言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

昔好きだった店の話

昔よく行っていた店があった。製麺所が近くにあって、そこの直営店として営業しているので、メイン商品のうどん、それからそば、あとはラーメンなんかも結構おいしい店だった。美味しくて、定食屋みたいな安い値段だった。ラーメン1杯450円というのはなかなか安いんじゃないんだろうか。そういうこともあって結構通っている時期もあった店だ。
家から駅までの導線とは逆方向にあるということもあって、今はあまり行かなくなってしまった店である。
ずいぶんと足が遠のいてしまったな、と思ってからもしばらく行かないままでいて、ようやく先日たまたまタイミングが合って行くことができた。
いつも食べていたのはみそラーメンだった。うどんが売りでうどんの店であることは承知の上で、ラーメンばかり食べていた。普通の味噌ラーメンなんだけれど、豆板醤が一緒についてきて結構それが好きだったのだ。
全部入れると辛すぎるから調整しながら食べるんだよな、と思い出しながら久々のラーメンを口に運んだのだけれど、どういうわけかあまり美味しくなくて、一瞬固まってしまった。こんな感じだったっけ……? と思いつつ、いやまあ昔食べてた味ってことは何かこう記憶が美化されてしまっているのかな、なんて思ったりもして、これが時の流れか、なんて少し寂しくなったりしてしまった。

その時はなんとなく寂しい気持ちだけを抱えて家に帰ってきたわけだけれど、よくよく考えてみたら何か変なのである。
昔好きだったものが年月を経てだんだん好きではなくなることというのは割とあることだ。特にラーメンはいろいろ新しいトレンドが生まれたりして、昔は流行っていても今はそうでもない、なんてことはざらにある。
しかしながら、だ。似たような感じで昔からずっと味の変わらないラーメンというのはある。多少改良しながらも、基本線は同じようにやっているというラーメンだってある。
昔の味ってもうちょっと美味かったよな? そんな気持ちがやっぱり浮かんできた。今日は何というかぬるくて、水っぽくて、昔からこれならとっくに行かなくなっていたはずだよな? と思うわけである。他にもラーメン屋は当時からあるわけだし、食べたことがないわけではなかった。それでもわざわざうどんの店でラーメンを食べるだけの価値はあったと思っていたわけだから、ちゃんと美味しかったはずなのだ。
時期が時期なだけに自分の味覚障害的な方向でも考えたけれど、あれから食事は普通においしく食べられている。間違いなくあの店が何かあったのだ。

後からよくよく聞いてみたらば、どうもここ数年で調理をする人が変わったんじゃないか、という結論が出てきた。別の人も同じように最近味がおかしいと思っていたようで、その人は暖かいそばを食べたらしいのだけれど同じようにおいしくなかったようなことを言っていた。湯切りが変だ、とも言っていた。
どういう理由か正確には知らないが、作り手以外にも材料や情勢の影響なんてのもあるだろうけれど、昔好きだった頃のあの店のラーメンの味というのをちゃんと覚えていたような気がしていたのを先日の訪店で悪い方に上書きされてしまって、それが一番残念だった。
結局寂しいような、悲しいような、何とも言えない気持ちになってしまった。
美味しかったんだけどな、あそこのラーメン。
今度一応うどんも食べてみようかな、と思うけれど、足がますます向かなくなりそうだ。