言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

線香花火

線香花火の国産業者は一度絶滅しているらしい。というのも、外国産の線香花火の方が圧倒的にコストが安いからという単純な理由からであり、まあ多くの人が国産かどうかについて考えて花火を買わないように思えるので、それも当然と言うかそんなものかくらいに思っている。とはいえ絶滅したのは10年ほどの期間だった程で、今ではちゃんと国産品の業者もいるようだ。たぶんそんなに変わらないとは思うけれども。

花火の中でも線香花火はわりと大人しい部類であると思う。それはまあ昨今の花火たちがかなりアクティブ(?)に動き回ったりするものが多いからだろうか。花火大会に行かなくても、ある程度のものであれば打ち上げ花火も出来るような時代だ。夏休みにそれこそ山中湖や河口湖南下に行けば、大学生が花火を打ち上げて遊んでいる様子が見られることだろう。ロケット花火なんてのもあるが、あれは音がすごいのと人に向けて打つような悪質な行為が多いせいであまりいい印象がない。住宅街で打ち上げる奴はいなくてもロケット花火はぶっ放す奴が多い気がする。さすがに偏見か。

線香花火は大人しい。まず立ってはやらないだろう。しゃがんで、あるいは座り込んで行うものだ。風に弱いので当たらないようにするのもセットだ。花火にしては繊細なのだ。というよりも花火というのは元来繊細なのだ。あの膨らんだ橙色の球体から、パチパチと音を立てていく筋も枝分かれする様がなんとも風流である。派手に花火を飛ばして遊んでいても、線香花火となれば思わず見入ってしまうものだ。

大規模な打ち上げ花火も良い。ただしあの花火大会という奴はどうも苦手だ。人が少なければ良いが、多い場所へ出かけて行くのは何とも気が進まない。花火を見ること自体は好きだし、近くで見れるならばなおのこと良い。しかしながら屋外で人ごみの中見上げるのには気象条件的に夏の花火大会はかなり辛いものである。できれば涼しい屋内でゆっくり見られればいいのに、とは思ってしまう。
そういう意味では沖縄のリゾートホテルで夜中に打ち上げるような花火は気軽で良い。湿気が少ないからか夜はそれなりに気温はあれど涼しさを感じられるし、夕陽を堪能してその後花火を堪能するという構図が良すぎる。これぐらい整っているととても良い。しかしこれはまあそれだけの対価、つまりコストを支払っている結果である、贅沢だと言わざるを得ない。

そういえば、何故花火は夏にやるのだろう。特に線香花火ならば夏でなくともいいような気がする。冬に線香花火をやっても、例えば寒すぎなければ結構楽しめるように感じられる。
考えて見れば面白いもので、花火をすることはたぶん暑さを忘れるとか涼をとれるとかそう言った事はないはずである。花火が夏に多いのは暑さとは関係がない気がする。冬にやってもいいのだ。寒いとか以前にイメージが邪魔をしている。花火は夏だとなんとなく思いこんでいるようなところもある。

そう言う意味では線香花火はささやかで良い。下手をすればマンションのベランダでも出来る。
静かに線香花火をゆっくりと楽しむような、趣のある夏を過ごしたいものだ。

ちなみに私は昔、沖縄へ向かう飛行機に花火を持ち込もうとして全部没収された、哀しい思い出もある。

 

 

我孫子駅のおおきな唐揚げそば

我孫子駅のホームに、弥生軒という立ち食いそばの店がある。今年2018年の4月で90周年を迎えた老舗であり、あの画家・山下清も住み込み働いていたことがあるというなかなか面白い歴史のある店だ(半年くらい働いては放浪し、いつの間にか帰ってくるという繰り返しであったらしい)。
この店、個人的にも好きな店で、我孫子駅へ行く度に名物の唐揚げそばを食べる。いやむしろ、食べるために行っている、それくらいの店である。

