言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

シウマイ弁当が食べたい

シウマイ弁当というものがある。シュウマイではない。シウマイ弁当だ。横浜名物のあれのことである。もちろん東京駅を始めとした主要駅で買うこともできるし、かなり普遍的かつ一般的な弁当と言えるだろう。食べたことがある人も結構いるはずだ。

私はあれが好きでたまらない。
シウマイ弁当が好きだ。

確か前にも似たような事を書いたような気がして過去記事を漁ったら、発見した。

fwbc0416.hatenablog.com

 

昔はそれほど好きだった記憶はないのだけれど、どういうわけか、ある程度大人になってから好きになった、そういうものであった。魅力を再発見した、とでも言うのだろうか。ある時から急に目が覚めたように好きになったのである。

こういうことはわりとよくあることだ。魅力の再発見。小さなことで言うと、夜中にふと食べた梅干しのおにぎりの美味さ。それまでおにぎりは変わったもの、垢ぬけたものが良いと思っていて季節限定商品ばかり食べていたけれど、たまたま手に取った梅干しおにぎりが何だかとてもおいしくて感動する。それからまた梅干しおにぎりが好きになる。そういう再発見が、シウマイ弁当にもあった。

元々好きだったのは筍を甘辛く煮詰めたものである。これは今も昔も変わっていない。ご飯のおかずの代表格、最右翼だ。あの筍が美味くて買っているという人がいると言うけど、納得である。あの甘辛い筍は食欲をとてもそそる。あのためだけに買いたいという人のために、限定の筍増量板が販売されたこともあるくらい、根強いファンがいる。私も食べたかった。

逆に、昔そこまで好きではなかったものと言えばシウマイである。好きではなかったとまでは言わないが、シウマイがメインを張っているというのがどうもわからなかった。今はそんな事はないけれど、シウマイでがっつりご飯を食べよう、とはならなかった事からも「ご飯食い」の私にとってシウマイは副菜みたいな扱いだった。実際は主菜なのに副菜扱いされてかわいそうだろうけれど、筍と付け合わせの昆布の佃煮と紅生姜でご飯を食べていた私にとってはどうもそういう扱いに収まってしまっていたのだ。

歳を重ねてこそわかる美味しさと言おうか、あるいはやはり美味しさの再発見とでも言おうか。いつの間にか私はシウマイが美味しいと思うようになったし、さらには付け合わせとして入っているカマボコやマグロの照り煮も美味しいと思えるようになった。今まで特に何も感じていなかったのが不思議なくらいだ。

シウマイ弁当の良さは、やはり何を差し置いても安定感である。いつも同じ味である事は結構難しいことだしすごいことだと思う。旅行の時の朝ご飯に食べたり、野球観戦ならデーゲームの時なんかは早めに球場入りして練習を見ながらシウマイ弁当を食べることもある。夜、新幹線を降りて、でもなんだか重い物は食べられないというような気分の時もシウマイ弁当を買って帰ることすらある。
何物にも代えられない、変わらない味。時折無性に食べたくなる味。毎日食べたいほどハマる食べ物もあるけれど、シウマイ弁当は毎月1回だとかそういうペースで定期的に欲しくなる味である。いろいろな駅弁があって、新作があったら試したりもするけれど、最後に行き着くのはシウマイ弁当だ。定番あってこその冒険。失敗しても帰ってこられる安心感。

このところ少し、食べる機会に恵まれていないのでそろそろ食べたい頃合いである。ああ、お腹がすいてきた。