言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

夏の西日の思い出

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」 にちなんで

 

今年の年初、Twitterでやっていた「#0メートルの旅」という企画に2つほどエピソードを書いた。
1つは、外国(オーストラリア)で間違えて企業のオフィスに入り込んでしまい、警備員に囲まれるという経験の話。これは隣のフードコートに入ってトイレでも使おうとしていたところ、入り口を間違えてオフィスに入ってしまった、というだけの話なのだけれど、言葉が通じないだけにかえって話が大事になってしまったのだ。
最初は普通に何か純粋に何の用だ的な質問でもされていたのかもしれないが、お互い何を言っているのかわからないので次第に人が集まってきてしまった。最終的に筆談で何とかなったけれど、あれはなかなか冷や汗ものだった。
一応言語的には英語だったのだけれど、こちらの日本語っぽい英語と、相手のオーストラリア系の英語が見事にかみ合わなかった。冷や汗をめちゃくちゃかいたけれど、30分くらいでなんとかなって本当に良かった。
ただまあ同じ経験はもう2度としたくない。当時は海外で携帯を使える環境もなく(正確にはあったけれど、かなりの費用を要した)、そういう意味でも言葉を伝える手段が少なかったわけで、今ならGoogle翻訳のような世界的に使われているようなアプリ等でもっと簡単にコミュニケーションが取れるとは思うけれど、それでもまだスムーズなやり取りというのはなかなかこういった緊急時には難しそうだ。
まあそれはそれで今となっては良い思い出だ。当時はめちゃくちゃテンションが下がったけれども。


もう1つ書いたエピソードは、夏の電車内での出来事だ。
かなり印象的な出来事で、未だにふとした瞬間に思い返している。

ちょうど今くらいの季節に、18きっぷをつかって旅行をしていた、その帰り道の事だ。帰り道といっても、普通列車なので家まではまだ4,5時間くらいかかる道中である。東海道本線の藤枝とか焼津とか、そのあたりの静岡近辺だったと思うけれど、ちゃんとは覚えていない。浜松あたりから乗り込んで、静岡を通り越して最終的に熱海まで行く長距離列車だったと思う。
西日の差し込む車内で運よく座れた私はしばらくはうとうとしていたが、どこかの駅で急に車内がにぎやかになって目を覚ました。

男女取り混ぜて6,7人の小学校高学年くらいの子だちだった。皆一様に小学校で使うような透明な水泳バッグを持っていて、プールか何かに行ってきた帰りのようだ。しばらくは遊んできたテンションのままなのか、わいわい話していた。
夏休みだな、と私は寝起きの頭でぼんやり考えていた。夏休みに子供たちだけで出かけるって、なんだかこうちょっとテンション上がるよな、と。小学校も高学年になれば、親たちの同伴なしでちょっとしたお出かけはしたりするけれど、やっぱり少し特別で楽しいものだ。きっと彼らもそんな感じなのだろう。
どんな会話をしていたかはあまりはっきりとは覚えていなかったけれど、たぶん学校の話とかをしていたような気がする。車内でほかに話している人もいなかったので、彼らの会話は割としっかり聞こえてきてはいた。小学生っぽい会話だな、とかそんなことを思った記憶がある。習い事の話、特に水泳かサッカーの話をしていた気がする。

小学生ということはきっとみんな同じ駅で降りるのだろう、と勝手に思っていた。そうすればまた静かになるだろうか、なんてことを少し思っていたのだけれど、予想に反して途中で一人の男の子だけが先に降りる様子だということに途中で気が付いた。
そういえばさっき、習い事の話の時に「こっちにもあるみたい」みたいなことを言っていたけれど、どうやら彼だけは住んでいる場所が違うようだ。
それまでぼんやり聞き流していた会話を思い返してみたり、会話の流れを追って行ったりすると、なんとなく事情が分かってくる。
その男の子は夏休み前のタイミングで引っ越しをしたようなのだ。1学期まで一緒の学校で過ごした仲間と、プールに遊びに出かけた……ということのようだ。夏休みが終われば、新しい学校に通うことになるのだろう。それまでの最後の思い出作り、ということのようだ。

