言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

修学旅行と妄想とのシナジー

修学旅行にはある種の夢を抱いていた。
夢というよりはもっと下卑た、妄想のようなものである。
もちろん原因は漫画や小説の見過ぎなのであるが、意中の人と何かあったりはしないかと、修学旅行までは連日の妄想に浸るのが常だった(これは修学旅行には限定せず、厳密に言えば何か泊まりの行事があれば毎度のことである)。要するに想像力に任せて都合のいいストーリーを作り上げていただけで、実のところどうにかなるような現実的な想像はあまりしてはいなかったし、行動もしなかった。
従って、修学旅行の最中は意中の人がどうこうよりも、同性の気の知れた友人たちと、程よい高揚感の中くだらない話をしてばかりいて怒られた記憶の方が強く残っている。高校の時の修学旅行がまさにそれで、ほぼずっと一緒だったHとは異性の話はほとんどした記憶もなく、ひたすら普段の昼休みに弁当を食べながらしているくだらない話のロングバージョンのようなものを繰り返していたに過ぎなかった。Hを含めたKやTさんといった同じ班のメンバーはさらに班行動時のちょっとした「事件」も相まって、もう思い出のほとんどが事件とそれにまつわるくだらない会話である。それを他班のメンバーに披露したりした時に、異性との会話があったような記憶があるくらいで、実際の修学旅行中には特に深い思い出があるわけでもなかった。
だから夜こっそりホテルを抜け出すように誘われて、二人きりで話すだの告白されるだのするだの、妄想は大いに広がって止まるところを知らなかったのだが、まあそれはそのまま、あくまで妄想のままで終わっていったのである。そういった甘酸っぱい出来事は、もっと日常の中で起こるものなんだろうなあ、という事も分かっていたが、妄想するのはタダだし現実と混同しなければ害もないので別段やめるようなつもりもなかった。故に膨らむ。キャラクターはとうに崩壊し、まあどんどんと自分に都合のいいように進んでいくわけだが気にしてはならない。妄想にはイベントが必要なのである。得てして。
修学旅行の妄想というのは、本当は創作等で活かせればそれが一番良いのであるが、それは言わないでおいてほしい。そのうち何かの拍子に書くことにでもなった時の「爆発力」は妄想によってもたらされるものだろうと期待しているからだ。