言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

資格試験の勉強は業務内でやりたい


資格試験の勉強と言うのはとても面倒なものである。そもそもスキルアップという言葉からして苦手である。学校の試験や受験、課題なんかのように、それをしなければその先に進めないような勉強とはまた違う。必須の資格だってもちろんあるけれど、そう言った者を除けば資格取得というのは往々にして自分自身のために行うものである。だから面倒くさい。

例えば学校の試験と言うものを思い出してみて欲しい。あれは成果によって成績を付けられる代わりに、課業の時間を使って勉強をすることができる。だが資格試験に関しては、かなりの場合仕事中に勉強に勤しむことは許されていない。仕事は仕事でこなして、その上で資格修得のために自己学習を行わなくてはならない。一極集中というのが効かないから困ってしまうわけである。
仕事に関連した資格の習得のためなら、受験料を負担してくれる(合格した場合に限る会社もあるよね)場合も結構多いだろうけれど、私はどっちかと言うとお金より仕事を1週間休むかわりに必ず合格するから集中させてくれ、なんて言いたくなる。金が返ってくるのは嬉しいが、それより仕事で使える資格なら仕事の時間を使って勉強したいものである。
まあそうは問屋がおろさないのは重々承知なんだけれど、ソシャゲの課金と違って金をいくら使っても自分の体調とか疲れとかやる気とかをどうにかするのには限界値が低すぎるのでじゃあやっぱり時間が欲しいよね、となるわけである。

自己投資というのは苦手だ。余暇については、できれば遊んでいるかだらだらとしていたい性質である。だから実際仕事が立て込んでいるとかそういうことがなければ、休日は実に適当に過ごしている。
仕事のために研鑽を積むとかそういった方向性の事は特にしない。最近は違うが、前までは土日は平日の遺産(溜まった事務作業とか)を片付け、体力回復に努める時間出会ったし、平日で失われた時間を取り戻すというどうもマイナス方向に傾いた休日を送っていたので、勉強なんか到底する気にはならなかったわけである。スキルなんて当然付かない。身につくのはしょうもない「その日暮らし」の精神だけ。朝起きて今日の予定を考える。出来ない事はどんどん後回し。予定は組んでてもどんどんずれて行く。修正できない。休日にずれ込む。
これではスキルアップどころかスキルダウンだ。一生近代化やIT化、ましてや効率化なんか出来やしなくて、ひたすらマンパワーに頼る前時代的な脳筋的な思考停止なお仕事を繰り返すだけの日々。自己投資はもともと得意ではないがますますやらなくなった。


かなり話が脱線した。

しかしまあ、それなりに余裕を手に入れた今は、会社の命令とはいえ資格修得のために勉強がわりと出来ている。驚きだ。時間があってちゃんとした環境があると、勉強のハードルと言うのはこうも低くなるものであるかと。
それでも面倒くさいと感じる部分もあるのだから難儀なものだが、まあこれくらいは許容範囲内であろう。
これは仕事の一環として勉強ができていることが大きいし、かといって試験一辺倒でも仕事一辺倒でもなく両立できているのは環境面がすごく大きいと思う。「勉強してスキルアップすることが会社の利益になるからがんばれ」とは良く聞くが、それを課業の外でやるのと課業の中でやれるのとでは大違いだし、選べるなら絶対後者がいいよね、とは今更ながら思うわけである。
出来る人はきっとたくさんいるだろうし、実際資格はみっちり仕事してもちゃんと取れたよ、なんて人はごまんといるだろうけれど。じゃあ逆に楽をしたいのかって言えばそこまでは言わないけれど。
買ってでも苦労をしろなんて言わずに、どうせ苦労することはいっぱいあるんだから、楽にならなくてもいいから苦労の度合いをちょっとでも小さくできたらずっと生きやすくなるだろうねって。そう思うわけですよ。