言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

クリスマスツリーの準備

会社にはクリスマスツリーがある。高さはたぶん2mくらい。だから天井のすぐ近くまでてっぺんの部分がにょっきりと立っている。もちろん手は届かない。

もうすぐクリスマスだからということで、クリスマスツリーの飾りつけをするようにとの命が下ったのは先日の事。面倒くさいなと思ったが、業務時間を使ってやっていいよと言われれば話は別だ。私は喜び勇んで組みたてに参加した。頑張りすぎて30分サビ残をしてしまったほどだ(気づいたら普通に定時を過ぎていた)。

家にもクリスマスツリーはあったけれど、一生懸命組みたてて飾りつけをするのは大抵父の仕事だった。そりゃあ幼い頃は一緒に飾りつけをしたものだ。でもまあ、だんだんと興味がなくなってくるというか、面倒くさくなって、一生懸命はやらなくなった。というのも、父はそれこそこういった行事ものが大好きで、一生懸命張り切って飾りつけなんかをするんだけれど、「美しくない」とか「バランスが悪い」と注文がつくのでややうるさいのだ。気持ちはわからなくもないけれど、面倒くささには勝てず適当にやってしまうのでなおの事口出しが入るわけである。そういう攻防を経て、何日か時間をかけて飾りつけが完成するわけである。部屋を真っ暗にして電飾の電源を入れる瞬間は綺麗なので、その時だけはなんとなく今年もクリスマスが来たな、という気持ちになるので、なんだかんだ言えどもそれはそれでいいものである。

家のツリーこそ適当でも良くて、会社のツリーなんてそれこそちゃんと飾らなくては、と意気込んで飾りつけをしていたのだが、どうも会社では逆に「適当でいいんじゃないか」という温度なので面白い。電飾のバランスとか、そういう事を全然考えない。むしろ天井付近は手も届かないし大変だからと電飾すらついていない。電飾も銅線むき出しのタイプなのであちらこちら絡まってしまっているのだけれど、一部ほどかないまま飾ってある。それでもいいと言うのだからそのままにしているけれどなんとなく納得はいかない。まあほどいていたらサビ残が30分では済まなかっただろうから、帰って正解だったのだけれど、知らず知らずのうちに父の教育によって、そのあたりのこだわりというような物を受け継いでしまっているから自分に驚いたものだった。
自分自身、割と細かい事は面倒くさくて投げる方なのにねと。

そんなこんなで毎日飾り付けしたクリスマスツリーを横目に見ながら業務を行っているわけだが、いつか朝早く着いた日には手直ししたいな、と目論んでいる。絡まった電飾を少し直せばもっと綺麗になるような気がしてならないのだ。