まず乗っている唐揚げだがとんでもなくでかい。2つまで乗せられるのだが、2つでもう丼を覆い尽くしてしまい、下になっている蕎麦が見えないくらいのサイズである。とにかくでかい。一応3つ以上も注文は出来るが乗せても食べにくいので、麺なしの丼に出汁と共に入れることのできるサービスがあるので、そっちを試した方がよさそうだ。蕎麦なしの唐揚げ単品で頼む人もいるくらい、人気の一品である。

またこの巨大な唐揚げ、衣も何か特別なものを使っているらしく、居酒屋やコンビニなどの唐揚げの片栗粉っぽさは薄い。どちらかと言うともったりとした厚みのある、赤茶色の衣をまとっている。ここにしっかりとした味が付いており、また出汁に浸して食べても邪魔をしないのでいい塩梅になってくれるのだ。

最近は、混雑時でも店内で食べるように張り紙がされているが、少し前までは列車到着直後などピーク時はホームにまで食べる人が溢れ出していた。無論カウンターなど外にはないので左手でどんを持ちながら食べるわけである。唐揚げがでかいのでなかなか食べるのに骨が折れるので机のある店内で置いて食べたいのだが、空くのを待ち切れず注文してしまう……。そんな繰り返しであった。流石に駅側から注意があったのか、店内で食べるようにとのお達しの張り紙が出来ていたので今はあまり外に出る人は見られなくなった。手で持って食べなくていいのは楽なので、こう言った外的要因で出来なくなるのはむしろ歓迎である(そうすれば我慢もできると言うものだ)。


横浜市内の自宅から我孫子までは、遠い上に電車賃もかなり掛るため、私は主にJRの首都圏近郊区間で使える「大周り乗車」の特例を利用することにしている。これは、首都圏近郊区間では運賃が常に最短距離にて計算される事を利用した公式に認められている裏技である。例えば東京駅から隣駅の神田駅に向かうとき、素直に山手線内回りで1駅乗るのと、外回りで1時間くらいかけて向かうのとでは同じ運賃である、というようなものである。要するに同じ区間を二度通らないようにさえ気をつければ、初乗り料金でこの区間内は基本どんな駅にも向かう事が出来るわけだ。
最大の欠点としては、改札の外には出られないことだろう。故に改札内で行きたい場所でもない限りはあまりこの特例を使う意味が薄い。それこそ期間限定ではあるが「休日お出かけパス」「青春18きっぷ」などを使えば改札の外へ出られるので、こちらの方が便利さは上である。

それ故に、私は大周り乗車を我孫子駅のホーム上にある弥生軒を訪れる時に使うのである。遠いけれども、安く行きたい。実際唐揚げそばの値段(540円)と合わせても700円程度ですべて賄えてしまうので、非常に経済的である。

我孫子駅に食べに行く際にお勧めなのは、常磐線ではなく成田線経由で向かう事だ。理由は2つあり、1つは成田線からであれば乗客が少ないので店の混まないうちに入れるためだ。もう1つは大周り乗車の特性上、帰る際に本数の少ない成田線を使うのは帰宅時間が遅くなって疲れてしまうからだ。だから先に乗っておく。成田線で来れば常磐線で帰れる。水戸線経由は辛い。

 

ミストシャワーの攻撃

暑さ対策で屋外に設置されている、ミストシャワー。そんなに普及はしていないものの、最近は街中特に観光地なんかでよく見るようになってきた。

この間は動物園でも見た。シロクマの屋外展示場に設置されていて、ミストシャワーの下に暑そうにもさもさの毛皮に包まれたシロクマが寝っ転がっていた。ミストシャワーは果たして涼しいのだろうか。水に入るより疲れないからいいのだろうか。それにしても過酷な環境だろうなぁ、と思ったりするわけである。

霧状の水を散布すること、つまり気化熱を利用して暑さを和らげようという試みであり、屋内のようにクーラーの使える場所でない場合の涼をとる手段として使われているようだ。正直言って元々湿度も高い上に水分量を増やされてはあんまり涼しくはない気がするが、こういうものもきっと気持ちが大事なんだろうと思う。たぶん。

