国道4号制覇の旅
日本一長い国道、というのは国道4号線らしい。
起点は東京日本橋で、終点は青森市の中心部にある青い森公園の前にある。
バイパスなどの開業で実延長とか総延長いろいろあってややこしいが、実延長742.5kmというのは東海道を結ぶあの国道1号(649.3km)よりもだいぶ長い道路だ。
東京→埼玉→茨城→栃木→茨城→栃木→福島→宮城→岩手→青森、という順で主に関東から東北の内陸部を縦断していくような路線だ。
先日、この国道4号を車で制覇しようという企画があり、参加してきたのでその時の様子をお伝えしたい。
東北自動車道が開通しているためそちらを使って移動することもできるわけだが、ここは敢えて国道4号にこだわって走破していこうという企画である。
参加人数は私を入れて4名。いつものあれ↓を一緒にやっているメンバーだ。
ブログで使っている名称などを鑑みて、必要に応じて
・友人A
・友人G
・友人Y
としたいと思う。
まあ区別がつかなくてもさほど問題はない、はず。
計画は単純だ。東京日本橋を金曜日の夜に出発する想定で集合し、翌日土曜日のうちに青森にまで到達する。ただそれだけである。
宿泊地は後の行程のことも考えて青森県のむつ市だが、土曜日の夜チェックインで予約をしてしまった。なので、我々はほぼ丸一日で国道4号を全制覇し、むつ市のホテルに宿泊しなければならない、ということになる。
この話を事前に八戸に住む友人に話したら、「正気ではない(意訳)」というコメントを貰ったが、まあ実際その通りだろう。高速道路を使ったとしてもこの道のりは結構長い。
だって、総延長742.5kmだ。よく考えて欲しい。高速道路ではない普通の国道をひたすら700km以上走り続けるというのは普通に考えて無茶苦茶だ。
新幹線だって東京から新青森までは3時間は掛かる。742kmの道のりを仮に常に60km/hのスピードで走り続けても12時間は掛かる計算だ。高速道路を使ってもかなりの時間を擁するのに、下道でとなるとまあ想像するだけで過酷だということがわかる。
というわけで、我々も策を練った。
ロスをなくすために代わる代わる運転するようにしよう、と。
まあ、なんてことはない。後部座席で寝ている人と運転及び助手席の人とで別れていれば、途中停車を伴う休憩などを減らせるのではないかということである。
今回はレンタカーを借りる方針で計画をしていたが、後部座席で寝やすいようにと大型のアルファードを選択した。4人の行程での7人乗りの車なので、3列目のシートを別の用途に活用できることになる。人が座る想定がないので2列目の座席は下げ放題倒し放題、荷物もトランクではなく座席に置けるという親切設計だ。縦にも横にも長いので居住性が抜群であり、このような企画にはぴったりの車だった。
まあもっとも、1日で742.5kmもの距離を下道移動しなければならないという事実には変わりがない。
後はもう「頑張るだけ」ということだ。
なお、私以外の3名は自家用車を所持しており、私の数倍運転に慣れている。私は車はないのでたまにレンタカーで運転する程度なので、今回ほとんどそういう意味では戦力になっていない。私は全然運転していないのだ。
一緒に戦った、というよりは連れて行ってもらった、という表現の方が近いと思う。
そんなわけで、時は2024年9月20日(金)。
仕事終わりに、先に車を借りてくれた人の家に押しかけて、企画の開始時間を待った。
≪2024年9月20日(金)≫
普通の平日だったので、18時までは仕事をしていた。17時半が定時なのだけれど、金曜日は17時からの会議があるので定時では帰れず、18時頃に退勤。
荷造りはしてあったので、まずは友人Aの家に向かった。
本当は一緒に車を借りに行く予定だったが、早めに借りられたということで途中駅で拾ってもらう事に。
他2名との合流は22時半頃の予定だったので、ちょうどいい時間になるまで友人A宅で時間をつぶした。
ちなみに今回、レンタカーは乗り捨てではなくちゃんと返しに行く想定があったので、荷物などは多少多くても帰りに家に横付けすれば積み下ろしが簡単であった。友人Aは簡易的な枕(クッション?)を車に積み込んだりしていた。
準備と時間つぶしを経て、22時過ぎに東京駅に移動。
首都高から直接入ることのできる八重洲の地下駐車場に車を止めて、残りの友人たちを東京駅に迎えに行った。
22時半頃に残りの2人と合流し早速乗車……ではなく、まずは国道4号の起点を見に行くことに。
国道4号の起点は日本橋なので、八重洲口からは徒歩圏内である。とはいえまあ片道10分程度はかかるので、一度車に荷物を置いてから歩いて日本橋へ行くこととなった。

