言葉のリハビリ場

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外国語を勉強した"甲斐"とは

英語の勉強と言うのは得意ではなかった。得意でないし、そういう意味では今でもかなり適当である。困るには困るけど、もう海外旅行とかでは開き直って適当に話している。それでなんとかしている。なんとかならない時もあるけれど。

トイレに行きたくて、フードコートのあるビルに入った。……つもりだったのが、間違えてとなりのオフィスビルに入ってしまった。そういうミスをしたことがある。これが英語が適当でなんとかならなかった例である。

別にどうってことのないミスだ。間違えましたトイレに行きたかったんですすみません。それで済む話だけど、私は(というか私たちは)それをうっかり外国でやってしまったがために面倒くさいことになったことがある。意思が伝わらないというのはもどかしいことである。

日本語だとまあ上記のような事を説明すればものの5分で解放されるものを、中途半端に意思が伝わらなかったがために1時間くらい拘束されたのは苦い経験である。当時外国で使えるような携帯電話は出ていたが利用額が高額でだれも海外ローミングなどはしていなかった。それ故に翻訳アプリ等も使えなくてしばらく難航していたのだが、とっさの思いつきで電子辞書を出した人がいてそれでなんとかなった。トイレに行きたいだけで間違えてビルに入ったのだと。死ぬほどしょうもない理由である。


それでもまあ英語ならまだマシな方である。英語はなんとか読んだり書いたり単語を拾ったりと言う事は出来る訳だけれど、それは中高6年間勉強したり受験に使ったりとしたからである。

もっと困っているのは第二外国語というやつだ。英語以外のもう一言語勉強しましょうね、となった時に私は中国語を選んだのだけれど、これは勉強に大いに苦心した記憶がある。
良く考えてみれば6年だとかそれくらい勉強している英語がままならないのに中国語がすんなり覚えられるわけがないのだ。少なくとも私の場合は。


ところが最近中国語が必要になる機会が増えた。というのも、中国から来ている人と一緒に仕事をしているからである。彼らは日本語でも話してくれるけれど、日常会話は基本的には中国語だ。何かと不便なことが多い。
そういえば中国語って勉強したことあったよなと当時の教科書なんかを引っ張りだしてきて見て眺めていたがいまいちどんな感じだったか思い出せない。

結局飲み会の席で自己紹介を中国語でやって「おー」と言われるくらいに留まった訳だけれど、勉強していた甲斐があったのかどうかで言えばかなり微妙なところである。