言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

金平糖と氷砂糖

昔ながらのお菓子と言うと駄菓子なんかもなんでも美味しいけれど、私は特に金平糖が好きだ。あの星のような独特の形と、透き通った透明感が良い。
最近は着色料を自然由来のものにしてあったりして、色つきのものでも安心して食べられるようになっているのでなお良いものである。
とはいえ、金平糖は明らかに砂糖そのものである。食べ過ぎると身体にはよくないのは分かっているのだがどうも止められない。だから無印良品とかで売っている袋入りの金平糖は、出来るだけ「ながら食べ」をしてしまわないように、冷蔵庫に入れてあったりする。適宜数個つまんできて、食べるような形にしないとあっという間になくなってしまうからだ。

ついでに夏は溶けやすいから冷蔵保存は理にかなっている。唯一の欠点としては、冷蔵庫にしまい込んだまま、そのまま忘れ去られてしまう事。鉄は熱いうちに打てというけれど、金平糖も忘れないうちに食べきってしまった方がいい。でも食べすぎてはいけない。なんだそれ。でもきっとなんでも同じだ。同じ。

金平糖はれっきとしたお菓子だけれど、氷砂糖になるとそれはお菓子と呼んでいいのかよくわからない。金平糖を指して明らかに砂糖であると言ったけれども、氷砂糖はそれこそ砂糖以外の何物でもない。砂糖そのものだ。固まっているだけ。大きさも形も定まっていなくて、それこそ氷のような形をしている。だから氷砂糖。
そのまま食べるものではたぶんないと思うんだけれど、これを口に含んでいるととても幸せな気分になる。砂糖そのものでありながら、あの粒状になっている砂糖とは全く違う味がするようにさえ感じる。舐めている感じは飴に近いのに、味は純粋に砂糖なのである。食べたことのある人にしかわからない感覚かもしれない。ハマる人はきっとハマると思う。私も一時期ハマっていた。
梅酒を始めとした果実酒を作るときに氷砂糖はよく使うものだ。お菓子を作ったりするときに少なくとも家庭では出番がなさそうだ。氷砂糖と、梅と、焼酎を大きなボトルのような物に入れて、後は半年とかそれ以上放っておくだけ。放っておくとまず氷砂糖がゆっくり溶けて、そのあと梅の成分とかが染み出てくるのかだんだんべっ甲色になってくる。半年くらいで飲めることにはのめるけど、なんとなく浅い味がして「これはまだまだだな」とか「ボジョレーヌーヴォーだな」とか訳わかんない事を言いながら飲むだけになる。それはもったいない。1年以上たったものを飲むのが良いのである。その頃にはもうとっくに氷砂糖の影も形もないのだけれど、熟成された梅の実にしっかりその甘さが染み込んでいるので素晴らしい。
ちなみに、梅酒に使った梅はちゃんと甘くなるんだけれど、それ以外の果実は全然甘くならない。かんきつ類は最悪だ。アルコールの嫌なところを全部集めたみたいな味がして、氷砂糖は果実の中では全く主張してくれない。もちろん出来上がった果実酒そのものは甘くそして果実の素晴らしい味と香りを纏っているわけだけれど、果実は本当にただの出がらしになっているのは不思議なものだ。梅酒は1年とか漬けこむけれど、みかんとかはわりとすぐ飲まなきゃならないのもそういう所なんだろうか。わからないけれど、氷砂糖は偉大だ。え? 砂糖はさほど関係ない?  

 

砂糖を直接口に含むという行為はあまりに気が引ける行為だけれど、金平糖や氷砂糖であれば気軽に口に出来て良いものだ。食べ過ぎると罪悪感がすごいけれど、下手にブドウ糖とかを舐めるよりもずっと良い。ベタベタしたりまとわりついたりもしないし、氷砂糖も意外とお上品な味がして美味しいものだ。別のものでごまかすくらいならストレートに食べてしまった方が良い時もある。


さあまた果実酒を作るという建前で、でかい袋に入った氷砂糖を買ってみよう。氷砂糖の袋は得てして業務用のそれに近い。お洒落な金平糖とは全然違う。製法はともかくどちらも砂糖は砂糖なんだけど、面白いもんだ。