日本橋には「日本国道路元標」という国道7本分の起点を示す印がある。あいにく道路の真ん中にあり、写真を撮りに行けるようなものではないので遠くから写真を撮る。

それだけでは味気ないので、橋のたもとにはレプリカがあるので見に行った。

日本橋自体は何度か歩いて渡ったことはあるが、「これから国道4号を走破するんだ」と思うと、里程標なども意味を持って立ち上がってくるというものだ。だって本当にこれから青森まで行くんだから。

「粁」というのはkm(キロメートル)のことだ。つまり、青森市までは736km先……国道4号が742.5kmの道のりなのだからこの数字は疑いようもなく正しいということになる。
スタートの記念として4人で写真を撮り、八重洲の駐車場へと歩いて戻った。
……戻ろうとしたのだが、ここでちょっとしたトラブルが発生する。
日本橋で写真を撮った時の時刻が22:57ということで、八重洲に戻る頃には23時を超過してしまっていた。
車を止めていた地下駐車場は八重洲の地下街の真下にあるのだが、この地下街、営業時間が23時まで出会った。そのため、通常の出入り口が利用できなくなってしまったのである。これは盲点だった。
隣の駐車場から行けないか試したり、別の入り口がないか探したり……などとたっぷり30分、駐車場の入り口を探す羽目になった。

結局、1か所だけ23時以降でも入れる場所を見つけて無事に車に乗り込んだ時、既に時刻は23:30となっていた。
これから742.5kmの道のりが待ち受けているというのに、出発前からしっかり時間を使ってしまった。
そうして今度は車で日本橋を通過し、国道4号制覇の旅が始まった。
<23:43 日本橋通過>
※時刻表記は出発時間をベースに記載する
運転は友人Y。私は助手席に座っていたので、日本橋通過の瞬間を動画に収めるなどしていた。
国道4号は日本橋を出て割とすぐ(新日本橋駅のところ)右折し、首都高にぶつかったところで左折している。ここから先は都内では分岐がないことも考えると、なまじ起点が日本橋であるための措置なんじゃないかという分岐具合だ。江戸橋JCT方面は東京都道316号ということで割り振られているが、道の広さなどは国道のそれである。日本橋が起点という縛りがなければきっと国道4号は新橋あたりだったんじゃなかろうか。
それよりもなによりも、国道4号の旅である。
正確な瞬間は覚えていないが、上野駅を左に見ながら進んでいるときにはたぶん日付が変わっていたんじゃないかと思う。
≪2024年9月21日(土)≫
繰り返しの確認になるが、この日の宿は青森県むつ市である。0時現在で未だ東京日本橋を出発して幾ばくか。長い旅は始まったばかりだ。
東京都内は特にこれといったイベントもなく、車内でくだらない話をしながら時間が過ぎていった。分岐も最初の2箇所だけで、それ以降はひたすから北上していくような進路だった。特に足立区内などはほぼほぼまっすぐに線形で、多少車が多い場面はありつつも快調な進み具合だった。
埼玉に入る手前から道路がバイパスになりより快調に進みだす。途中、草加あたりのローソンのところで盛大に事故っている車がいたのを見たりしたが、渋滞や通行止めを伴うようなトラブルはなく、スムーズに進んでいく。
<0:53 セブンイレブン 越谷平方山谷店 日本橋から31.2km>
この時間というのは金曜日の夜の延長のような時間であるのでまだまだみんな元気だ。全員同時にへばってしまってはマズいので交互に運転しようという話はしていたが、ここではまだ交代はしないことになった。
この後夜食を食べる予定があったのだが、夕飯を食べずにいた私はどうしてもお腹が空いてしまったのでここでおにぎりを買って食べた。目指していた店までまだ40kmくらいありそうだったので、このまま粘るのも違うかと思ったのだ。
他の友人たちと比べて食べる量は一番少ない私だが、空腹に対する許容値については私が一番低いかもしれない。まあ夕飯を普通に食べているのかもしれないが、皆は。
買い物だけを済ませ、特に長い休憩などはせずに、すぐに出発した。
次の目的地は夜食のラーメン屋と決まっていたので、店舗の場所を調べつつ、車を走らせていく。信号のほとんどないバイパス区間に突入していたので、さらに快適な道のりだった。
途中、埼玉県を抜けると、次は少しだけ茨城県に入る。五霞(ごか)と古河(こが)と続くので紛らわしいとかなんとかそんなことを話したような記憶があるが定かではない。
この区間も特に支障などなく、あっという間に栃木県に入った。
目的地は栃木県に入ってほどなく現れた。
夜中、国道沿い、ラーメン、赤い看板。
そう、「ラーメン山岡家」である。
国道4号沿いにももちろんあるのだ、山岡家は。

