言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

夏休みの宿題の思い出

学生時代、特に小、中学生くらいだと夏休みにはたくさん宿題が出た事だろう。「宿題を早く片付けるか」「毎日コツコツやるか」「やらずに最後にまとめてなんとかするか」とかなんとかいろんな派閥があった気がするが、果たして私はこの内のどこに当てはまるのだろうか、と考えた時にあまり思い当たるものがなくはてさてと考え込んでしまったわけである。

 

特に小学生時代について、苦労はしていたはずなのだが、どうこなしていたかあまり思い出せない。低学年の時、絵日記の宿題が出てそれを放置して最終日に適当にでっち上げたのはなんとなく覚えている。絵日記は低学年でなくなり、代わりに毎日の天気を記録するカードがあってそれも1週間ずつくらいまとめて書いていた気がする。学校から持って帰って来た植物類は観察する課題があり、一度旅行から帰って来たら見事に立ち枯れていて大いに焦った記憶がある。まあその時は枯れたんだから仕方ない、むしろ変化はないのだからこれで観察しなくて済む、くらいに開き直っていたが。

漢字練習やら計算ドリルやらは母の監視の元夏休みの中盤くらいでこなしていた。だいたい8月に入ってからが宿題をする本番だったはずだ。なぜなら、我が家ではお盆ではなく海の日あたりから1週間程度で旅行をするのが定番だったので、帰って来てからさあ宿題だ!となるわけである。幸いというかなんというか、遠方への帰省というものはなく、徒歩10分か電車で1時間かの2択だったので、両方に泊まりで遊びに行っても大したロスにならなかった。だから8月はとりあえずドリル系の「やればなんとかなるもの」をこなして、その後で自由研究なりなんなりを進めていくスケジュールだった。そして日記系は知らず知らずのうちに放置されていた。
自由研究はまったく何をしたか覚えていない。創作性に富んだ物など出したことがない。調べ物をして出した年があったのをうっすら覚えている限りで、後は絵の得意な祖父に7割手伝ってもらって絵を描いたりして出した記憶しかない。一度何かの間違いで表彰されてからはそれもやらなくなった。あの時は生きた心地がしなかった。絵など得意ではないのに。

中学生になると、今度は夏休みはほとんど全てが部活だった。そしてその合間を縫って塾の夏期講習へ通っていた。中学の宿題はいくつかやらずに出して9月に(確信犯的に)慌ててこなしていた記憶がある。特に数学の宿題は回答のあるものはほとんど写して、適宜間違えたり消した後をつけたりして偽装していたわけだから、嫌な少年だったわけだ。
美術の課題が美術館に行ってレポートを書くことだったので、部活のみんなで美術館に行くのも毎年恒例であった。前衛芸術が企画展だった年があって、それはもう好き勝手に感想や考察を書いた。壁一面の白い画板に、黒い筆で降ろしてある作品に対して、光だ闇だとこねくり回してつらつらと書いたりしたものだから、元々大嫌いだし嫌われてもいた美術教師からの評価が良くなることもなく、無駄にレポート用紙ばかりを浪費した訳である。

 

ろくな学生でなかったことは確かだが、本質的にはあまり変わっていないことを痛感させられる、なんとも言えない思い出だ。
もっとも、特に後悔等しているわけではなく、そんなこともあったなぁ、と思い返すにはちょうど良いものだ。