涼しい涼しくないはさておいても、たまにこの「霧状にする」のが下手くそな場合がある。霧というより霧雨のようになってしまっている場合だ。その場合中途半端に水浴びをすることになり、特にメガネをしている人にとってはただの迷惑になっていたりする。私はなった。

家の近くの商店街の店に設置してあるミストシャワーが霧状にするのが下手くそで、通るたびにメガネに大量の水滴が付着するためまあまあ嫌な思いをしている。ここは香港のマンションにずらっと並べられた室外機の下か! とわかりにくいツッコミを入れるのも無理があり、ただただ無言でメガネを拭く動作を強いられる不快感。できれば早めに改善するか撤去してほしい。反対側の歩道は日向なのであまり通りたくないから。

優秀なミストシャワーはメガネには付着しない。例えば六本木ヒルズに大量に設置されているミストシャワーはもくもくと煙る勢いで噴射されているが、水煙を抜けたところでも特に何の影響もない。かくあるべきだ。

 

うなぎの魔力

暑いとうなぎが食べたくなる。もっとも、うなぎそのものの旬は晩秋から初冬にかけてらしいので、その時期にも食べたい。さらに言えば食べられるのであればもっと年中食べてもいい。それくらいにはうなぎが好きである。
もう少し詳しく絞るならば、鰻とご飯とあのタレの組み合わせが好き、という話にもなる。あの甘辛のたれを絡めて食べるうな重あるいはうな丼はこの上ない贅沢であるとさえ言える。

贅沢なのはもちろん値段のせいでもある。うなぎは高い。非常に高い。さあうなぎを食べに行こうなんて事になるのは、それこそ誰かのおごりか、あるいは給料日や臨時収入のあった時だろう。それくらい理由を付けないとなかなか踏ん切りがつかないのもうなぎである。

安く食べようと思えば、手段はもちろんある。うなぎ屋に行かなければいいのである。寿司屋で握ってもらったり、太巻きに少し入れてもらったり、さらにはうなまぶしなるほとんど身は乗っていなくてご飯とタレだけのような商品もある。また牛丼屋に行けばそこそこの価格でうな重さえも束られたりするらしいが、さすがにそこまでは試した事はない。手軽に少し味わうくらいであれば税悪感が薄くてついつい手が伸びてしまうのはままある話なので、何かの拍子に注文してしまう日もそう遠くはないだろう。

何年か前、孤独のグルメの原作でも紹介されていた、赤羽の某居酒屋へ行ったことがある。そこでは美味いうな丼が格安で食べられると言うのである(しかも朝から開いているし飲むこともできるとんでもない店だ)。掲載時の価格は750円。いくらどぶ漬けが600円、すっぽん鍋が850円とかであったから、なるほど安くていいものを出す店ん名だな、と思って実際に訪れてみたわけである。
ところがいざ注文してみると、1400円に値上げしていた。掲載されたのが1995年という事だから無理もない。ほとんど2倍の価格になってしまっていた。もちろんこれでも安いのには変わりないし、もちろん美味かった。けれどもうなぎの価格高騰は思いのほか深刻であることを認識せざるを得なかった。

絶滅が危惧されているからか非常に価格が高いため、そう滅多やたらに買う事ができない。うなぎの数というより稚魚が減っているため養殖の初期費用というか投資すぐ額が大きいのも価格がつり上がっている原因だ。だからうなぎ養殖はあまりに高すぎて売れ行きが芳しくなく、せっかく高価格で稚魚を仕入れて育てても逆に余らせてしまう事態さえ起きていると言う。なんとも皮肉な話だ。

であるからこそ、うなぎが低価格で食べることができると、非常にありがたみがあってよい。静岡は沼津の某店では、スタミナ定食と言って豚バラのにんにく醤油炒めと共にうなぎのかば焼きが一枚乗っている1000円の定食がある。こういうのが実にありがたい。ご飯にのせて簡易うな丼として一気に食べてしまうわけである。

 

歩くこと

歩くことは嫌いではない。むしろ好きだ。特に鉄道旅行をしている時は必要以上に歩くことが多い。

 