<1:38 ラーメン山岡家 小山田間店 日本橋から70.1km>
山岡家というラーメン屋はチェーン店なわけだが、夜中まで営業している店舗がほとんどである。私は昼間よりも夜中か早朝に山岡家に行くことが多い、というか明るいうちに山岡家に行くことはほとんどない気がする。大抵夜中か早朝。でもそういう時間に食べる山岡家が一番美味しいと思っている。
どうせこの後の道のりも長いということで、ここで夜食を摂ることにした。

夜中に食べる特製味噌ラーメンは最高に美味しかった。一人でなかなか夜中にドライブをするという機会がない(車を持っていないので)ので、こういう機会でもないとなかなか夜中の山岡家には行かない。だからこそ余計に美味しく感じる気がしている。
美味すぎて、食後1時間後に山岡家川柳を詠んでしまった。
「みちのくに 想いを馳せて 山岡家」
国道4号の旅と山岡家を掛けたということで、車内ではなかなか好評だった。
山岡家公式で川柳とか応募してないのかな? まあ応募していても別にみちのくに想いを馳せる意味が伝わらないと思うのでどうにもならないとは思うが。
そんな形で楽しくやっていたわけだが、午前3時を過ぎていよいよ眠気が出てきた。
普通に一週間仕事をした金曜日ということもある。このあたりで運転手を交代して助手席の私共々後部座席に引っ込むこととなった。
今回3列シートの車を4人で使っていることもあり、3列目には誰も座っていない。なので、2列目の座席は下げ放題、倒し放題である。この運転手交代の相談をする前に、座席をどれだけ倒せるかなどの実験は既に後部座席で行われており、かなり快適に寝られそうだということがわかっていた。
栃木県区間が終盤に差し掛かり2車線区間に突入し、ここからきつくなるぞ、などと無理やり見どころを作ったりしていたが、その後また山を越えたら車線が復活してきたりとそろそろ限界に近づいてきており、じゃあもう次のコンビニで前後のメンバーを入れ替えよう、ということに相成った。
そろそろ戦略的交互休憩が必要だ、ということである。
<3:35 セブンイレブン 那須塩原黒磯バイパス店 日本橋から164.4km>
友人Yから友人Aに運転手が変わり、私は助手席から後部座席に移った。
フルフラットにまではしなかったが、座席をたくさん倒して……あっという間に寝た。
私はこの先の福島県区間の記憶が一切ない。それはもうぐっすりと寝た。
2回ほどコンビニに止まったのはなんとなく覚えているが、目を開けることもなくそのままやり過ごした。
200kmポストなどの見どころはあったようだが、ガッツリと寝ていて見逃した。
はっきりと目を覚ましたのは、だいたい3時間が経過した6時半過ぎだった。
いつの間にか強めの雨が降っており、車内にも雨音が響き渡っていた。場所を確認すると福島県を通り過ぎ、宮城県へと差し掛かっている。
丁度丸々福島県区間を爆睡した、ということになるわけだ。
ちなみにその間ずっと友人Aが運転をしており、走行距離は140kmを超えようというところであった。助手席で友人Gも寝ていた時間があったらしく、交代のタイミングがなかったらしい。
福島県が終わり、全員起床したということで運転手交代が行われることになった。
<6:47 ファミリーマート蔵王宮店 日本橋から310.7km>
宮城県である。朝の段階で宮城県に入ったということで「案外早いな」と私は思った。思ったのだけれど、なんだかんだで出発してからは7時間近く経過しているわけであるのでこの感覚はわりと誤っている。朝=1日の始まりという図式だけでなんとなく余裕がありそうに思えているだけで、実際はまだ行程の半分にも達していない。
また、このあたりから外の涼しさというものが気になるようになってきた。前日の東京の最高気温は35℃近くある真夏のような日だったが、この日の東北地方は全般的に天気が悪いこともありかなり冷涼だった。いきなり20℃くらいの気温に放り込まれてしまったため、ギャップがなかなか凄かった。
私は割と平気(そもそも真夏でも2枚は着ている)なほうだったが、一番ペラペラな半袖だった友人Yは外に出るたびにかなり寒がっていた。
友人Aから友人Yに運転交代し、再度出発……したのだが、割とすぐにトイレに行きたくなるなどしてローソンに車を入れたりもした。
国道6号との合流地点(ニトリ岩沼店のある交差点)に差し掛かった時には動画を取るなど多少の盛り上がりを見せていたが、さすがに後部座席のメンバーはそのあとすぐ寝入っていたように思う。
朝7時台の仙台市付近の国道4号はさすがに交通量が多く進みがやや鈍るなどしたが、それでも直接仙台駅方面には向かわないという道路事情も相まってそこまで気になるほどのロスはなかった。
どちらかというと8時過ぎくらいに一度国道4号を逸れて八乙女方面のファミリーマートに車を入れたりしていた時間の方がロスはあったが、まあそれも微々たるものだ。雨が降っていたので特に降車して何かしたわけでもなく、友人Yがコンビニで朝食を調達したくらいである。
同じ地点から国道4号に復帰し、再度淡々と国道4号を北上していった。
国道4号は割と都市部を通っているせいなのか、沿線に道の駅があまり存在しない。
というかまあ道の駅というものがここ20年で倍増したものであるため、地方部の方が新設されやすいという事情があるのだろう。
そんな国道4号沿いの宮城県唯一の道の駅、三本木に寄って休憩をすることとなった。

