言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

歩くこと

歩くことは嫌いではない。むしろ好きだ。特に鉄道旅行をしている時は必要以上に歩くことが多い。

 

青春18きっぷのように乗り降りし放題な切符を使っている時は、駅で電車を待つ時間が長くなれば改札を出て散策に出かける。次の電車が来るまで1時間。ならば駅の周りを散策してみよう。

歩いてみるといろいろな発見がある。もちろん収穫のない時もあるが何もない事も収穫だ。いろいろと調べてから散策するもよし。山形県新庄駅に寄り道した時は、「100円商店街」で話題になったアーケード街を調べてから訪れた事があった。あれは調べて行ったからこそたどり着けたわけである。

かと言っていつも調べて行くわけでもない。何があるかわからないけれど、とりあえず歩いてみる。それはそれで面白い。街があればそこには生活がある。それを勝手に想像してみるだけでも面白い。駅横の生鮮市場は地元の買い物の場も兼ねてるんだな、とか、駅の近くには店が何もないのはきっと本数が少なくて不便なんだろう、とか。もっと適当でもいい。最寄りのコンビニまで車でどれくらいかかるんだ? とか、ここまで来ると通販でなんでも揃えるのが楽だろうな、とか、でも庭付きの広い戸建てがたくさんあってちょうどいい郊外感だな、とか、この小川は小さい子供が遊ぶには楽しいだろうなぁ、とか。好き放題に考えるだけで楽しくなって来る。ここで生まれてここで過ごしていれば、きっとこれが当たり前なんだろうな、と至極当たり前のことを思いながら、だ。

歩いていると思わぬ高低差に驚く事もある。なんだか足が重いと思えば微妙な傾斜の上り坂であったなんてことはざらにある。

変に道が曲がっていると思えば、神社があったり城跡だったり、何が歴史的な名残があったりする。

それをまた、後から地図でなぞりかえしてみるのもなかなか面白い作業である。図面上で見て、改めてその歴史的な名残の全体像を把握したり、等高線を見て見たり、あるいは歩いただけではわからなかった発見があったり。

もっとも、歩くことは運動不足の身にはなかなか疲れることではある。こんなに暑い日だと尚更だ。
だから決して無理はしすぎない。時折街を見下ろせる展望台に登りたくなったりすることはあるが、それはまあ例外で、その他はできるだけ無理をしないでいるようにしている。
歩くことが目的ではなくて、旅をすることが目的であるからだ。誰かに強いられているわけではないから、好きなようにやればいいのだ。私はいつもそうして適当に歩くわけである。
休憩と称してその場その場でカフェに入ったりおやつを食べたりするのはそのためである。そこで思わぬ名物に出逢えたのなら、もう言うことはない。