青春18きっぷのように乗り降りし放題な切符を使っている時は、駅で電車を待つ時間が長くなれば改札を出て散策に出かける。次の電車が来るまで1時間。ならば駅の周りを散策してみよう。

歩いてみるといろいろな発見がある。もちろん収穫のない時もあるが何もない事も収穫だ。いろいろと調べてから散策するもよし。山形県新庄駅に寄り道した時は、「100円商店街」で話題になったアーケード街を調べてから訪れた事があった。あれは調べて行ったからこそたどり着けたわけである。

かと言っていつも調べて行くわけでもない。何があるかわからないけれど、とりあえず歩いてみる。それはそれで面白い。街があればそこには生活がある。それを勝手に想像してみるだけでも面白い。駅横の生鮮市場は地元の買い物の場も兼ねてるんだな、とか、駅の近くには店が何もないのはきっと本数が少なくて不便なんだろう、とか。もっと適当でもいい。最寄りのコンビニまで車でどれくらいかかるんだ? とか、ここまで来ると通販でなんでも揃えるのが楽だろうな、とか、でも庭付きの広い戸建てがたくさんあってちょうどいい郊外感だな、とか、この小川は小さい子供が遊ぶには楽しいだろうなぁ、とか。好き放題に考えるだけで楽しくなって来る。ここで生まれてここで過ごしていれば、きっとこれが当たり前なんだろうな、と至極当たり前のことを思いながら、だ。

歩いていると思わぬ高低差に驚く事もある。なんだか足が重いと思えば微妙な傾斜の上り坂であったなんてことはざらにある。

変に道が曲がっていると思えば、神社があったり城跡だったり、何が歴史的な名残があったりする。

それをまた、後から地図でなぞりかえしてみるのもなかなか面白い作業である。図面上で見て、改めてその歴史的な名残の全体像を把握したり、等高線を見て見たり、あるいは歩いただけではわからなかった発見があったり。

もっとも、歩くことは運動不足の身にはなかなか疲れることではある。こんなに暑い日だと尚更だ。
だから決して無理はしすぎない。時折街を見下ろせる展望台に登りたくなったりすることはあるが、それはまあ例外で、その他はできるだけ無理をしないでいるようにしている。
歩くことが目的ではなくて、旅をすることが目的であるからだ。誰かに強いられているわけではないから、好きなようにやればいいのだ。私はいつもそうして適当に歩くわけである。
休憩と称してその場その場でカフェに入ったりおやつを食べたりするのはそのためである。そこで思わぬ名物に出逢えたのなら、もう言うことはない。

 

ラーメンライス

このところ「ラーメンライス」をしなくなっている事に気が付いた。ラーメンライスとは読んで字のごとく、ラーメンと共にライスつまりご飯を注文し、一緒に食べることである。昔はこれが好きで、ラーメンを頼めば同時にご飯も頼んでしまうのが通例であった。炭水化物に炭水化物で押収する、身体には非常に悪い組み合わせである。それがすごく好きで、必ず頼んでいた時期が私にもあったのだ。
きっかけはもちろん己の食欲であった。食べざかりの私は、運動部に所属していたこともあってラーメンの並盛りではお腹を満たすことができなくなっていた。そうしてまず初めに手を出したのが大盛りだったのだが、これがあまり定着しなかった。早いうちに飽きがきてしまうので、後半変化を付けてももてあまし気味になってしまっていた。
そこで目を付けたのがラーメンライスである。ラーメンのスープをかけて食べることでラーメンそのものを「おかず」にできる。海苔にスープを染み込ませてからご飯を巻く事もどこかでやってみたらとても美味しかった。豆板醤をスープに入れるのではなく、ご飯の方に乗せて降りてスープをかけるのも辛みがボケずに強烈に効いてくる感覚が良い。
こうしていろいろと試行錯誤しているうちにすっかり定番になったのが、私の中のラーメンライスであった。