土砂降りの雨の中、道の駅の駐車場から建物まで走って、まずトイレに行った。
その後朝食でも調達しようかと思ったら、トイレに行った建物と売店のある店舗が別で、また雨の中駐車場を走る。
夜中にラーメンを食べて以降飲み物以外は特に口にしていなかったので、道の駅の売店で総菜パンを買って、朝食とした。
道の駅のお土産コーナーに混ざっている地元のパン屋の総菜パンというのはわりと「道の駅あるある」だと思うのだけれど、食べてみるとやっぱり美味しいものだ。名物とかではないと思うのだけれど、こういう時ありがたいものである。
普段の旅行だと道の駅に来るときはお土産を買うとか普通に腰を据えてレストランで食事を摂るとかの方向に行きがちなので、売店で地元向けっぽい食料を手に取って買う、というのもなかなかレアな体験であると言えるかもしれない。少なくとも私にとっては。
道の駅で休憩した後再び北上……したのだけれど、出発後、我々はすぐにある施設に吸い込まれていく。
<9:58 テレトラック三本木 日本橋から388.9km>

テレトラック、とはまああれだ、場外馬券場の一種である。地方競馬が主催している場外馬券場であるが、中央競馬開催時にはその馬券も発売してくれる施設である。
せっかくの国道4号沿い施設ということで、寄らない手はない。
建物は巨大なのだけれど、入り口が限定されていたり、内部を適当にパーテーションで仕切ってあったり、わりと空調とか配管とかがむき出しだったりする様子からどうもスーパーか何かの居抜きじゃないかと思う。とはいえオープンしてから20年くらい経っているようなので、調べてもそのあたりはよくわからなかった。
朝10時前という時間帯であったが、この時間からちょうど競馬開催が始まっている……ということで、休憩がてら1レースだけ勝負していくことになった。これからまだまだ続く道のりに向けての運試しというわけである。

