言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

駅そばの匂い

私は降車駅での階段の位置に合わせて乗車位置を決めているので、毎日同じ場所に乗っている≒同じドアから乗り降りしている、ということになる。同じところで同じ時間に同じように乗車しているのに、日によって混雑具合だとかが全然違うのは面白いものだ。まあもっとも、混雑具合には「満員」と「超満員」くらいの差しかない。乗車率は一昨年のデータで196%とということだが、たぶん雨の日や遅延している日はそれどころでは済まないだろう。意味わからないくらい混んでいる、ということに相違はない。そしてそれは決して快適なものではない。

 


朝、必ず毎日通る駅がある。目的地ではないけれど、いかんせん満員電車なので一度ドアを出てホーム上に降り立つ必要があるような、そんな駅だ。

 

その駅にはホーム上に立ち食いそばの店がある。私がいつも使っているドアのちょうど目の前にある。だから、満員電車から吐き出されるようにしてホームに降り立つと、自然とその蕎麦の出汁の香りを浴びることになる。実に美味しそうな香りだ。これはホームに降り立たない場合(稀に乗り降りに関係の薄いところにいて電車内にとどまっていることもあるのだ)でも、感じることができるほどのものだ。

 

朝のホームに漂う蕎麦屋の出汁の香りというのはなんだかとても美味しそうに感じるものだ。出勤前に駅で蕎麦を食べるというのはやったことがないけれど、こうして香りを浴びているような状態だとそれもよさそうだと思ってしまうものである。家で朝ごはんを食べたことを忘れるくらい、美味しそうな匂いなのだ。

人と人とが密集して密着して不快感を身体に揉み込まれながら電車に乗っているあの感覚と、どこか別のところにある匂い。なのになぜか通勤時間の象徴でもあるような匂い。

私はそもそも立ち食い蕎麦が好きだから休日だとか旅行中だとかにも食べるけれど、逆に仕事前など平日に食べたことはほとんどない。なのにあまりに日常の、朝のラッシュの時の匂いとして体に染み付いているのだ。

 

立ち食い蕎麦といえば、私はコロッケ蕎麦を連想するが、朝ごはんとしては同じものを頼むべきなんだろうか、とふと思った。

例えばそれが旅行の時とかであれば、油物だろうと何だろうとふつうにその選択肢はある。なんならコロッケと言わず紅生姜の天ぷらのような極めて刺激的な揚げ物を乗せた蕎麦を食べることもある。

仕事に行く前、平日の朝ごはんとして考えたらどうだろう。私なら少し保守的になって、油っぽいものは控えてしまうかもしれない。せいぜい油揚げくらいにしてしまうだろうか。でも腹持ちのことを考えたらやっぱり何か蕎麦以外のものも食べたいから、天ぷらだけは避けてコロッケあたりに落ち着くのかもしれない。多分だから立ち食い蕎麦はコロッケ蕎麦なのかもしれない。

 

エクストリーム出勤という言葉が少し前に流行ったことがあるけれど、立ち食い蕎麦を食べてから出勤するのはきわめて時間を取りすぎないタイプのエクストリーム出勤だと思う。始業前にちょっとした楽しみを見つける、そのために早く出かけるのはやはり限度があるけれど、蕎麦くらいだったら食べられる時間はひねり出せそうだ。

 

いつかあの途中駅の蕎麦屋で、コロッケ蕎麦を頼むんだ。

いつもと同じ時間に起きて、朝ごはんの分の10分くらいだけ、早く家を出て。