言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

行きたい場所の棚卸しとひらめきと

 


行きたい場所というのは、定期的に棚卸してみないと忘れてしまうものである。実際結構思い付きで「あそこに行きたい」「あれがしたい」「あれが食べたい」となるわけだけれど、メモでもしないと本当に忘れてしまう。

大抵そういうのはTwitterでつぶやくのだけれど、あれは後から見返さないのであまり棚卸としては機能しない。Twitterのいいところは備忘録としての機能ではなく、同行者が見つかることである。ぽっと出てきた一言が、思わぬ企画になったりするものだ。

本当に行くときはメモとして簡単な旅程を作っておくのだけれど、最近はとりあえず今は行く予定がないけれど行くとしたら、という想定でそれを作る時がある。これがしたい、あれがしたい、の気持ちをもう一歩進めるものだ。

 


例えば動機なんてのは単純なもんで、「常磐線のほうってあんまり旅行したことないな、特急で終点まで行ってみるか」とこう考えただけでそれはもう立派な動機だ。この時点で場所と交通手段が何となく決まっているので、今現在ならどうするかという時間を調べてみる。そうすると、ああちょうどお昼時に終点のいわきに着くな、とか、泊るなら手前の湯本に戻って温泉もいいな、とか、いろいろと計画が具体的になってくる。これが結構大事というか、実際に行くときのために少しでも調べておくことがこの棚卸の肝なのだ。

私はそれなりに旅程は組むくせに、メインディッシュ以外は本当にその場で適当に決めたりするものだ。それでもいいし、一人旅ならばなおさら適当もまた楽しいものである。でもその適当に過ごすのにも、前情報は必要だ。前情報0で適当に過ごすのと、いろいろ知っているうえで適当に過ごすのとではずいぶん心持ちが違う。

一人旅の当日の動きなんて、朝起きてみてその時の体調やら、天気にも寄るものだ。快晴ならばちょっとした展望台に行くのもいいだろう。雨ならば屋内でとか、あるいは近くの温泉に行って見るのもいい。行動は行き当たりばったりでもいいけれど、その行動の選択肢はある程度調べておくに越したことはないのだ。調べたうえで全部すっ飛ばしてさっさと帰ったっていい。別にそれは予定でもなんでもなくて、候補なだけだから。

できるだけ無理しない、頑張らない、ちゃんと帰る。私の一人旅の時の基本的なルールというか、原則というか。そのために、旅程を練っておく、調べておくということは大切である。

面白いもので、あらかじめ調べておいた場所というのは、ひょんなことから別の旅程と結びついたりするものである。先日の北海道旅行がまさにそれであった。もともとは新千歳空港に昼過ぎに降り立って札幌に向かうという、何でもない旅程を組んでいた。空いた時間は適当に北大の敷地の方にでも行こうかとか、HTVのショップに行こうかとか、そんなことを考えていたが、ふと別の機会に調べていた別のプランが頭をよぎったのである。

かねてより、千歳の少し南の方にある牧場(ノーザンホースパークという競走馬の牧場)に行きたいと思っていて調べていたことがあったのだけれど、どうせ新千歳空港に降り立つならば足を伸ばせやしないか、と。


計画とひらめきと。うまくいく時とそうでない時がもちろんあるけれど、たいてい楽しいからいいのかな。