言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

その場しのぎの小腹満たし

腹が減っては戦はできぬ。いい言葉だと思う。

 


仕事が立て込んでくるとどうも食事の時間がずれこんでしまう傾向がある。キリがわるいとかタイミング的に無理とか、そういう仕方のない事情が介在するわけだけれど、やはりどこかで何かお腹に入れないと戦および仕事はできないものである。私は無理だ。

そういう時、とりあえずで小腹を満たすのは本当は好きではない。お菓子を口にしたり、コンビニでおにぎりを買ってきたりしてちょっとした小腹満たしをする、そういうことをできればしたくない。

 


なぜかと言えばまあ普通に1食ご飯が食べたいよねというだけの話であって、その1食のご飯をなあなあに済ませたくはないんだよね、という話である。

 


旅行中とか観光中の食べ歩きとかとは全然事情が違うものであることも付け加えておきたい。常に適当にご飯を済ませるのが嫌だとかではなくて、仕事の時にご飯が適当になるのが嫌なのである。

 


空腹では仕事にならない。頭が働かないし、そもそもお腹が空いているという事実がもう邪魔をしてくる。

 

 

 

会社の周囲はバリバリのビジネス街なので、12時になるとどの店も人でいっぱいになる。ランチタイムに何分も並んで食べるのはあまり嬉しくないことである。だからいつも、13時になってから昼休みを取るようにしている。

 


当然、13時に遅らせるとお腹が空いている。朝ご飯の感じにもよるけれど、12時にはもうお腹がかなり空いている日が多い。13時まで1時間、ここで適当なお菓子をつまんだりしたくないというのが私の気持ちである。

もっとも、昼前というのは「この後ご飯を食べに行くし、お菓子を食べるのもなあ」という気持ちになるので案外我慢もできるものだ。

 


13時に行くメリットは圧倒的な人の少なさである。お昼休みの時間が固定の会社が多いのか、13時まで混雑している店はほとんどない。多少はあるけれど、そういった店は12時だともっと混雑している人気店だ。

デメリットはといえば、メニューが売り切れている可能性が有ることである。特にランチメニューを組んでいる店だと、ある程度数を見込んで作っていることもあって、13時に行くと売り切れているメニューがいくつもあったりするわけである。入口に大きく「500円ランチあります!」と看板に書いてあっても13時だと実際はもう売り切れているわけである。そういうものだ。

雑なお店に行くと、小鉢の中身がもうなんか乾燥していることもある。12時とかに合わせて作ってそのまま放ってあるのだろう。そういう店には2度と行かない。というかまあ行きたくないよね普通。11時に食べても13時に食べても値段が同じなのに、13時だともやしがさらに張り付いているような和え物が出てくるとか普通に嫌だ。

 


残念なことに、遅い時間にランチタイムを取ろうとすると往々にしてそういう目に合わせられる店が存在する。そういう店にはいきたくないのだけれど、タバコが吸える店だったりするので吸いたい人はその店を選びがちだ。私は吸わないのでただただとばっちりである。どうにかしてほしいので、最近は別の店を開拓すべくいろいろ回っているところだ。タバコうんぬん以上に美味しいとか安いとか気軽とかそういう店を探したいものである。

 

 

 

ところでまあ昼ご飯よりも、問題は夕方や夜である。夜帰れる時間というのは残業等もあってバラバラだ。18時とかに帰るときは、昼ご飯が遅いこともあって別にどうということはないけれど、22時とかになってしまうようなときが問題である。夜の休憩を取っても良いのだけれど、その分帰るのが遅くなるのでそれはそれで面倒くさい。30分休憩したら30分帰りが遅くなるし無給になるのは癪だからだ。

 


そうするとお腹が空いて、ついつい何か食べたくなってしまうのである。満足感や満腹感はそこまで得られないのもポイントである。だったらきっとちゃんと1食分きっちり食べたほうがいいのだろうけれど、それなら早く帰りたい。

ジレンマである。

 


どうにかして解決できないだろうかなぁ。

 

パスワード

パスワードを記憶するのが、頭ではなくコンピューターになったこの頃。特に最近はブラウザに保存してはいけませんよとお達しのあるような社用のPC以外は、あまり手内でパスワードを入れることがなくなった。
スマホはさらにすごい。顔とか指紋とかを登録していると、それだけで保存しているパスワードが呼び出せてしまうのだから。

