言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ラーメンライス

このところ「ラーメンライス」をしなくなっている事に気が付いた。ラーメンライスとは読んで字のごとく、ラーメンと共にライスつまりご飯を注文し、一緒に食べることである。昔はこれが好きで、ラーメンを頼めば同時にご飯も頼んでしまうのが通例であった。炭水化物に炭水化物で押収する、身体には非常に悪い組み合わせである。それがすごく好きで、必ず頼んでいた時期が私にもあったのだ。
きっかけはもちろん己の食欲であった。食べざかりの私は、運動部に所属していたこともあってラーメンの並盛りではお腹を満たすことができなくなっていた。そうしてまず初めに手を出したのが大盛りだったのだが、これがあまり定着しなかった。早いうちに飽きがきてしまうので、後半変化を付けてももてあまし気味になってしまっていた。
そこで目を付けたのがラーメンライスである。ラーメンのスープをかけて食べることでラーメンそのものを「おかず」にできる。海苔にスープを染み込ませてからご飯を巻く事もどこかでやってみたらとても美味しかった。豆板醤をスープに入れるのではなく、ご飯の方に乗せて降りてスープをかけるのも辛みがボケずに強烈に効いてくる感覚が良い。
こうしていろいろと試行錯誤しているうちにすっかり定番になったのが、私の中のラーメンライスであった。

結構な割合で、白いご飯ではなくチャーシュー丼のような物を出す店がある。あれは美味しさではかなり期待値も満足度も高いので本当は頼みたいのだが、店によってはそれだけで300円くらいする時があるので、なかなか手が出ない。親に連れて行ってもらっている間は何も考えずに頼んでいたが、いざ自分で払うとなると尻込みしてしまう、そう言う存在である。
ラーメンではなかったが、今はもうなくなってしまった横浜ヨドバシ地下の刀削麺の店のランチセットで頼めるザーサイごはんのボリュームとコスパを思い出す。あれも麺とご飯との組み合わせだ。
麺とご飯の組み合わせは禁断の味、悪魔的魅力を醸し出す味である。これは今でも変わることはない思いである。しかしながら時の流れというか己の衰えは早いもので、すっかりラーメンライスの類のものが「入らなく」なってしまいつつある。食欲が育ちざかり食べざかりのそれとは異なり、余計に頼んだライスをそのまま持て余してしまうのだ。
麺を減らしてでもライスに在りつきたいか、と言われればそうではないので、その結果近頃めっきりラーメンライスを食べなくなってしまったのである。

ただし、一店舗だけ、例外が今でも存在する。
もう10数年通っている味噌ラーメンの名店があるのだが、そこの「Bセット」の小盛り肉丼だけはどうしても辞めることができない。あっさりした味噌ラーメンであることも相まって肉丼もペロリと平らげることができてしまう。絶品なのに、単品メニューはないため「Bセット」を頼まなければ絶対に食べることができない品とあって、これだけは外すことはできない。もうここ数年はメニューを見るのは「Bセット」を注文した後になるくらいはこのメニューの虜になっている。

さああとどれくらい食べ続けることができるだろうか。
はたまた、何かのきっかけで他の店でもまたラーメンライスを再開することとなるだろうか。

お腹をすかせて、いざラーメン屋へ入店すべし。