言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

みんな空を見ていた


昨日は皆既月食ということで、多くの人が空を見上げていたと思う。私も見た。
皆既月食が始まった時にはまだ仕事中だったので見られるかどうか、と思っていたけれど、それは杞憂だった。月食は思っていたよりもずっとゆっくり、時間をかけて進んでいた。私が空を見た時、月は三日月よりも少し薄いくらい明るい部分を残した状態だった。
実際皆既月食状態で1時間くらい継続していたようなので、全然焦る必要はなかったというわけである。長い時間月食の状態を見ることができた。
確か昨年の5月あたりにも皆既月食の日があったようだが、天気が悪くて見れた記憶がない。部分月食の時は見れた記憶があるけれど、大抵こういったイベントごとでは雨まで降らずとも曇っていてい見えないなどのトラブルがつきものである。
でも昨日ははっきりとした晴天だった。雲もほとんどなく、遮るものが少なかった。今回の月食は長く、はっきりした月食として見ることができた。

月食と言うのは、地球が太陽と月の間に入ることで起こる現象だ。普段月は太陽の光を反射することで光っているように見える。自ら発行しているわけではない。なので、たまに地球の影の部分に月が入ってしまうことがあるが、そういう時は月食と言って月が欠けていくように見えていくわけである。
普段の月の満ち欠けと違うのは、一晩のうちに月が欠けてまた満ちていくということと、欠けた部分の色が赤黒く残って見えることである。普通月が欠けている時というのは真っ黒で何も見えないものだ。けれども月食の場合、地球の大気で屈折した太陽の赤い光の波長が陰の方にも入り込むため、月がなんとなく赤黒く色がついて見えるわけである。月食ならではの光景だ。月が空の低い位置を通過する時、特に夜明けや日没に赤みがかって見えることがあるけれど、満月が空の高い位置で赤みがかって見える……というのはなかなか見ることのできないレアものということになる。そのうえ、明るい部分が一度減った後また明るくなっていく、その変化も見ることができるのでなかなか面白い光景だと、私は思っている。

月食に限らず、夜空で何かあるときは空を見上げている人が多くてそれもまた面白い光景だ。
昨日は家のベランダなどに出て空を見ている人がたくさんいて、夜の道を歩いているとあちらこちらで話し声が聞こえてきた。普段21時とか22時とかだと家の明かりがついていることはあれど、なかなかベランダに出ている人を見かけることは少ない。昨日に限ってはずいぶんと外にいる気配を感じたものだ。
その辺の道でも、立ち止まって空を見上げている人が結構な頻度で居た。住宅街のちょっとした坂道の頂上付近には、3,4人が立ち止まって空を見上げていた。頑張って写真を撮ろうとしている人もいた。電柱の影などの暗いところにも人がいたりして、気が付いたときは驚いて変な声が出そうになったりもした。少し肌寒い季節ではあるけれど、夜の散歩のような感じで普段あまり人通りのない道にも出歩いている人が多かったようだ。
月を背にして歩いていると、皆が私の顔よりも上の方を見ているせいで、目は合わないのに顔がこちらを向いている気がしてなんとなく気まずい気持ちになったりもしたが、まあ考え過ぎだろう。普段そんなに上を向いている人とすれ違うことはないだけに、落ち着かなかった。

まあでも、月食と言うのは気軽に見られていいものだ。見上げるだけで月食の状態がなんとなくわかるので、観察のハードルが低くていい。
もちろん突き詰めればいろいろあるし、昨日なんて天王星が月の後ろに入る天王星食まであってなかなかの天文的ビッグイベントとして気合を入れて準備をしていた人もいるだろうけれど……なんというかそう、裾野が広くていいんじゃないか、と思う。急に思い出して空を見上げてわかる、レアな出来事ではあるんだけれど、同時に手軽に認識できるのはきっといいことだと思う。

次の皆既月食は、2025年になるらしい。日本ならどこでも見れるようだけれど、晴れるかどうかというのはわからない。またきっとニュースとかにはなるだろうけれど、どんな形で見ることになるだろうか。