言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

暗くなるのが早くて

この頃すっかり日が短くなった。夕方になるとあっという間に暗くなっていって、17時には結構真っ暗に近い状態になる。よく考えてみたら、来月にはもう冬至である。そりゃあ短くもなるわけだ。
ここ1年位、ずっと窓のない部屋で仕事をしていた。窓がなければ外の様子がわからない。昼休みに外に出ようとして、そこで初めて雨が降っていることに気が付いたりした、なんてのはよくある話だった。でもまあ、悪い事ばかりでもなくて、例えば花粉の季節でも換気のついでに窓を開けてくしゃみが止まらなくなるとか、そういったことは起こらない。だって窓がないから。換気はどうにか行っていたけれど、ちゃんと行えているかどうかという意味ではまあまあ怪しい。在宅勤務が終わらないのも、またあの窓のない密閉されたトンデモ空間に集まるのか? という問題があるからだと思う。そういえば私は今年の1月にインフルエンザになったけれど、よくもまああの部屋の中で流行しなかったものだ。8畳くらいの1間に6人いて、誰にもうつらなかったんだからすごいわ。
しかしまあ、今は在宅勤務中で、窓の近くで仕事をしている。外の様子はすごくよくわかる。わかりすぎるほどだ。天気はもちろん、麹をしている音から近所の保育園の散歩中の声までよく聞こえてくるわけである。別に支障があるわけではないけれど、家の目の前とかで工事をしていたりするとさすがにうるさく感じる時もあった。今はもう窓を閉め切っているけれど、もう少し前の季節は窓を開けるとうるさいというような日がいくらかあった。
それはそれとして、夕方になるとずいぶんと外が暗くなるのだけれど、真っ暗な外の様子というのはどうしてか仕事のやる気を失わせる。時刻を見ると16時台でも、暗くなってきているのを見てしまうと、今日の仕事ももう終わりだな、なんて気分にさせられる。
夏は逆に18時台でも明るかったから、下手に定時とかで上がるとそとがまだまだ普通に昼間のようで、なんだか悪い事でもしているような罪悪感と、こんな早いうちに仕事が終わりなのだという解放感を味わったものだった。今とはまるで逆である。

それもこれも、外の様子がうかがい知れるからである。窓のない部屋にいれば外が暗くなっていようがいまいがよくわからない。ついでに駅直結とかで全く外に出ずに家の最寄りまで帰れてしまうとなれば、それこそ暗さを感じることは全くない。忙しかったというのもあるけれど、窓のない部屋時代は「もう暗くなっている」だとか「まだ明るいんだな」だとかそんなことは一切感じなかった。
反面、車とかでいろいろ動いていた3年くらい前は、冬のこの時期18時になるともうさっさと帰りたくて仕方がなかった。上司には怒られた。帰るのが早すぎると。別にまあ18時に帰り始めて19時に家に着くならいいけど、出張中、18時に帰り始めても22時くらいまで家に帰れないんだからいいじゃないかよと思うこともあったが、それ以外はある程度はもっともな言い分である。19時くらいまで仕事したって残業30分である(残業代とかなかったけど)。
帰っても内勤仕事があった、というのはあるけれど、それ以上にもうこんなに暗いのに働いてるのは嫌だな、という意識は確かになった。暗いと働く意欲ってのは無くなる。

そうなるとまあ日本ではないけれど、白夜ってのは相当だろうな。一日中夜明けが来ないなんて、どうにかしてしまうと思う。休日ならばそこまで気にならないだろうけれど、平日の普通の仕事の時間として常に真っ暗なのは萎えそうだ。
日が長いとか短いとかそれくらいで済んでよかったのかもしれない。明るいうちにちゃんと仕事して、暗くなったらちょっとさぼり気味にしよう。