まあ結果は誰も大きな当たりはなし。そんなもんだ。
気を取り直して我々は再び国道4号を北上し始めた。
走り始めて割とすぐに日本橋から400kmを示す看板があったりして、動画に収めるなどした。普通に走行中だったので一瞬しか見られなかったが、いつの間にか半分以上は来ているんだなという実感は確かにそこにあった。
……宮城県の北部に差し掛かろうかという段階でまだ半分を超えたところなのか? という気持ちもあったけれど。
このあたりの道路はバイパスという名前が付いていたりはするものの車線としては片側1車線ずつの道路であり、あまり距離が稼げない時間が続いた。片側2車線あると大型のトラックなどを抜く余地があるが、1車線ずつだと遅い車の後ろについてしまった時にどうしようもない。
県境区間などはだいたい山越えのような形になっているので、登坂車線やゆずり車線などを活用しつつ先を急いだ。
400kmを超えてそろそろガソリンが少なくなってきたので、宮城を抜けて岩手に入ったタイミングで給油をすることになった。
<11:36 出光セルフR4一関 日本橋から440.8km>
岩手に入って山を下ると、道が開けて片側2車線道路になったタイミングでガソリンスタンドが見つかったので、給油をした。さすがに400km以上走行しているとガソリンもなくなるものである。
アルファードってこんなにガソリンはいるんだな、というのと、そんなに入るのにこんなに減ったのか、という両方の気持ちで、上がり続けるガソリン料金の表示を眺めた。
感覚がすっかり麻痺してしまっていたが、そもそも普通に車で400km以上の距離をレンタカーで連続走行することはなかなかないことである。一人で200kmとかを運転すると「今日は結構走ったな」と思うので、400kmというのはまあかなりの距離だ。それも下道だけで。
県境を越えたという丁度いいタイミングだったので、運転手も交代となった。友人Yから友人Aへの交代である。この2人については長距離運転の経験が豊富であり、まあ要するに異様にタフということもあってメインの運転をずっと担っていたわけである。
車の給油が終わったところで、人間の方もそろそろ食事が摂りたいという話になる。
日中帯なので、普通の店も開いているので岩手名物を食べることが可能である……ということで、昼は盛岡冷麺を食べに行くこととなった。幸い、盛岡冷麺が食べられる店というのはチェーン店でいくつか存在する。とはいえ距離も稼がなくてはいけないということで、奥州市まで北上して「焼肉・冷麺ヤマト」の水沢店を目標に定めることとなった。
一関インターにも店があったが、国道4号沿いではなかったので選択肢には上がらなかった。むしろ、冷麺とは関係のない「ラーメンショップ」の方が車内では話題にあがっていた。国道4号沿いに店舗があるラーメンショップ平泉店は日本で一番美味いとも言われている有名店舗らしく、ここに行くのもありだな、という話もあった。
ただ、実際に店の前を通過した時には行列ができており、「これはさすがに無理だな」ということで話は立ち消えとなった。行列のできるラーメンショップ、いつか入ってみたいものだが、昼時に行列しているのを見ると結構時間帯とかも考えて行かないといけないのかもしれない。
そんな話をしながらさらに進んでいくと、平泉の街が近づいてきた。有名な中尊寺金色堂などははさすがに道を結構逸れることになるので見に行く余裕はなかったが、手前にある松尾芭蕉の句碑くらいなら見に行けるのではないか、ということになり道の駅平泉のところで一旦国道4号を逸れてみた。
松尾芭蕉が平泉で詠んだのは「夏草や兵どもが夢の跡」という句である。奥州藤原氏の栄華や源義経を偲んで詠まれた句であり、過去の栄光が消えていくような無常観が込められたものだが、我々はよく「ライブ後の誰もいない静まり返った会場」に当てはめて時の流れの無情さを感じるなどしている。
ということなので見に行こうかと思ったのだけれど、句碑のある「高館義経堂」が有料施設であることと、相変わらず雨が降っているということで結局ここは見学はせずに元の国道4号に戻ることとなった。そんなに時間もないし、あとまあ結構寒いしで、無理はしなかった。
あっさりと引き返し、特に観光らしい観光はしないままに再び国道4号の旅に復帰したわけである。
雨の中また30分くらい北上して、焼肉・冷麺ヤマトの水沢店に到着した。私はその間、後部座席で寝ていたような気がする。水沢は今年一度別件で訪れており、駅近くの国道4号も駅よりだいぶ東にあるバイパスの方も徒歩で渡ったりしていたわけだが、あっさりとその区間を爆睡して見逃した。というかバイパスの方のイメージが強すぎて、駅近くも国道4号なんだということは後から気が付いたくらいだった。やまなか家という別の焼肉・冷麺の店に行った時にガッツリ通ってるはずではあるんだけれども。
<13:31 焼肉・冷麺ヤマト 水沢店 日本橋から468.4km>
店に到着したときも相変わらずの雨模様だった。特に長めの待ち時間は発生しておらず、トイレに行って帰ってきたらもう座席に案内されているところだった。
冷麺のフェアをやっていたので冷麺を単品で頼むとかなりお得だということは目に入っていたのだけれど、どうも焼肉丼とのセットが美味しそうに見えて、そちらを注文してしまった。後から考えればそれぞれ単品で頼めばよかったような気はしたが、まあ特に気にしないことにする。
私以外の3人は、焼肉用の肉も注文していた。つい先日まではまだまだ暑くて焼肉の網に近づくとそれだけで暑いなんて思っていたのに、この日は打って変わって肌寒く、コンロの日に寄る温かさがちょうどいい、なんて、なんだか可笑しかったりもした。

