言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

同じ映画、何度も見ますか?

同じ映画を何回も見たいと思う時がある。
多い時は2度、3度と見に行く。何度も見る。なぜか? と言われても言語化するのは結構難しい。無理に言葉にすると「良かったから」なのだけれど、あのシーンをあの場面を、あのセリフを劇場のスクリーンで見たい。そんな気持ちを上手く言葉にして表現するのは難しい。ただまたあの時の感覚を体験したい。再体験したい。そんな気持ちになっているから何度も映画館に行くのである。

私はいわゆる「映画好き」の人間ではない。どちらかと言うと普段はあまり見ない方だ。ライブビューイングのために映画館に足を踏み入れる方がずっと多いくらいである。だから他と比べてどうとか、他と比べての良し悪しとかはよくわからない。純粋に気にいったかどうかとか、きっかけがあったかどうかとか、そういう基準しか持っていない。
だからこそ、好きだ、と思った作品に出会った衝撃というものはとても大きい。何度も何度も繰り返し見たくなる。見る度に好きになる。何度も衝撃を思い出しては映画館に足を運ぶのである。知らなかった頃には戻れなくなるのだ。何も知らなかった頃と、見てしまった、出会ってしまった後とではもう違う人間になったかのような、そんな感覚。巨大な感情が渦巻いて自分の中をぐるぐると駆け巡っているような感覚に襲われる。

物語は劇薬である。これは映画に限らず、物語と言うものは劇薬なんだと思っている。

映画館の広いスクリーンで見る映画はインプットされる情報が多い。知らないうちに見落としていることもある。何度も見るのはそうしたことに気が付いたり注目してみたりしたいという意図もある。
また原作のある作品であれば、原作に手を出してまた見に来るというパターンもある。多くの場合、映画では語られていない内容とかが補完されているので面白い。別の物語を映画で展開していることもある。どちらが正しいかとかではなく、違いをまた感じに行くのも良いものだと思っている。この小説から上手く映像化したんだな、なんて思ったらもう2度目の鑑賞のチケット手配に移っている、そういうものである。

本当に気に入った作品はBlue-ray(以下BD)を買うこともある。買うけれど、大抵映画のBD化は半年後とかそれくらい後だ。今見たいと思ったら劇場に足を運ぶ、それが正解。
映画を映画館で見られる期間と言うのは限られている。上映期間は無限ではない。まして、社会人にとって映画を見に行ける時間は限られている。だから何度も見に行くし、見に行くスパンは自然と短くなる。プライベートに使える時間が短くなっても、優先度が一気に繰り上がって、時には翌日の睡眠時間が気になるような時間に見に行く事さえある。それはやっぱりその映画が好きだと思ったから。

映画館の音の良さと言うのは、無音部分にあると思っている。映画の表現として、不意にBGMや雑音が消えるような演出がなされる場合があるけれど、あれを映画館で体験するのは本当に好きだ。BDで再現するのは結構難しい。家に素敵なホームシアターがあるわけではないし、素晴らしいヘッドフォンがあるわけでもない。だからできるだけ見られるときは映画館で見たい。そう思ってしまうのだ。
BDにはBDの良さがある。いつでも止められる。いつでも戻せる。一人でもじっくり見ることができる。気になっていた部分を検証したりするのにも最適だ。買ってしまえばずっと残るのも良い。家だとなかなか腰を据えてじっくり鑑賞する時間を取るのは難しいけれど、分割したり止めたり巻き戻したりでとにかく自由で誰にも邪魔されない空間を作ることだって出来る。それは素晴らしいことだと思う。


ということで、来週もまた映画、見て来ます。