言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

誕生日


もう子供ではないので、今更誕生日なんてと思ったりする瞬間もあるが、それでもやっぱり特別に感じるのが誕生日と言うものである。流石に今時のパーリーピーポーではないので、「何をやっても許される日だ!」とは言わないし大げさにはしゃいだりはしないが、それでもただ単純に「おめでとう」なんて言われることだってとても嬉しいことである。だいたいおめでとうなんて言葉をかけられるときはそうそうないのだ。1年過ごしてきておめでとうなんて声をかけてもらえることなんて誕生日以外にそうそう思い当たらない。
高校生のとき、特に自分の誕生日についての話をしたことのなかった人におめでとうと言われたことがある。朝、学校に行ったら真っ先に「誕生日なんでしょ、おめでとう」と言われてもうなんだかすごく嬉しくなったのを覚えている。

逆に、自分自身はどれだけ誕生日おめでとう、と言えているだろうか。これは難しい。
例えば、とても仲の良い人であれば誕生日についてそらんじている場合がある。両親や兄弟なんかの誕生日は普通に思い出せることであろう。ではそれが友人関係なんかになると急に怪しくなる。バレンタインデー生まれとか、クリスマス生まれとかそういうインパクトがあれば別だが、そうでなければ何かを見たきっかけなんかで思い出すものだ。

まめな人はそれこそ手帳などに予定として記録するだろう。私の場合はiPhoneのカレンダーを見て気がつくことが多い。連絡先に誕生日が登録されているのだ。昔のガラケー時代の遺産である。あの赤外線交換とかそういう時代のものが、機種変更を経て今の今まで続いているのである。連絡先を交換した際に自動的に入っているものもあれば、メールアドレスに4桁の数字があればそれは大抵誕生日なのでそれを勝手に登録したものもある。それがカレンダーに表示されるから気がついて連絡をしたりするわけである。
それから最近だとTwitterやLineで知るようなことも多い。Twitterなら誕生日をプロフィールのところで見れるし(公開設定にしていれば)、誰かがおめでとうと言っているのを見て気付くこともできる。これは便利だ。Lineは最近タイムライン上で通知を流してくるのでそれで気がつくことも多い。何にせよ、まめに記録していなくても、ある程度どこかで開示されていれば誕生日を取りこぼしにくくなるのである。時代は進んだものだ。
ただまあ例外として、どこにも誕生日の記載のない、全く個人情報を出さないタイプの人は誕生日を祝いにくいというのは、どうしてもある。口頭では1度か2度くらいは話したことがあるんだろうけれど、なかなか誕生日と言うのは記録していない限り覚えられないものである。それが大事な人の誕生日であれば、聞いてその場でメモでも取るんだろうけれど、よほどのことだろう。
だからぜひ誕生日はそれとなくで良いのでアピールしてくれたらいいな、なんて思っている。

私なんかはおこがましくも誕生日アピールをする方だ。フィギュアスケート羽生くんと同じだよ! という持ちネタでアピールしているおかげで、それなりに気づいてもらえているのであるが、今年はさらにおこがましくこんな記事まで書いているわけである。

何も言われないよりは言われる方がずっといい。親しい人でも、そうではなかった人からでも、言われれば嬉しいものだと、少なくとも私はそう思っている。