言葉のリハビリ場

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線香花火

線香花火の国産業者は一度絶滅しているらしい。というのも、外国産の線香花火の方が圧倒的にコストが安いからという単純な理由からであり、まあ多くの人が国産かどうかについて考えて花火を買わないように思えるので、それも当然と言うかそんなものかくらいに思っている。とはいえ絶滅したのは10年ほどの期間だった程で、今ではちゃんと国産品の業者もいるようだ。たぶんそんなに変わらないとは思うけれども。

花火の中でも線香花火はわりと大人しい部類であると思う。それはまあ昨今の花火たちがかなりアクティブ(?)に動き回ったりするものが多いからだろうか。花火大会に行かなくても、ある程度のものであれば打ち上げ花火も出来るような時代だ。夏休みにそれこそ山中湖や河口湖南下に行けば、大学生が花火を打ち上げて遊んでいる様子が見られることだろう。ロケット花火なんてのもあるが、あれは音がすごいのと人に向けて打つような悪質な行為が多いせいであまりいい印象がない。住宅街で打ち上げる奴はいなくてもロケット花火はぶっ放す奴が多い気がする。さすがに偏見か。

線香花火は大人しい。まず立ってはやらないだろう。しゃがんで、あるいは座り込んで行うものだ。風に弱いので当たらないようにするのもセットだ。花火にしては繊細なのだ。というよりも花火というのは元来繊細なのだ。あの膨らんだ橙色の球体から、パチパチと音を立てていく筋も枝分かれする様がなんとも風流である。派手に花火を飛ばして遊んでいても、線香花火となれば思わず見入ってしまうものだ。

大規模な打ち上げ花火も良い。ただしあの花火大会という奴はどうも苦手だ。人が少なければ良いが、多い場所へ出かけて行くのは何とも気が進まない。花火を見ること自体は好きだし、近くで見れるならばなおのこと良い。しかしながら屋外で人ごみの中見上げるのには気象条件的に夏の花火大会はかなり辛いものである。できれば涼しい屋内でゆっくり見られればいいのに、とは思ってしまう。
そういう意味では沖縄のリゾートホテルで夜中に打ち上げるような花火は気軽で良い。湿気が少ないからか夜はそれなりに気温はあれど涼しさを感じられるし、夕陽を堪能してその後花火を堪能するという構図が良すぎる。これぐらい整っているととても良い。しかしこれはまあそれだけの対価、つまりコストを支払っている結果である、贅沢だと言わざるを得ない。

そういえば、何故花火は夏にやるのだろう。特に線香花火ならば夏でなくともいいような気がする。冬に線香花火をやっても、例えば寒すぎなければ結構楽しめるように感じられる。
考えて見れば面白いもので、花火をすることはたぶん暑さを忘れるとか涼をとれるとかそう言った事はないはずである。花火が夏に多いのは暑さとは関係がない気がする。冬にやってもいいのだ。寒いとか以前にイメージが邪魔をしている。花火は夏だとなんとなく思いこんでいるようなところもある。

そう言う意味では線香花火はささやかで良い。下手をすればマンションのベランダでも出来る。
静かに線香花火をゆっくりと楽しむような、趣のある夏を過ごしたいものだ。

ちなみに私は昔、沖縄へ向かう飛行機に花火を持ち込もうとして全部没収された、哀しい思い出もある。