次の駅が近づくアナウンスが流れると、先に降りる彼は、最後に1人1人と言葉を交わしたり、握手をしたりしだした。電車内での別れの挨拶。列車が停車して、ドアが開いてもまだ言葉を交わしていて、それからギリギリでホームに降り立った。電車が動き出してからも、車内に残った面々は、ドアの前に集まっていた。「またね」「がんばれよ」「元気でな」「遊びに来いよ」と口々に言って、それから電車が動き出してからもしばらくそうしていた。ホームに一人降り立った彼は、たぶんしばらく電車と並走していたんだろうな。ホームの端に差し掛かるまで、みんな外に向かって口々に言葉を発していた。もうドアは閉まっているので、外には聞こえていないかもしれないけれど。

そうして残った彼らは、これまでのにぎやかさが嘘のように静かになった。
西日の差し込む、ともすれば汗ばむような少し熱さのこもった電車の中で、誰も何も言葉を発しようとしなかった。車窓を眺めたり、座り込んだり、手すりに寄りかかったり。丸くなってみんなでしゃべってたじゃないか、さっきまで。皆どこか神妙な顔でどこかを見つめている。決して泣いたりしているわけではない。

また明日とか、また学校でとか、そういった言葉は「次の約束」をしているわけで、実際特に意識しなくてもすぐに会えるわけだ。夏休み前の最終日の「またね」だって、夏休みが明ければまた会えるのだ。
だけど、目の前で繰り広げられた別れの挨拶は、次の約束のない別れである。次いつ会えるかわからない。会うかもしれないし、会わないかもしれない。それを意識すればするほど、重い。
彼らが持っていた、夏休みの遊びに行った日特有の軽い空気は、最初に降りて行った彼とともにどこかへ行ってしまったのだ。

私にとっては別れの瞬間であることを全く想像せずにぼんやりとその光景を見ていただけに、なかなか衝撃的な光景だった。
6,7年くらい前の話なので、もう彼らは高校生だとかそれくらいの年になるだろう。そう考えるとずいぶん前の話だ。それでもまだ、あの橙色の車内の光景を私ははっきりと覚えている。

旅の帰り道にたまたま遭遇したエピソードだけれど、たまに思い出してはちょっと切ない気持ちになるのだ。
そうして自分自身の昔のことを思い出したりして……それこそ、小学生の時に引っ越していった友人の事とかを思い出したりして。未だに使われているあだ名を最初に付けたあいつ、今、どうして宇rんだろうな。小学校卒業前にアメリカに行って、それきり全然知らないままだ。
こういう時SNSでつながっていると強いんだよな。特にTwitterとか、投稿さえしていればなんとなく生存確認ができるし、ちょっとした会話をするきっかけもあるし。
私にとっては、LINE以前、Twitter以前、メール以前(つまりガラケー)……というような形の大きな壁のようなものがあって、これらの壁の前後では連絡がとれるか否かがずいぶん違ってくるのだ。
今はやっぱり、遠くに行ってしまっても連絡しやすい世の中になったよな、と思う。昔、ガラケー以前はそれこそ外国に転校していった友達とかは、その後クラス全体に対して1,2回くらい手紙を送ってくれたりしてみんなで読んだりしたけれど、逆にこちらから何か送るとかそういうことはなかった。
メールをほとんど使わなくなって、LINEで繋がっているかどうかで連絡の難易度が大きく変わるようにもなった。卒業直前にスマホに変えた(つまり受験終わりということ)ので、連絡先入手状況もかなり中途半端だった。当時はこんなにLINEで繋がることが重要だとは思っていなかったのだ。
いやまあ、あんなにガラケー時代にメールでやり取りをしていたのに不思議なもんだけれどね。

6,7年前だと大人はスマホを持っていたと思うけれど、小学生はどうだっただろうか。高学年だと……持っている人がいてもおかしくはないだろうけれど、どうだろう。
もちろんそういうものが何もなかったとしても、繋がりがあるときは繋がっているものである。何かしらの手段で。親経由とかでもそう。連絡を取る難易度のようなものが違うだけだ。

あの別れの後、彼らは再会したのだろうか。