言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

夏の匂い

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夏の匂いがする日がある。夏の匂いがする場所がある。
「何それ」と言われても、夏の匂いをどう表現したらいいかわからないけれど、とにかく夏の匂いなのである。夏。匂いであって、匂いだけじゃなくて、匂いを包み込んだ雰囲気を含めての空気と言うか、やっぱり匂いと言うか。ものすごい抽象的な表現をするとすれば、「青い匂い」とかそういう感じ。草刈り後の匂いを湿気に乗せて薄めた感じ? と言ってしまうのはそれはそれでナンセンスな気もする。なんだかわからないけれどそんな感じ。概念。
高速のSAで休憩をした時、車から降りた瞬間に夏の匂いを感じたりもした。山際のSAだったから余計にそう感じたのかもしれない。崖下のため池からはものすごい数いるんじゃないかというカエルの鳴き声が聞こえた。距離が結構あってもカエルの鳴き声は響く。高いところにいる時に直下の音がよく聞こえるとかそういうのはあると思うけれど、静かな朝もやとカエルの鳴き声は夏っていう感じがする。
出雲大社に行った時も、裏のため池がカエル天国になっていた。そんなに広くもないため池なのに、近づくとカエルの声が何重にも聞こえた。あの日も結構暑い日だった。夏みたいな陽気だなと思った。冷たいそばを食べに行ったのはたぶん、それもあったからだと思う。
ただ、出雲に関してはもはや夏だったような気がして過去の写真を見返してみたら、思い切り5月だった。6月ですらなかった。「あれ? 夏っぽいな」と感じているけど実際は夏じゃないって、結構あるんじゃないかな。そうでなくても錯覚するくらい暑い日というのは結構ある。夏の雰囲気のある日。雰囲気だけだけれど。

リアルな夏はたぶんそれどころじゃないんだと思う。朝からかんかん照りでそれはもう暑い毎日だと、「朝早くの涼しいうちに田んぼのカエルの鳴く声が聞こえて」みたいなのは割ともう幻想に近くて、実際もう起き抜けからクーラーがつけっぱなしでいないと汗だくで明け方に目が覚めるようなそんな日々に「ああ夏っぽいな」なんて感じられないのかもしれない。夏っぽいんじゃなくてもうあまりにも夏なのだ。きっと。
夏の匂いはそうした幻覚と言うか、想像と言うか、そういったイメージと現実がマッチングしたような時に感じるものなのかもしれない。夏と言うよりは、夏が近づいている時の匂いなんだろうな、本当は。
一応、気温が上昇すると土に含まれた水分が蒸発するので、空気中に匂いが広がるのは本当である。スプリンクラーで水をまいた後にもわっと立ち上がる水を含んだ砂の匂い、あれのもう少し穏やかなもの、でいいんだろうか。ところがまあそれってたぶんリアルな夏の匂いであって、夏っぽい匂いとはたぶん違うんだと思う。朝方とかに気温が緩やかに上昇していく青い空白い雲みたいな快晴の日、5月とか6月によくある、もうなんだか夏みたいだなと言ってしまう日。そんな日の匂いはすごく夏の記憶を思い起こさせてくれるものだけれど、きっとそれはあくまで夏のそれではない。夏の思い出がよみがえってくる匂いなんだと思う。それはきっとイメージとしてはプラスの方向の、よい記憶というか。昔懐かしい気持ちにさせられるのと同じようなものなんじゃないかな。
むせかえるような湿気とうだるような暑さはどうせまた嫌でも体感させられるのだ。仮にずっと北海道に避暑していたって、体感させられる年は体感させられると思う。すごい暑い日ってあるから。
鼻腔をくすぐる夏の雰囲気が思い起こさせるのは懐かしい夏の思い出。今くらいの気温で過ごせれば快適なんだけれど、これからどんどん暑くなっていくんだろうな。

そうこう言っているけれど、昨日はもう夏至だった。6月も後半である。午後7時くらいになってもまだまだ外が明るいと思っていたけれど、もうそういう季節なのだ。
梅雨真っ盛りということになるのだろうけれど、暦の上ではもうすっかり夏なのだ。

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