言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

列車の通らなくなった町の思い出

たぶんあれは3年位前。今はもう廃線になってしまった列車に乗って、訪れた集落があった。一日に5本くらいしか列車の来ない鉄道だったけれども、沿線の中では1,2を争うくらいの大きな駅だった。路線の名前は「三江線」、駅の名前は「粕淵」という。

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粕淵駅まで乗ってきた三江線の車両。

沿線の中でもちょうど中間地点くらいに当たる駅で、始発の三次から19駅目。列車はずっと乗客4人くらいで動いていて、この粕淵駅にたどり着くまでは誰一人新たに乗ってくるような人がいなかった。そんな路線にあって、この粕淵駅からは私と入れ違いになる形で3人くらいの乗客があった。そういう意味で粕淵という町は比較的栄えている、人のいる集落であった。
手前の潮駅には温泉宿が1軒あって、私はその日、そこに宿泊する予定だった。ところが1日5本くらいしか運行していない、当時すでに将来的な廃線が決まっていた路線であったために、列車の運行時間は朝晩に偏っていた。朝から列車に乗った私は、そのまま行くと昼時よりももっと前に温泉宿についてしまう。そこはとても良い温泉宿なのだけれど、残念ながら周りにほとんど何もない、家が数軒とキャンプ場があって、あとは雄大江の川の流れをひたすら眺めることのできるようなそんな場所だった。時間をつぶすのは容易ではなかった。
なので、少し先の粕淵に足を伸ばしてみようと思ったのだ。

駅からバスで15分ほど行ったところに、日帰り温泉をやっている施設があるというので、そこに向かうことにした。バスも列車と同じくらいの本数で運行されているが、10時の次は13時という時刻設定のため2時間近く暇になった。
粕淵駅の周りをうろついてみる。店を探してお昼ご飯を食べた。何の店かよくわからない食堂だったけれど、そばを頼んだら、予想に反してものすごくおいしいそばだったのでびっくりした。
ちょうど夏休みの時期だったからか、集落には小さな子供がちらほら見られていた。子供や孫の世代が帰省してきて、お昼ご飯を食べる。食堂からも出前のような形で、近所に料理を運んでいるのが見えた。ちょうどポケモンGOがリリースされたばかりの頃だったから、ポケストップになっているのであろう郵便局の前に2,3組の子供たちと、それに付き合わされている祖父母らしき姿が見えた。この町のポケストップは郵便局と、あとは高台の福祉施設のようで、子供たちがそれについて文句を言っているのが聞こえてきた。夏休みだな、と思った。
小さな集落なので、2時間もあれば一通りぐるりと歩いて回ることができた。石見銀山へ通じる銀山街道の一部であったこの集落には、今でも当時の「旅籠」が残っていたりと、歩いていて面白かった。地元のスーパーに入ってみたら、お盆用の大きなお菓子が並んでいたのもまた地域柄が垣間見られて面白かったものだ。

そうして時間をつぶした後、駅に戻って路線バスの到着を待った。
駅から乗り込む人はなくバスの乗客は私一人だったが、郵便局の前あたりで中学生だろうか、部活帰りの恰好の少年たちが数人乗ってきた。彼らはバスが山の中に吸い込まれる前に、それぞれ下りて行った。乗客はまた私一人。
地方の路線バスに乗ると、行きも帰りも同じ運転手だったりする。乗客も自分ひとりだったりして、そんなとき、いったいどのあたりに座ればいいんだろうな、なんて思ったりして。いつも正解がよくわからない。運転手は運転手で、いやまたお前かよ、なんて思ったりしているんだろう。

駅からバスで15分くらいしか離れていないというのに、温泉はずいぶんと山の中にあった。降車ボタンを押したのにバスが止まらないような気がする、なんて思っていると、慌てた様子でバスの運転手が話しかけてきた。
「ごめん、バス停通り過ぎちゃった。この辺でいいかな?」
普段きっとほとんど人が利用しないのだろう。私も初めて来た所なのでバス停の場所はわからなかった。バス停は通り過ぎていたけれど、目的地にはむしろ近くなったので好都合だった。

