言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

温泉に行って、帰ってくるとまた温泉に行きたくなる

温泉旅行をしてきた。やっぱり寒い季節は温泉である。温泉に行くのは季節を選ばないと思っているが、季節には季節ごとの良さがあって、温泉の良さも季節によって都度都度変化していくものであると思っている。

寒い季節の温泉は良い。特に今回は朝風呂がとても良かった。朝晩とても冷え込む山の中、ともすれば起きるのも面倒くさいような寒さ。前の晩、日付が変わってすぐくらいに寝たこともあって、平日よりも少し長いくらいゆっくり寝ることができた。

起きたらそのまま朝風呂。布団にいるときはゴロゴロダラダラしてしまうし、なんなら一瞬「面倒だから朝風呂はパスかな……」とか思うわけだけれど、まあどうせ顔を洗うならあったかい風呂でいいか、と自分を説得して起き上がる。

寒い脱衣所。寒いけれど、耐えられないほどではない。

前の日は暗くなってから入浴したので外の様子が見えなかったけれども、朝は外の様子がよく見える。昨晩は雨だったけれど、どうも駐車場のあたりが白くなっている。雪なのか、凍ってるのかわからないけど、ああもう冬なんだなあ、と思うには十分。

温泉は熱すぎない温度。朝風呂にちょうど良い。あんまり熱くても寝起きには大変だから。

朝風呂は、働かない頭でぼーっと何もせずに過ごす、あの時間が好きだ。

それほど汗もかかず、かといってぬるすぎもせず。壁のタイルに着いた水滴を見て、ぼんやり過ごす。

 


温泉の朝。

 


後からじわじわとよみがえってくるのは、また行きたい、とか、いや今すぐ舞い戻りたい、とかそんな感情。

同じ場所にもう一度行きたい、という思いを抱くことがあるけれど、それよりももっと、今度はどんなところに行こう、という感情の方がすぐに湧き上がってくる。道中見つけた看板、立ち寄った道の駅、地図で目にした温泉の文字。温泉に向かっている時、帰るときにそれらを目にして、今回は寄れないけれどどんなところなんだろう、とか頭の片隅に置いておくわけである。家に帰ってきて、あれはどんなところかな、と記憶から引っ張り出してきて、ああこんな温泉だったのか、とか、ああこんな旅館があるのか、とか、もう調べたら行きたくなっているわけである。

しばらく温泉に行かないと、今度は過去のことを不意に思い出す。季節が同じ時に思い出すとそれはもうなんというか間に合わなかったり、弾丸で行くことにしたりとせわしないけれども、例えば真夏に真冬の温泉を思い出したりして、タイミングが良ければじゃあどこか探して冬にでも出かけよう! なんて思うわけである。

もちろん弾丸で行くのも面白いし、閑散期やあまり人気のない場所であれば普通に2週間くらい前ならば通常の値段で出かけられたりする。まあそういうのはたいてい一人旅の時にしか適用できないけれど。

 


準備と勢い。飛行機の距離だと、飛行機予約を先にしてしまうことで、忘れた頃に「もうすぐ旅行だしカード明細でも確認するか」とか「今月は出費がかさむな」とか思いながらも飛行機代はすでに支払ってあるので行き帰りは実質タダ……みたいな気持ちになるわけである。過去の自分が払っているのだからタダではないけれど、今の残高から減らないのはとても気分が良いものである。ある程度の先払いは未来の自分を幸せにするのだ。

 


寒い季節の温泉は最高だと言ったが、寒くない季節の温泉も最高だ。真夏の温泉は汗を流せるし、水風呂がとても気持ちのいい季節である。秋も良い。露天風呂に長く居ても寒くならないし、涼めるので浸かりすぎてのぼせる事もない。春は花粉さえなければ最高かな。露天風呂と花粉はちょっとばかし相性が悪い。でも入る。言うほど悪化はしない。身体に付着した花粉を洗い流すから、なんだろうか。

 

 

ああそれにしてもまた温泉に行きたい。それは温泉に行ったからこそ、なんだろうな。