結構な割合で、白いご飯ではなくチャーシュー丼のような物を出す店がある。あれは美味しさではかなり期待値も満足度も高いので本当は頼みたいのだが、店によってはそれだけで300円くらいする時があるので、なかなか手が出ない。親に連れて行ってもらっている間は何も考えずに頼んでいたが、いざ自分で払うとなると尻込みしてしまう、そう言う存在である。
ラーメンではなかったが、今はもうなくなってしまった横浜ヨドバシ地下の刀削麺の店のランチセットで頼めるザーサイごはんのボリュームとコスパを思い出す。あれも麺とご飯との組み合わせだ。
麺とご飯の組み合わせは禁断の味、悪魔的魅力を醸し出す味である。これは今でも変わることはない思いである。しかしながら時の流れというか己の衰えは早いもので、すっかりラーメンライスの類のものが「入らなく」なってしまいつつある。食欲が育ちざかり食べざかりのそれとは異なり、余計に頼んだライスをそのまま持て余してしまうのだ。
麺を減らしてでもライスに在りつきたいか、と言われればそうではないので、その結果近頃めっきりラーメンライスを食べなくなってしまったのである。

ただし、一店舗だけ、例外が今でも存在する。
もう10数年通っている味噌ラーメンの名店があるのだが、そこの「Bセット」の小盛り肉丼だけはどうしても辞めることができない。あっさりした味噌ラーメンであることも相まって肉丼もペロリと平らげることができてしまう。絶品なのに、単品メニューはないため「Bセット」を頼まなければ絶対に食べることができない品とあって、これだけは外すことはできない。もうここ数年はメニューを見るのは「Bセット」を注文した後になるくらいはこのメニューの虜になっている。

さああとどれくらい食べ続けることができるだろうか。
はたまた、何かのきっかけで他の店でもまたラーメンライスを再開することとなるだろうか。

お腹をすかせて、いざラーメン屋へ入店すべし。

夏休みの宿題の思い出

学生時代、特に小、中学生くらいだと夏休みにはたくさん宿題が出た事だろう。「宿題を早く片付けるか」「毎日コツコツやるか」「やらずに最後にまとめてなんとかするか」とかなんとかいろんな派閥があった気がするが、果たして私はこの内のどこに当てはまるのだろうか、と考えた時にあまり思い当たるものがなくはてさてと考え込んでしまったわけである。

 

特に小学生時代について、苦労はしていたはずなのだが、どうこなしていたかあまり思い出せない。低学年の時、絵日記の宿題が出てそれを放置して最終日に適当にでっち上げたのはなんとなく覚えている。絵日記は低学年でなくなり、代わりに毎日の天気を記録するカードがあってそれも1週間ずつくらいまとめて書いていた気がする。学校から持って帰って来た植物類は観察する課題があり、一度旅行から帰って来たら見事に立ち枯れていて大いに焦った記憶がある。まあその時は枯れたんだから仕方ない、むしろ変化はないのだからこれで観察しなくて済む、くらいに開き直っていたが。

漢字練習やら計算ドリルやらは母の監視の元夏休みの中盤くらいでこなしていた。だいたい8月に入ってからが宿題をする本番だったはずだ。なぜなら、我が家ではお盆ではなく海の日あたりから1週間程度で旅行をするのが定番だったので、帰って来てからさあ宿題だ!となるわけである。幸いというかなんというか、遠方への帰省というものはなく、徒歩10分か電車で1時間かの2択だったので、両方に泊まりで遊びに行っても大したロスにならなかった。だから8月はとりあえずドリル系の「やればなんとかなるもの」をこなして、その後で自由研究なりなんなりを進めていくスケジュールだった。そして日記系は知らず知らずのうちに放置されていた。
自由研究はまったく何をしたか覚えていない。創作性に富んだ物など出したことがない。調べ物をして出した年があったのをうっすら覚えている限りで、後は絵の得意な祖父に7割手伝ってもらって絵を描いたりして出した記憶しかない。一度何かの間違いで表彰されてからはそれもやらなくなった。あの時は生きた心地がしなかった。絵など得意ではないのに。