湯抱温泉のなかでも入り口にある、小さな建物。昔は温泉宿だったようだが、今は日帰りしかやっていないという。しかも、電話で予約したときにだけお湯をはってくれる、そんな隠れ家のような温泉だ。周囲に人の気はなく、何なら建物の中にすら誰もいないような、それくらい静かなところだった。何度か入り口で声を出しているとやっと気づいてもらえて、奥から人が出てきた。料金を払って中に入る。「食事は予約してたか?」と聞かれたが、入浴だけです、と答えると、あれそうだったかなと言いながら、温泉の用意をしてくれた。今日は誰も来ていないらしい。

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湯抱温泉 神湯 なかだ

温泉はとんでもなく濃厚で、すごく鉄臭いものだった。温泉成分の宝庫だった。体にいいとか悪いとかそういうことはわからないけれど「温泉に浸かっている感」がものすごくあった。あとは匂いと色のせいで体がなんとなく鉄のさびた茶色になったような気がした。
細くとも国道沿いなので秘境かと言われれば微妙だが、まさに秘湯という感じの温泉だった。私が入浴している間に誰か料理付きの日帰り入浴客が来ているようだった。そちらにかかりきりなのか、呼んでも待っても誰も来なかったので、私は代金を置いて(入った時に求められなかったのである)、そっと外に出た。
近所にあった斎藤茂吉記念館に行って時間をつぶそうかと思っていたが、あいにく営業していなかった。
帰りのバスの時間まであと1時間。山の中、聞こえるのは虫の声と川の音、たまに通る車の音。本当に何もすることがなくて、バス停近くでぼんやりと座っていた。川まで下りてみようかとしたが思いのほか深い藪の先にあって断念したりした。電波も弱く、スマホで何かを見るのにも時間がかかった。

そうこうしているうちにバスがやってきた。大田市で折り返してきたのであろう。行きに乗った時と同じ運転手だった。私を見るなり驚いた顔をして「泊まるのかと思ってたよ」と言った。私が適当に「日帰りですね」とかなんとか相槌を打つと、運転手がいろいろと話しかけてきた。
他に乗客もなく、私はなし崩し的に運転手の真後ろの座席に座ることになった。湯抱温泉はバス停あたりから分岐してさらに奥の方へ登っていくと、大きな温泉宿があって、そこに泊まりに行く人が多いんだとか、三江線は誰も地元では使っている人はいないね、とか、そういう話をしてくれた。駅に着くまでの間、バスが止まったのは信号待ちの時だけであった。私以外、他にはずっと誰も乗客はなかった。

 

駅に到着して列車を待つ。日に5本くらいしかない列車なので、17時台でももう終電1本前だ。もう翌々年には廃線が決まったこのタイミングでも、決して利用者は多くなかった。

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粕淵駅の脇にいた子猫


この時は三江線に載るのはこれが最初で最後なんだろうな、と思っていたけれど、翌年の夏にもう一度三江線に乗る機会があった。その時はずっと混んでいて、でもほとんどの人が地元の人ではなくて「乗りに来ている人」だった。
今はあの辺りはどうなっているだろう。一度終点の江津のあたりから三江線廃線跡を眺めたことがあったけれど、まだ駅も線路もトンネルも橋も、ぜんぶそのまま残っているのにどこか、全体的に錆びていたり、ボロボロになりつつあったり、何とも言えない気持ちになった。内陸のほうはどうだろう。夏は草が生い茂っているのかな。

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2018年 廃線後の江津本町-江津駅

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廃止後の江津本町駅 奥のトンネルは立ち入り禁止

いつかまた足を運ぶ時が来るだろうけれど、その時には何がどうなっているのか想像もつかない。もっと寂れてしまっているのかもしれないし、生い茂る草木に埋もれてもうよくわからなくなってしまっているかもしれない。

廃線前の三江線の駅でも、もう駅の待合室がほとんど茂みの中にあるような、そんなところがあった。駅前の家が空き家になっていて崩れかけている光景も珍しいことではなかった。

久しぶりに風景の中に家があるな、と思えばたいていそこには駅があり、家が見えなくとも例えば江の川に大きな橋が架かっているな、と思えば駅があった。時には本当に周囲に何も見えなくても駅があった。駅前がほんの少しだけ開けているのを見て、もしかしたらここには何か建物があったのかもしれないな、なんて思いながら、でも今は誰も使っていないんだろうな、とも思いながら。ゆっくり進む列車の中からいろいろ見たものだ。

2018年3月31日をもって廃線になったあの沿線に、今、何があるだろうか。また訪れたい場所の一つである。