言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

秋、始まってた


18時半くらいになると日が落ちて暗くなるようになった。9月だな、という感じがする。
一番日が長いのは夏至の頃なのでそれから2ヶ月以上も経過しているのだから日が短くなってくるのも当たり前なのだけれど、だいたい18時台に暗くなってくるのを見るとずいぶんと早くなったものだと実感する。まだ厳密には日が長いほうの部類に入るはずだけれど、私の中ではなんとなく、夏の終わりを感じた。
とはいえ気温的にはまだクーラーを掛けずに過ごせる日が多くなったわけではない。天気が悪い日はあまり気温も上がらないが、今日はまただいぶ暑かったので、日中はしっかりとクーラーをかけて過ごした。その辺はあまり我慢などはしない方だ。季節がどうこうというよりも、体感として暑ければクーラーにする。夕方などは切ったりもしたけれど、夜になって思いのほか気温が下がらず暑いので、また少しクーラーを入れた。
まあこれからきっと、もっとクーラーをつけようということが自然と減っていくのだろう。無理したり意識したりするよりも、いつの間にか、自然と使わなくなっていく。そういうものだと思う。そしていつからか暖房になるんだ。まだそれはさすがにだいぶ先だけれど、気が付いた頃には当たり前になっているであろうことは想像できなくない。

今年の夏は、長かったのか短かったのかよくわからなかった。正直まだ終わっているのかどうかすらよくわからないが、盛夏というのはもうずいぶん前に終わっていたような気がする。低空飛行な夏だった……ような気が、今はしている。
夏の始まりは早かったはずだけれど、いつからかそれも訂正された。6月末の梅雨明けはなかったことになった。そうすると、6月末の青天は、梅雨の中休み的な、そんな話だったという事だろうか。ずいぶん長くて激しい暑さの中休みだったような気もするけれど、実際そのあと天気が悪かったりしたし、梅雨明けの訂正もやむなしと言ったところだろうか。
それにしたって気温もそうだが、雨というのは本当に読めない夏だった。そしてそんな秋になっていくのだろう。雨雲レーダーというのは遠くからやってくる雨雲の流れは正確にとらえて予報してくれるが、ゲリラ豪雨のように急に発達して局地的に降り注ぐものはどうも予報しにくいらしく、いつも唐突な雨に降られてレーダーを見るとまだ雨雲すら発生していないことになっていたりして閉口したものだ。逆に雨予報だったのに案外晴れた、というのもゲリラ豪雨と同じくらいあった気もする。今日は雨のはずだったけれど思いのほか天気がいいというのはある意味ではラッキーだけれど、天気予報がずいぶんと宛にならないものだという思いも(仕方のないことではあるが)強くなったりもした。

頼りになるのは感覚とか、空を見る力なのかもしれないと、そういうことは何度か思った。急に黒い雲が沸いてきて、強い風でも拭いてきたらもうあっという間にゲリラ豪雨。そういうことの積み重ねで、個人個人が予測を重ねて行かなきゃならない時代なのかもしれない。

そんな夏だったが、もうなんだか9月になってすっかり終わってしまったかのようだ。
いつの間にかセミが鳴いている声を聴かなくなった。この間の週末、晴れたときに少し耳にしたけれど、夏の盛りのようなあのけたたましさはどこにもなかった。あとはなぜか建物の外ではなく内側でセミを見たりしたけれど、鳴かないのでメスなんじゃないかとか、そんな話はした。忘れ物みたいに音もたてず、じっと動かず、壁に張り付いていた。

スーパーなどではもうすっかり秋モードだ。8月の終わりくらいから栗やサツマイモのお菓子が並び始めていたが、果物などの生鮮品もぶどうや梨、それからリンゴなんかももう早いものは並び始めていて、季節の移り変わりを一足早くから知らせてきている。
まあでも、こういう秋の味覚っぽいものがもうすでに並んでいるということは、案外夏の頃から収穫が始まっているという事でもあるんだよな、とも思う。もちろん涼しい地域で作られているとかそういうことはあるけれど、私が想像する「秋」よりもずっと前から、世の中の秋は始まっているということだ。