言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

地震と強風

最近地震が多い。風が強い日も多い。
家が揺れる瞬間と、風で窓が揺れる瞬間というのは結構似ていて、家が音を立てたときに「どっちだ!?」となることが多い。
大きく揺れが来れば考える間もなく地震だ、ということになるのだけれど、微妙に揺れたかどうかわからない時は数秒くらい固まって揺れたかどうか確認してしまう。よくわからないな、と思うとスマホ地震があったかを確認しに行ったりもする。そうすると本当に地震があったりもするのだけれど震度が1だったりして、震度1でもわかるときはわかったりするんだな、と感心したりするものだ。家にいるときは結構小さい揺れでもわかったりするけれど、例えば外を歩いているときなどは震度が3くらいあってもわからなかったりする。自分が静止して座っているような状態というのは結構敏感に感じやすいし、家が揺れるときに出す音というのはもはや警戒音のように私に作用してもいるようだ。

逆に全く揺れていないのに揺れたと勘違いしてしまうこともあって、そういう時は地震情報を何度か更新して確認してようやく今のは勘違いだったのかと納得する。風が強い日などは本当にわかりにくい。窓が揺れる音は特に家が揺れたと錯覚しやすい。

寝ているとき、特にうとうとしているときに地震があると怖い。特に半覚醒くらいの時に初期微動で目が覚めると、身体が全く動かなくてただただ揺れを感じて怖い思いをする。そういうことが最近結構多かったので、この間とうとうその錯覚みたいなことも起こってしまった。
揺れたと思って目を開けてスマホを確認したけれど、特に地震情報は出ていなかったのである。半分寝ていたのでもしかしたら揺れたのは夢の中だったのかもしれないし、あるいはベッドというかマットレスのバウンド感がそう思わせたのかもしれな。どっちにしても現実では揺れてはいなかった。
そんなことでむやみに起きてしまうというのは嫌なものだ。

後は、疲れているときなどは揺れていないのに揺れたと感じるようなことが多い。めまいに似た症状が発生すると、あれ今揺れているのは地面化平衡感覚の方かどっちだ、ということになる。椅子が揺れているわけではなく自分の感覚が疲れで変に揺らいでいるだけなのだけれど、まあこれは結構忙しい日の夕方とかにあったりして面倒な感覚ではある。ちゃんと寝ていない平日とかだと余計に感じやすいので、まあ要するにこれはちゃんと休めということでもある。
ただまあトイレとかだとたまに本当に便座がグラついているというトラップもあるので、どうにもならない時はある。スマホ地震情報を確認して揺れていないことを確認して、よかった、と思うほかない。

ただほんと、最近地震が多いというのは事実である。震度2,3の揺れが結構な頻度で発生しているので、そういうものの積み重ねで過敏になっている節はあるのだろう。特にあのガタガタっと窓が揺れる音というのは、これから大きいものが来るのではないか、と思わせるのは十分だ。
実際震度5の揺れが来たときも、最初はあまり強くなくてだんだん揺れが大きくなっていった。そういうことを経験しただけに、ちょっとした揺れと感じても身構えてしまう面はあるし、揺れていなかったとしても数十秒は固まって身構えてしまう。
地震は怖い。このタイミング、この瞬間で揺れたら困るな、という場面は日常生活の中で数多く存在する。ずっとそんなことを考えてビクビク過ごす必要はないけれど、揺れるたびに備えは増やさないとな、とは思うものだ。
飲料と食料もそうだけれど、紙類(ティッシュやトイレットペーパーなど)は多めに確保して置いておかないと本当に必要な時に無くなってしまって困るなと思って早めに買うようにはしているけれど、どうだろう、いざという時は普通に足りなくなるんだろうな。

まあでも最近気が付いたのは、今住んでいるこの家が結構揺れやすく、かつ風の影響も受けやすいということだろう。おかげでちょっとしたことでもガタガタ言いっぱなしなわけだ。
ただ面白いもので、人間結構そういった騒音などはだんだん慣れていくものだ。揺れの方は仕方がないけれど(むしろわからないよりは分かった方がいい)、揺れではない音に対してはもう少し鈍感になれたらいいな、と思う。