言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

職場のお土産どうするか問題

旅先でお土産を購入するのはそれなりに難しさがある。特に私のように毎月のようにどこかしら出かけている人間からすると、そもそもお土産を都度買っていくべきなのか? という話はある。自宅用は適当である。別に買っても買わなくてもどっちでもいいし、自分で消費するのが主だし、変なものでも失敗しても別に困るのは自分だけだしさほど困りはしないから何でもいいのだ。

問題は贈答目的のものである。職場用のお土産というのがどういったタイミングで買っていくべきなのかは悩ましいものだ。お盆やゴールデンウィーク、年末年始などの長期休みの時に旅行した場合は買っていくことが多い。他の人も配っているからタイミングが難しくないし、当たり障りなく悪い意味で目立たなくてよい。あとは有給等を取得して出かけた場合はできるだけ買っていく。だがそれ以外の場合は何とも微妙だ。土日で出かけた場合は頻度が高すぎて微妙だし、ライブやスポーツ観戦などの遠征はもっと微妙だ。毎度毎度持参するとこちらの懐事情を鑑みてもかなり面倒なことになる。だから前者のようにとりあえず大っぴらに出かけた時だけ買ってくるようにとりあえずはしている。どれくらいが適正なのかはよくわかっていない。
自宅用のお土産はもうフリーダムである。好き嫌いのはっきりする珍味の類だって平気で購入できる。漬物だって好きなものを買えばいい。馬鹿にされようが何だろうが私は仙台では「青南蛮の味噌漬け」を買うし、飛騨高山では「めしどろぼ漬け」を買う。どうせ自分で食べるのだからそれでいい。

職場用のお土産はそうはいかない。いろいろ考えていると面倒くさいことこの上ないので、できるだけ無難な物を買う。「萩の月」が「かもめの玉子」になったり「とおりもん」が「ひよこ」になるくらいのマイナーチェンジはあるだろうけれど、できるだけ無難にしたいという思考が働くわけである。直接文句を言ってくるような人は仲良しかただの不届きものなのでどうでもいいが、こんなところで不興を買うのは嫌だ。そういう意味で私は極めて保守的になる。
だから結果的にどうなるのかといえば、そもそもの旅行の予定を会社で話さなくなるというわけである。
「今度の三連休どうするの?」
に対して、
「あー、特に何もないですね、買い物とかですかねー」
とか、
「家で野球でも見てます」
なんてことを返すようになるわけである。

滑稽な話だ。

幸い、最近は特にこういったことは深く考えないで済んでいるので、上記のような会話は発生していないのが救いである。比較的狭いスペースで仕事をしているのがいいのだろう。どの範囲の人まで渡すのかとか一番偉い人に渡したらいいのだろうかとか一つずつ配ればいいのだろうかとか考えたらきりがない。

お土産を職場に買っていくときに付きまとうのが、いわれのない罪悪感だ。平日万全に活動するために休日があるのだと言われれば、日曜に外出など気持ちよくできるわけがなかろう。そんな後ろめたさを孕んで購入するお土産はただの負担でしかない。先輩への接待か何かだ。
「平日のために休日がある」という環境から、どちらかといえば「休日のために平日がある」環境に移動できたので、雑談で旅行話をした後にお土産があろうとなかろうと特段何もないので助かっている。旅行をしてきたことへの後ろめたさがないのがよい。半休を使った先輩は間近に迫った自宅購入のために実印を作りに行っていた。休みとはかくあるべきだ。

話が逸れた。
お土産選びの負担が気持ち的にずいぶん軽くなって楽になったのは間違いない。職場にお土産どうするか問題、結構考えている人はいると思うのだけどどうだろう。
そういうのをそつなくこなせる大人になりたいもんだな。