言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

夜景

あたりが暗くなり、同時に浮かび上がるように街が光を帯びてくる。
夜景。夜の景色。
太陽が隠れた後の空。黒い空に月と、いくつかの星。
星をちゃんと見るのはなかなか難しくて、それは月が明るいからとか、街が明るいからとか、空気が汚い打とかそういう事以前に、見上げ続けていると首が痛いから。地面に寝転がるまでには至らない。だって汚れたり、アリが登ってきたりして、違う心配が増えるから。
時折飛来する動く光点は、きっと飛行機だ。目の前のひときわ明るい星は金星だろうか? 空を見る度に、星座を勉強しておくんだったと後悔するけれど、きっと見えてない星もあるだろうからとすぐにそれも諦めてしまう。
そうしている私はひどく現実的でありながらも、それでいてひたすらに夢想をしている。夢想をしているがしかしまたその上で、何も考えてはいない。言うなればそう、途切れ途切れの繋がらない思考の絡み合い。

地上に目を移してみれば、街灯や信号機、車のライト、家の明かり。遠くのビルの明かり、鉄塔の明かり。街の向こう、海に見える動く光は漁船だろうか、客船だろうか、それとも貨物か。
東横インは青いからすぐにわかる。ルートインは緑で目立つように思えるが、こっちはあまり見えてこない。
それらすべてを、高いところから俯瞰している、このおかしさに、ふと笑っている自分が居る。
今まで自分が居た場所も、これから帰る場所も、まぎれもなくあの光の一つなのに、それなのに、あまりにも遠く感じられてしまう。それが滑稽でならない。来たからには帰らなければならないんだと、現実的な自分が思うけれども、その一方で、目の前の景色は嘘のようで本当は存在しないんじゃないかと嘯く自分もいる。

「明かりを見ると、その数だけ人が居るんだよね」
「ほとんど街灯だからそれは違うよ」
「だとしても少しくらい夢を見せてくれたっていいでしょうに」

街の明かりはまるで星のようだ。時折揺らいで、瞬いてさえ見るときがある。
空に浮かぶ星と、街明かりとの違いはさほどないのかもしれない。どうして街の明かりが星ではないと言えようか? 

「車が動いている」
「バスかもしれないね」
「それは確かに、そうかもしれない」

「あれはきっと自転車が走っているんだ」
「違うよ、バイクじゃないの」
「それはきっと、どっちでもいい」