言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

合宿で家族にはがきを書く習慣の話

小学生の頃、所属していたスポーツクラブでは夏合宿が開催されていて、割と毎年ちゃんと参加をしていた。合宿と言うだけあって体力的には結構きつかった印象があるけれど、それ以上に「バスに乗って合宿先に出かける」と言う行為がものすごくつらかったのを覚えている。今でこそ多少マシになったものの、幼少期は本当に車酔いがひどく、10分くらいのタクシーの中でもダメになったことがあるくらいである。
合宿そのものは体力的にキツイものはあっても、それ以上に結構楽しかった思い出の方が多いのにもかかわらず、なんとまあ往復のバス移動の辛かったことか。
スポーツクラブの合宿に限らずだけれど、小学生くらいの宿泊行事って大抵バス移動だったわけなのだが、毎度毎度地獄を見ていたのでたいそう移動時間に対する印象が悪い。バスの中で必ずおやつの時間とかがあって「この時間に限って何か食べていいですよ」的な感じになるけれど、あれで何か食べた記憶すらない。食べたら死ぬ。
そんな感じでまあ合宿行事の移動には嫌な思い出が多いのだけれど、それ以上に妙に記憶に残っている物がある。それは「合宿先で自分の家へはがきを書いて送る」と言うものである。
なんでかわからないが、スポーツクラブの夏合宿でも、それ以外の学校の宿泊行事でも手紙を書いて家に送った記憶がある。内容のことは全く覚えがないが、私はこの手のものが大の苦手であったので、いつも適当に当たり障りのないことを書いて済ませて、きれいさっぱり忘れるといったスタイルを取っていたと思う。本当に内容についてはさっぱり覚えていないのだけれど、両親への感謝を書きなさいとか合宿の様子を伝えなさいとか大方そんな内容であったと思う。絵を書けというのもあったかもしれない。なんか日光でスケッチをさせられたような記憶があるような、ないような……。
そしてはがきが家に届くよりも自分が家に帰る方が先というところまでがセットである。

なんだか知らないがこの合宿先ではがきを書くという習慣、今となって思えば結構謎な習慣である。1か所でそういうのがあったというのあらわかるが、2か所以上で遭遇しているのだから、案外結構普遍的な習慣なのかもしれない。今時はそもそもはがきを書いて出さないだろうけれど、それでも今こういったことをしているところもあったりするんだろうか。私は苦手というか嫌いだったけれど、なんというかこう、教育的な観点で見れば普通のことなのかな。わかんね。

旅先で絵はがきを買って何か書いて送る、というのは物語の演出なんかでは見る展開だ。自分にというよりは、遠く離れた知り合いに、という感じだろうか。近況報告と絵はがきのセットは、ちょっと切なく哀しげだけれどそれでも何か明るさのある物語のラストを思い起こさせる。
まあきっとこういうのって書けと言われて書くから嫌になるのであって、書きたくて書くのなら苦痛にもならない気がするな。もっとも、絵はがきに素敵なメッセージを添えて送るというような演出を現実でやったことはないし、これからやることがあるのかどうか……。何かのファンレター的なものに使えばいいかもしれないね。それか投稿とかそういうもの。
かさばらないし、はがき、ちょっと買ってみようかな。