中学生になると、今度は夏休みはほとんど全てが部活だった。そしてその合間を縫って塾の夏期講習へ通っていた。中学の宿題はいくつかやらずに出して9月に(確信犯的に)慌ててこなしていた記憶がある。特に数学の宿題は回答のあるものはほとんど写して、適宜間違えたり消した後をつけたりして偽装していたわけだから、嫌な少年だったわけだ。
美術の課題が美術館に行ってレポートを書くことだったので、部活のみんなで美術館に行くのも毎年恒例であった。前衛芸術が企画展だった年があって、それはもう好き勝手に感想や考察を書いた。壁一面の白い画板に、黒い筆で降ろしてある作品に対して、光だ闇だとこねくり回してつらつらと書いたりしたものだから、元々大嫌いだし嫌われてもいた美術教師からの評価が良くなることもなく、無駄にレポート用紙ばかりを浪費した訳である。

 

ろくな学生でなかったことは確かだが、本質的にはあまり変わっていないことを痛感させられる、なんとも言えない思い出だ。
もっとも、特に後悔等しているわけではなく、そんなこともあったなぁ、と思い返すにはちょうど良いものだ。

 

船酔いと鯵の夢

   ここにも書いた気がするが人生初の「釣り」へと参加する機会があった。釣り、それも船で行う海釣りである。

 私は乗り物酔いがひどいほうだ。ひどいほう、というレベルではないかもしれない。非常に弱い。今は大丈夫だが、車まもとより電車でも怪しい時期もあった。さすがに自分で運転するようになってからは車ではあまり酔わなくなった(それも、あまり、ではある)が、船が一番苦手であることには変わりがない。

 特に今まで乗ったことのある船は鹿児島の桜島のフェリーなどのわりと大型なものが多く、小型船というものは全くの未知数であったため、先達からのアドバイスに従い前日の夜から酔い止めを飲むという作戦に出て、当日を迎えたのであった。

 揺れているのを視認することが一番よくないとのことで、移動中はもっぱら船室にいた。船室からは外の様子はわからないので、時を利目を閉じたりするくらいで、特に気持ちも悪くならずに済んだのは幸いだった。だが、いざ釣りを始めようとなったとき、船室から出て釣り竿のある持ち場に行ってからは、あとはもう急降下、といった感じであった。

 まず釣りそのものがど素人のため、えさをつけるところから四苦八苦する。そうするとつい手元ばかりを見てしまうため、一気に気分が悪くなる。遠くの景色などを見て気を紛らわすが、あいにく釣り場が東京湾ということもあってそれほど遠くも見えず、視界の中で上下に揺れる工業地帯を眺めては気分が悪くなり、目を閉じてやり過ごすなどして何とかごまかしていた。

 

 釣りそのものに関して言えば、船酔いのことを除けば非常に面白い体験をしたと思っている。針に餌をつけ、針よりも高い位置のかごの中に魚をおびき寄せるためのえさ(イワシの細かく刻んで練ったもの)を詰め込んで、あとはそれを海に落とせば準備は完了だ。難しい動作は必要ない。海底までついたら、3巻きくらいリールを戻して、竿を振ってえさを撒く。そうしてまたリールを巻いて、えさを撒いた当たりの高さに釣り針が来るようにする。あたりがあれば、リールを巻くし、ダメそうならまた竿を振るところからスタートだ。適宜かごの中のえさを補充しながら釣っていくその繰り返しである。これがどうやら夏場に鯵を釣るときの基本動作であるらしい。

 私自身は潮流的に良いところにいたのか、すぐにあたりがあった。ただ魚が食いついているのか潮に流されているだけなのかイマイチわからず、リールを巻いてみたら重かったので鯵が食いついているのだと分かっただけだった。

 釣果は鯵4匹。4回しか仕掛けを海に落としていないことを考えれば、ひどく効率的に釣ったことになる。しかも2匹ずつ釣れているので、このまま釣り続けていたらもっと連れていたかもしれない。今になればそう思う。

 なぜ4回しかやっていないのか?