冷麺と焼肉丼のセットはとても美味しかった。夏は冷麺の上の果物はスイカになるようだけれど、この日は梨だった。個人的にはスイカより梨の方が好き。
岩手と宮城に複数店舗あるので、また行きたい店が増えた。やまなか家という別のチェーンもあるし、盛岡冷麺を食べられる焼肉屋は結構たくさんあるもんなんだな。あんまり意識したことがなかったので気づかなかったけれど。
腹ごしらえを済ませて車に戻ると、まだ相変わらずの雨であったが、それ以上に肌寒さの方がさらに増していた。まあ冷麺を食べたせいかもしれないが、食事をしたことによる体温上昇はさほどなかったようだ。
気温としては20℃をすっかり下回っており、前日の東京が35℃であったのがまるでもう遠い昔のようであった。それに、これからさらに北上しようというわけで、さらに寒くなるということは目に見えていた。
私はこの国道4号の旅の後に函館に渡るつもりだということを踏まえて長袖を持っていていたが、他の3人は特にそう言った用意をしていなかったらしく、じゃあもうこのあたりのどこかの店で長袖の服を調達したほうがいいんじゃないのか、という結論に至るのにはそう時間がかからなかった。
調べてみると、国道4号沿いにしまむらがあるらしい、ということで、我々はファッションセンターしまむらに寄り道をすることとなった。
しまむらの手前で「最初に青森の名前が出てくる青看板」があったので、真横のパチンコ屋の駐車場から写真を撮るなどした後、北上の市街地を抜けそうなあたりに建っているしまむらに寄り道をした。
<14:36 ファッションセンターしまむら 北上北店 日本橋から489.4km>
私以外の3名が長袖の服を購入。私はといえば相変わらず半袖ではあったが、中にも1枚着ているし特にまだ大丈夫だなと思ったので購入せず。いざとなれば荷物の中から長袖のシャツを出せばいいかなくらいの感じでいたので、ここでは買い物をしなかった。
トイレなどだけ済ませて、再び車に乗り込む。
このとちょうど日本橋から500kmの地点を迎えたあたりで運転手を交代しようということになり、たまたまあったパチンコ屋の駐車場で運転交代となった。
<14:58 空港ネクスト(パチンコ屋) 日本橋から502.4km>
「空港ネクスト」って何だろう、と思ったら、道路の向かい側の敷地が花巻空港だった。花巻空港の向かい側にあるからこんな名前がついているようだ。
ここらで私も運転手として登板……という流れかと思ったが、普通に結構眠かったのもあってここではまだ私の出番とはならなかった。
代わりに、同じくまだ運転をしていなかった友人Gが運転席に座ることになった。本当は明け方の福島県区間あたりで運転しそうな雰囲気はあったようだが、その時間は助手席で爆睡していたそうで登板はなかった。
私の出番はどうもこの次になりそうだということがわかったので、この区間は基本的にうとうとと寝ている時間が多かったように思う。花巻の後、盛岡の市街地の外周を通り抜けるようなタイミングがあったはずなのだが、覚えていないので寝ていたのだと思う。
国道4号はだいたい都市部に近づくと車線が増え、通り抜けて山が近づくと車線が減る、というのを繰り返していたが、目を覚ました時にはもう車線は片側1車線ずつの道路になっていた。盛岡の少し北、渋民あたりだったと思う。
渋民は石川啄木の故郷ということで、「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」という句の話になった。働いたって全然暮らしが楽にならないぞ、という句だが、実態としての石川啄木は案外浪費家でまめに働くタイプでもなかった……というギャップが人間くさい感じがして個人的には結構好きだ。
そんな話をしてすっかり目が覚めたということもあり、そろそろ運転を交代するか、ということになった。
青森県に入ったら友人Aが運転したいということで、残りの岩手県区間を私が担当することになった。満を持しての登板である。4人の中で唯一車を所持しておらず、普段もほとんど運転はしないということを考えると、温存されていたというよりは「ベンチを温めていた」というのが正解に近いが。
<16:42 ローソン岩手川口境田店 日本橋から562.6km>
まだ完全に日暮れというには早い時間だったが、雨が降っていたこともあってもうかなり周囲はそれなりに暗くなっていた。夕方から夜の境目のようであった。
日本橋から562.6km、初めての運転席に座る。今までたぶんアルファードは運転したことがなかったと思うので、そういう意味でも初めての運転席だった。かなり加速が良く、運転としては快適だった。
とはいえ運転を始めてすぐ、前の車が遅かったので思い切って対向車線に出て抜こうとして対向車が見えたので慌てて戻る……というのをやったせいで同乗者は「こいつに運転を任せたのはダメだったじゃないのか?」という疑念を抱いた可能性は高い。まあでもそれ以降無理はせずに運転したつもりなので、許してほしい。無理せずというか、線形や暗さ、降雨などの状況から無理ができるような感じがなかっただけというところではあるが。
10分ほど運転をしていると、「北緯40度」を示す看板が現れた。日本橋がだいたい北緯35度のところにあるので、緯度でいうところの5度も北上してきたことになる。
ここには「岩手町北緯40度公園」というものがあるらしく、看板はそこへの分岐案内を兼ねているようだった。我々は結構そういうモニュメントなどが好きで、過去、秋田県の大舘村にある経緯度交会点(東経140度の経線と北緯40度の緯線がぶつかっているところ)を見に行ったりもしていたが、17時を前にしてまだ岩手県という状況はさすがにもう寄り道をしている余裕はなく、車内で話題になっただけで通り過ぎることとした。
明るくて天気が良ければまず見に行っていただろうな、とは思う。
さらに10分ほど運転したところで、今度は唐突に「国道4号 最高地点」という看板が現れた。緩やかなカーブの先、峠の頂上ということもあり、一瞬みただけであっという間に通り過ぎて行ってしまった。これに関しては、車内では「しまった、見逃した」「ノーマークだった」と悔しがる声が多かった。
とはいえ場所が場所だけに車を止めるスペースもなさそうだったので、引き返して看板を見に行くということはしなかった。
そのまま車を走らせていくと、いよいよ岩手県も最終局面に入っていく。地名も「一戸」「二戸」とだんだんと数字が大きくなるにつれて青森県が近くなっていくので、わかりやすい。まあ別にその法則で完全に地名が付いているわけではなく、一戸の東には九戸があるし、四戸はない(安土桃山時代あたりで消失した)などバラバラなのだけれど、国道4号的には一戸二戸が岩手で三戸から青森というのがわかりやすい、という話だ。
その一戸では国道4号で最初のトンネルが現れる。
なんと国道4号は日本橋から一戸まで全くトンネルの区間が存在しないのだ。平地が多い関東平野区間はともかく、それなりにアップダウンのある東北区間でも岩手の北部までトンネルがないというのはなかなか意外である。
一戸の中心部を抜けると割とすぐに二戸の中心部に到達する。二戸の駅は新幹線が止まるので、立派なアーチ状の駅舎が遠目に見てもかなり主張していた。
18時近くなりすっかり日が暮れようかというところで、「青岩大橋」という橋に差し掛かる。
名前からして明らかなように、青森と岩手の県境の橋だった。
ようやく、長い長い岩手県を抜け、最終局面である青森県を迎えた。食事の時間などがあったことを差し引いても、岩手県内は距離が長いうえに線形があまり良くない箇所が多く、進みが悪かった、というのが総じての感想だった。もちろん国道4号としても一番距離の長い県であるために当たり前ではあるのだけれど、日中帯の大半の時間を使ってようやく走り抜けた、というイメージが強かった。
青森県内は友人Aが運転したい、とのことで、青森県に入ってすぐのコンビニで運転手を交代することになった。
<18:05 ミニストップ三戸川守田店 日本橋から630.0km>
これにて、運転手のお役御免である。あとは終点まで100km強ということで、ようやく終わりが見えてきたという格好になる。
友人Aに運転を交代し、私はそのまま助手席に移動した。
三戸から五戸あたりは山がちの道が残っていたが、十和田や七戸に至るとバイパスなどもあり、かなり快調に飛ばせるようになってくる。残りの距離と時間を考えても、とりあえず現実的な時間にゴールできそうだということで、車内には安どの空気が漂った。
なお繰り返すがこの日の宿は下北半島のむつ市である。国道4号の終点である青森市からも100kmある。とりあえず終点の青森市まで行った後に、宿泊地までさらに100km移動しなければならない、というスケジュールであるため、22時くらいまでには青森にいないとまずいだろうという見立てていた。
岩手県内を走行しているときには「これ、かなりギリギリになるのでは?」という雰囲気が漂っていたが、大きなトラブルもなく青森県に入ることができ、ようやく現実的な到着時間を考えられる距離になったというのは気持ちの上での安堵感が大きかった。
これで青森市内で夕飯を食べていくことも考えられそうだ、ということで、どこで食べるかという算段もできるようになった。
野辺地を過ぎると、進行方向の右側に陸奥湾が現れた。もうすっかり夜のため景色を楽しむことはできないが、日本橋から走ってきて初めての海沿いということになるのでテンションも上がるものだ。
交通量もあまり多くなく、友人Aは何度か運転したことがある道ということでこの区間も快調に飛ばしていく。
浅虫温泉のあたりで工事区間がありやや車が詰まったりもしていたが、その先がバイパス区間だったりして、大きなロスはなかったように思える。
バイパス上のトンネルを2つ通り抜けると、青森市街が目前に迫る。いよいよ終点が近づいてきた。

