておくとなんかしみ込んだり、逆にしみ出したりして耐久性とかは気になるところである。
紙で頑張って入るけれど、紙ならではの問題というのは普通に残されているのが面白いような、不便なようなところである。
あとあれってたぶん何か基準があって作られていると思うのだけれど、何か体に悪影響なものがしみ出してきたりしてないんだよね、というのは確認したい気もしてはいる。そうでなければ世の中に出回ることはないだろうけれど、まあその辺はよくわからない。よくわからないなりに使っていうものというのは世の中随分ある。いつの間にか広まっていて、いつの間にか当たり前になっているのだ。

紙ストローというのもいつの間にか随分と一般化されてはきたが、これからどうなっていくんだろう。不満点というか、評判は良くないようだし、改善点はいっぱいあると思うけれど、そもそも紙ストローというのはそんなに計画的に、そしてこんなにも大々的に使われる前提で作られてきたものなんだろうか。勿論ずっと存在はしていただろうけれど、別にこんなにいきなり大規模に使われるようになることを想定していなかったのだとしたら、メーカーはちょっとかわいそうなのかもしれないな。

実際どういう感じなのかわからないけれど。
まあ紙ストロー、使わなくていいなら使いたくない感じするけれど、私はこれからもきっと、紙ストローを口に含んだ時の味のなつかしさを何度かまだ感じることになるんだろうな、と思う。