 

 それは、4匹目の鯵を針から外している段階でもう船酔いが限界になってしまったからだ。

 竿を戻し、えさを安全な場所に置き、あとはもう船室へ。途中本当に気分が悪くなり戻してしまってからはあとは2時間以上船室で死んだようになっていた。

 小型の船、それも海上で気分が悪くなると、この世の終わりの絶望を感じられる。逃げ場がない。帰れない。ならばやり過ごすほかない。

 気温35度を超える真夏日、船室には空調設備があるわけもなく、ひっきりなしに体に汗が伝い、水分補給をしようにも飲み物は竿の近くにおいてきたきり。手元にあるのは魚臭いタオルだけ。唯一の救いは直射日光を避けられることである。

 

 とまあ船上は地獄だったわけだが、それも永遠ではなく、気が付いた時には船が元の河岸へと帰っていた。

 陸に上がれるとなれば話は早い。何とか生き延びたことを感謝しつつ陸に上がると、どうやらこの日はまれにみる高波だったらしく、ほかの人たちもなんだか気分が悪そうにしていた(結果的にこの後もう飲み食いはできないと2名の参加者が帰ってしまった)。

 

 15名で釣って、結局鯵が100匹ほど釣れ、鰯や鱚を釣っている強者もいた。それをそのまま専門の居酒屋へ持ち込んで、まさにとれたてを捌いてもらって食べたわけだが、これがもうとてつもなく美味くてびっくりしてしまった。美味すぎて気分が悪かったのを忘れてしまったほどだ。

 

 聞くところによれば、やはり魚探で魚群和探し当てて向かっている以上、船の上で釣らないと、ああも簡単にあたりは来ないらしい。船と竿など一式借りられるのも船釣りでないとなかなかないとのこと。であるからして、釣りたいなら船に乗らなければならないのである。特に私のような忍耐強くないろくでなしは特に、だ。

 船酔いか、新鮮な魚か。

 

 それでもやっぱり、地獄は見たくないので、あわよくば誰かを唆してその釣果のご相伴させていただくほうが良いのかもしれないなどとこれまたろくでもない事を考える次第である。

 

 苦労をすれば必ず手に入るわけではないが、たまにはこうして苦労をしたかいがある、というのも乙ではないだろうか。

    

温泉とボードゲームの夏

 友人たちと旅行に行く機会があった。車を出してもらって伊豆は雲見温泉という場所を訪れたのだが、平日だったこともあり、人がほとんどおらず、のどかで「休暇」の感じを味わうには最適な場所だった。

 夏に温泉に行く、というのはどうだろう。個人的には、汗をかいても洗い流せるし、寒くないから露天風呂にもずっといられる快適さが好きで夏にも行くのだが、世間一般からしたら印象的にはどうなのかイマイチわからない。もし尻込みしている人がいるのだとすれば、この場を借りておすすめしたい。夏こそ温泉と。

 地域にもよるが、昨今の温泉宿には民宿であろうともエアコン完備であることが多いため部屋の中に入ってしまえば快適に過ごせること間違いない。外で汗をかき、温泉で汗を流し、ほてった体を部屋で凉ませる。その後にでも夕飯をいただくようにしておけば、もうこの上ない贅沢となろう。風呂上り、涼しい部屋で一杯やりながら地元ならではの料理に舌鼓を打つ。これをバカンスと呼ばずして何と呼ぼうか。

 であるからして、夏のレジャーとして温泉旅行もまた一興なのである。

 

 これはたまたま以前にもこの雲見温泉に泊まったことがあるため感じたことだが、どういうわけか雲見の民宿は料理を出す時間が早いのである。基本的に17時半には夕飯となり、下手をするとそれより前から早く食べに来ないかと催促される。田舎というと語弊があるが、故郷のおばあちゃんのような感じを想像してもらったらわかるだろうか、基本的にちょっとおせっかいというか、気にしたがりなおばあちゃんが多い印象である。

 となると遅くとも18時半くらいには夕飯を食べ終えてしまうため、夜が暇になるわけである。そこで我々が手を出したのがボードゲームであった。想像しやすいところでは、フィールドにコマを進めていくタイプのものや、単純なカードゲームなどで遊んだわけだが、どれもかなり頭を使うし単純かつ奥が深いものばかりで、長い夜には最適だった。この日はやらなかったが、推理ものはかなり頭を使うし、相談しながら謎を解いていく形式でわいわい遊ぶのには最適なのであるこれもおすすめである。温泉宿とボードゲームの相性は抜群、気が付けば夜遅くまで遊んでしまったように感じられるものの、スタートの時間が早いのでたっぷりと遊ぶことができる。