<20:20 ローソン青森はまなす店 日本橋から733.4km>
国道4号の終着点、青い森公園までの区間の運転者は、公正にじゃんけんで決定することとなった。ローソンの駐車場に車を入れて、じゃんけんをする。
結果、運転者は友人Gに決まった。
私はそのままの流れで助手席に座ることになったので、最後の国道4号終点の通過の瞬間を動画に収めることとなった。
走り出してすぐに引っかかった信号の先に、おなじみの赤い看板の「山岡家」があった。夜中の1時半とかに食べた山岡家がもう遠い昔のようである。まさに我々が想いを馳せた「みちのくの山岡家」なわけで、妙な感慨深ささえあった。
山岡家のある交差点から先は本当にもう一直線だった。時間にして5分ちょっとで、その瞬間は訪れた。
<20:28 国道4号終点(青い森公園前) 日本橋から742.5km>
青い森公園を通過した先、「県庁前」の交差点を通過したことにより、国道4号線の終点を走破した。
前日の23:43に起点の日本橋を通過し、翌日の20:28に終点の青い森公園に到達。
長い長い旅だった。たっぷり20時間弱の時間を掛けて、とうとう国道4号線を通って青森までやってくることができたのだ。
凄く長かった……という余韻に浸るのもそこそこに、その後はとりあえずまずは夕飯ということで、21時半閉店の回転寿司に滑り込むべく車を走らせた。ここで食いっぱぐれると辛いので、何はともあれ食事である。時間的にコンビニ食まで考えていた中で何とか20時台に青森に到着できたので、大慌てで地場系の回転寿司屋へ向かったのである。
ラストオーダーが目前に迫っていたので大慌てて注文し、閉店時間もあるのでこれまた大慌てで平らげた。
大慌てではあったが、ちゃんと美味しかった。

