言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

恵方巻

恵方巻という文化は、私が幼いころには我が家にはない文化だった。関東の文化圏に住んでいる人ならおそらく似たような感じだろうけど、少なくとも家で普通に食べるようになったのはここ10年くらいの話であるような気がする。コンビニの販売ノルマとか廃棄の問題とかはひとまず置いておいても、よくまあこんなに一般的になったものだ。
私は太巻きが好きなので素直に嬉しい文化がだ。考えてみれば太巻きを食べるタイミングは恵方巻つまり節分以外ではなかなか思い浮かばない。
下手をすれば特に日常的ではない、名古屋で法事があったときに出てくる助六寿司に入り込んでいる太巻きが真っ先に思い浮かぶほどだ。まあつまり年に1度あるかどうか位の頻度である。スーパーやコンビニでも売っているけれど、太巻きをあえて選んで買うことがどれほどあるだろうか。
例えば寿司屋に行っても巻物は食べるけれど、太巻きは食べない。というか置いてあるのだろうか。探したことがないから良くわからないほどだ。回らない寿司屋で板前にお願いしたらさすがに作ってくれるかもしれないし、それはそれですごいのが出てきそうだ。究極の卵焼きと究極のかんぴょうとかが入っていそうで。
ということで、太巻きは好きだけれどあまり食べていないものと言って差し支えないかもしれない。なんでだろう。本当に好きなのか? いやまあ好きなのは好きだけど。

太巻きにもいろいろ種類があって、それこそ先ほど例に出した名古屋の法事で出てくるものは一切生モノの入っていない、日持ちのする具材で作られた太巻きが出てくることが多かった。かんぴょうとか、玉子焼きとか、さくらでんぶとか。椎茸の煮たのが入っていたりもする。稲荷ずしと合わせても生モノが一切ない構成である。

名古屋、ひいては愛知全土で同じような習慣なのかは特に知らないけれど、名古屋に住む我が家の親戚たちは、もっぱら法事には稲荷と太巻き助六だという。知らずに見たら少し驚いて、そしてがっかりするかもしれない。私も太巻きは好きだけれど、ひたすら茶色い寿司桶というのはあまり嬉しくはないだろう。名古屋での法事は幼い頃しか行ったことがないのであんまり覚えていないのだけれど、今食べてもさすがにこの組み合わせはあんまり嬉しくないだろうな。

昨今の太巻きは具材が様々なのが嬉しい。特にこの恵方巻の文化によってもたらされた太巻きはなんだか豪華なものが沢山ある。
もちろん定番のかんぴょうを使ったようなものだって好きだけれど、サーモンとかウナギとかアナゴとかイクラとかそういう海鮮の入ったものは「寿司感」が強くてなんだか得した気分になって良い。さすがにサイコロステーキ入りとか本マグロ入りとかそういう高級路線のものは全く手を出そうと思わないけれど、昼ご飯を調達しに寄ったコンビニの海苔巻きコーナーに、海鮮太巻きみたいなものが置いてあったらホイホイ買ってしまうだろう。恵方巻の季節しか出てこないことが多いから非常に残念だ。おにぎりを買うようにとまではいかないけれど、さほど高すぎないあのお試しサイズの恵方巻が良いのである。何より買うと妙に感謝されるのが何とも言い難い。おにぎりじゃなくて恵方巻を買っただけで嬉しそうにしてもらえるなら安いものだ。ノルマとか目標とか、いつか頭打ちになりそうなものを追いかけて、最終的には昨年の自分に追いかけられる、そういうのはあまりに大変なことなんだろうな、と思う節分の日である。
太巻きが好きだから食べたいし、できればそういった裏の、というか、売らなければならない仕組みとかを考えずに食べたいものだけど、そうもいかないのかな。


恵方巻は良い文化である。大好きな太巻きを食べることを思い出させてくれるからだ。私で言うところの「価値の再発見」である。節分に恵方巻をということで太巻きを食べ、その美味しさを思い出す。プチマイブームの到来である。しばらく太巻きを探して好んで買っていく日々が続くわけだ。毎年必ず節分はやってくるのだから、2月はいつも太巻きブームとなる。
恵方巻万歳。太巻き万歳。