 翌朝は大体7時くらいと少々早めの時間にモーニングコール(特に頼んでいるわけではなく食事ができたと勝手にならされる)をいただき、朝食を食べ、部屋でダラダラとしてから宿を出る。寄り道をしながら帰ればさらに充実した時間を過ごすことができたように感じられるので良い。

 そもそもの目的が「温泉旅行」であるがゆえに、変に気張ってあれもこれも観光しなくては、という気負いがなくて良いのも温泉旅行の魅力の一つである。メインディッシュがどっしりと構えていてくれるから、昼間ダラダラ過ごそうが、変に観光しんきゃ、次はどこに行こう、行き忘れはないだろうか、などと思ってしまう必要がないのである。

 

 夏こそ温泉旅行。そしてボードゲームをして過ごすのはいかがだろうか。普段いかないような渋い温泉宿に足を運んでみるのも一興、いつも通っているような行きつけの場所へ向かうのも一興。暑い夏を乗り切るために少しゆっくり過ごしてみてはいかがだろう。

青春18きっぷ

青春18きっぷとは、日本全国のJR線の普通・快速列車が乗り放題になるお得な切符の1つである。バス代行などで使われているBRTやJR西日本宮島フェリーにも乗ることができて、まあつまりは期間限定の乗り降りし放題切符というやつである。特急や新幹線に乗れなかったり、販売期間と利用できる期間がある程度決まっていたりとなかなか運用するのは難しいものの、値段が2018年現在で11,850円と5日間使えるには非常に安い値段であるために鉄道旅行では何度もお世話になっている切符である。
ルールやテクニック等はかなりいろいろと細かいものもあるので詳細は省くが、慣れて仕舞えばなんてことは無い、とても便利な切符である。

 

学生時代、特に大学生の時は何回も買って利用した。初めて買った時は、確か京都府祝園駅から使って関西本線などを経由して伊勢に行き、その翌日また亀山から関西本線経由で奈良県の五條駅まで乗って行った。サークルの合宿の集合場所が五條駅だったので、そこに合わせて観光の予定を組んだわけである。合宿の解散が和歌山県串本駅だったのでそこから名古屋まで出て泊まる予定が、地震が起きて乗っていた電車が遅延してしまい、和歌山県から出ることすらできず新宮駅にて足止めを食らってしまうなどしたのが思い出深い。新宮駅JR西日本JR東海の境界の駅だったため「他社の電車とは接続しない」というなんとも言えないルールにより乗るはずの列車が先発してしまい、たった5分遅延しただけの列車からの乗り換えが果たせず事実上の終電となってしまった。時刻はまだ17時とかそこらだったと思う。

大阪方面の特急がまだあったが、青春18きっぷを使わないとなると7410円を単純に上乗せして払わなければならなくなる事に尻込みしてしまい、結局新宮駅にて宿泊する事にした。テレビ局からの取材を受けたり、同じ行程だったサークルの3つ上の先輩と一緒の部屋に泊まる事になったりと終わってみればなかなか面白い体験をしたものだが、当時は電車がないと聞いた時はかなり呆然としたものである。

 

それ以降は一本逃したら終電、というような行程は組まなくなった。あるいはリカバリー可能というか、保険をかけられるくらいの気持ちを持つようにもなった。東北の内陸を一周してみたり、九州を一周してみたり、廃線前の三江線に乗りに行ってみたりとかなり多くの場面で18きっぷを活用してきて今に至るわけである。

 

さて今年も夏の青春18きっぷの季節がやってきた。


今年はどこへ行こうか。新幹線で行こうか、特急を使おうか、観光列車を使おうか、それとも、青春18きっぷを使おうか。


学生ではなくなったが、相変わらず選択肢の1つとして青春18きっぷはそこにある。