言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

夜桜は暗すぎると見れないんだって知らなかった

夜桜を見に行ったと言えば聞こえがいいけれど、実際はメンバーが集まれるのがちょうど夜しかなかったという話なんだけれども、ともかく今年はそんな感じで花見をしてきた。


例年、花見というのはあまりしたことがない。なぜなら花粉症患者にとって花見は半分自殺行為だからである。常に外出時はマスクをしているわけだけれど、飲食するタイミングではマスクをつけている事はできない。店ならまだしも花見は完全に屋外なのである程度覚悟を決めて行くしかないのだ。

今年は花見に誘われたのでちゃんと覚悟(翌日外出しないでくしゃみを納めるべく、じっと屋内で過ごす覚悟)を決めて、出かけたわけである。


花見に行ったのは千鳥ヶ淵や武道館で有名な北の丸公園。それはそれは混雑している……と思いきや、夕方から行くような酔狂な輩は少なかったらしく、意外と空いていた。
大学入学式を武道館でやっていたらしく見かけ上の人はたくさんいたし、千鳥ヶ淵方面や田安門あたりは人で溢れかえっていたけれど、それもほとんどは花見客ではなかったようだ。拍子抜けである。
夜桜を見にと言いつつも17時くらいから場所を確保すべく来ていたものの、結局集合時間の18時まで丸々1時間待機時間になってしまったのである。

だんだんと減っていく花見客。家族連れが多かったのと、都心である事も含めて人が引いて行くのはわかるのだが、それにしても人が少ない。
例えばテレビで取材されるような代々木公園や井の頭公園なんかはもっと夜まで人で一杯なイメージがあったので、それも結構驚いた。まして土曜日である。翌日も休みであるのにどうしたのだろう、なんて話していた。

それもそのはず、この公園、街灯がかなり少ないのだ。つまりどういう事かと言うと、夜桜鑑賞にはあんまり向いていないのである。

私はと言うよりも我々はそれを完全に失念していた。桜の木の真下に陣取ってせっせとシートを引いて宴会を始めるも、すぐに日が暮れて来てあたりは真っ暗になっているのである。

さすがに笑った。

桜が見えないどころか手元も良くわからない程暗いのである。飲み物も食べ物もどれがどれだかよくわからないという有様だ。まあどうせ花より団子なので桜は見たり見なかったりするものだとは思っていたけれど、それどころか手元すら見えないとは思わなかった。

仕方がないのでスマホのライトをつけ、袋の中に入れて置くことで間接照明を創り出す我々。屋っていることがだんだんキャンプのようになってくる。暗闇の中ぼんやりとした灯りを囲んで飲んだり食べたり。人影まばらな公園内で、特に誰も騒いだりせず、それでも楽しく過ごしていた。それはそれで面白いものである。

面白いけれど「何で我々はこんな場所でこんな事をしているんだ感」がすごい。すごかった。


花見と言うのは場所取りが非常に面倒くさいイメージがあった。ともすれば座るところがないとか、シートを満足に置けないとか、そういうイメージすらあった。妥協して花の全く見えないところに場所を取るのか、狭いけれど桜の近くで場所を取るのか。そういうものだと思っていた。
たぶん今まで一番身近だった桜の名所が、結構狭いスペースだったのである。そんなことに今更気づかされたのだ。場所取りの競争率の低い花見会場は良いものである。今年は桜の見ごろが長かったのも良かった。花見の出来る土日が2回あったので、それで分散したということもありそうだ。

ただし人が少ないのにはちゃんと裏があるということも良くわかった。これだけ暗くては人も少なかろう。

人が少なくて暗くて桜は見えないけれど、それでも楽しかったのだからきっとこれはこれでありだったのだ。きっと。きっと。