寿司屋を出て、宿泊先に向かう前に再度青い森公園に向かう。今度はちゃんと車を降りて、終点を見に行った。
考えてみれば、日本橋とパターンとしては同じである。国道4号の起点・終点はどちらも行き止まりではないので、まずは通過することを優先。そしてそれ以外のタイミングで直接その場所を見に行くわけである。
青い森公園前にはこんな看板が立っていた。

車で通過したときは明示的な看板などは見つけられなかったが、ちゃんと歩道にはこんな看板があった。わかりやすいし、これを見てはっきりと、ああ東京からここまで国道4号で来たんだな、という実感がわいたものだ。

気温は10℃くらいで肌寒いどころかだいぶ寒かったのだけれど、青森市内は雨も降っておらずそこまで強くは寒さを感じなかった。
私たちは日本橋でそうしたのと同じように、ここで記念写真を撮影した。

この時点でたぶん全員が思っていたのは「無事に達成できてよかった」ということだと思う。正直、道中、特に岩手の北あたりでは「結構時間がやばくないか?」という雰囲気が漂っていたので、ちゃんと青森で夕飯を食べられるくらいの時間に到着できたこと自体が非常に喜ばしいことであった。
それから、事故等のトラブルがなかったのも良かった。通行止めが発生するとそもそも国道4号を制覇できないじゃないか、というのはもちろんそうなのだけれど、それ以上に怪我とかそういう意味で何もなかったのが良かった。
青い森公園を後にした我々は、そのまま宿泊先へと向かった。
宿泊先である下北半島のむつ市には結局23時過ぎくらいに到着したと思う。いや、半は過ぎていたかもしれない。まあともかく、温泉付きのホテルだったが、温泉の営業時間が終わっているような時間だ。
部屋でシャワーを浴びて、少し喋ったりして、あとはもう、ベッドに入って爆睡するだけ……と思いきや、天候の影響で翌日の旅程が成り立たなくなってしまったことに気が付いたりして、それはそれでいろいろあった。
大間からフェリーに乗って函館に行こうと思っていたのに、その大間函館のフェリーが悪天候で運休を決めていたのだ。寝る前に気が付いて本当によかった。
函館で1泊する予約をしていたので、翌日の行程を変更してまず奥津軽いまべつ駅に車で行って……などという話し合いを済ませてようやくベッドに入った時は既に2時近かった気もするが、あまり覚えていない。
翌日は朝起きて温泉に入り、ラーメンを食べ、移動し、1区間だけ新幹線に乗り……という行程になったわけだが、
これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。
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