だから、端末が変わった時なんかは要注意である。だってパスワードが自然と思いだせないから。

いつも使っているパスワードというのはすんなりと出てくるものである。PCのログインパスワードなんてのは、画面をロックする度に使うからもう"手が覚えている"状態だ。忘れることがあるとしたら長期休み明けくらいだろう。でも頭が忘れていても手がなんとなく癖のように動かし方を知っているからだいたいすぐに思い出せるかログインできるものなのだ。

最近、社用の携帯が支給された。あんまり使ったことのないアンドロイドのスマホである。いつも使っているiPhoneじゃないということでそもそも操作がいまいち理解しきれていないところだけれども、やっぱり困ったのはパスワードだった。
今まで使っていたのは私用のiPhoneとか会社のPCとか。今は上の人が優しいので会社のPCにパスワードを登録しても別にいいよ、と言ってくれている(返す時にちゃんとパスワードを消せばの話)ので、自動保存のパスワードを呼び出してあげて使っているにすぎないのだ。
ところがまあ社用携帯くんは未だ使われたことのないまっさらな状態でやってくるわけだから、社内システムへアクセスするパスワードが思い出せないというそれだけで四苦八苦である。社内システムのユーザー名は当然固定だし、パスワードも例えばメールを送ってもらえば変えられるとかそういう代物ではない。総務とかにお伺いを立ててパスワードを再発行してもらうような代物である。覚えているわけもない。覚えているのはPCやiPhoneのパスワードマネージャーである。

浅知恵を働かせて、自動入力されている値をコピペすれば読めるようになるじゃないか! と思ってコピペしてみたら、見事に*******みたいな状態で出てきやがった。まあそうだよね。セキュリティーとしては最高だ。それであっている。パスワードマネージャーそのものにアクセスをしたらさすがに分かったけれど、危ないところだった。パスワードマネージャーがなくなるとか、PCやiPhoneごとなくなるとかそういうことがあったらさぞかし不便になるだろう。復旧困難な事態に陥るかもしれない。

こうして人は退化していくんだなぁと、このブログも自動保存のパスワードでログインしながら書いている。あーあ。

 

密輸って言うけれど

北海道限定品を購入し、直接運んでくることを密輸と呼んでいる。やってることはただの空輸だし、別に大したものを運んでいるわけではないのだけれど、しばしば保安検査場で検査されるのでそう呼んでいる。怪しいものを運んでいるわけではないのに。

検査されるのは、液体を手荷物で持ち込もうとするからだ。荷物を預けてしまえば関係ないのだけれど、特に夏場なんかは預ける荷物もそう重くないので手荷物として持ち込んでしまう。
手荷物の液体は未開封であることを示すか、あるいは開封済でも中身を簡単に見てもらえれば普通に持ち込むことができる。悪いことをしているわけではないのである。


函館に新幹線で行く時を除いて、ほとんどの場合北海道行きは飛行機を利用する。保安検査といっても海外旅行の出国時よりはずっと簡易なものではあるにせよ、なんとなく遠くへ行くんだなという気持ちになるわけだ。そんでもって帰るときにはその逆で、出国するというか、ああこの大地を去るんだなあという、そんな気分になるのである。

それゆえの、密輸。

北海道限定製品が欲しいなら、セイコーマートに行けばいいじゃないかという声が聞こえてきそうだ。セイコーマートは北海道のコンビニだけれど、なぜか茨城や埼玉の一部地域に出店をしているのだ(昔は兵庫の姫路とかにも店舗があったけれど、それは撤退済)。行こうと思えば行ける距離。コンビニにわざわざ電車賃なりガソリン代を使ってまで行くのかというのは置いておいても、行く価値は少なくとも私にはある。

でもまあ、そういうことではないんだ。

それは茨城や埼玉のセイコーマートの品ぞろえが北海道のそれとは微妙に異なるものだからではない。
あくまで密輸をしたいのだ。それこそ買おうと思えばネット上で欲しいものを箱買いすればいいのである。でもしないでしょ? 白い恋人の箱買い。Amazonとかで取り扱いがあっても、現地に言って買って帰って来るでしょ? そういうこと。
私がしているのはお土産を買っているのとほとんど同義のことなのだ。端から見れば「そんなものを?」と思うようなものを運んでいるだけである。


北海道という土地が好きなので、年に何度か訪れる機会がある。去年は合計4回。札幌や函館、旭川根室あたりに出かけて行った。今年もGWに札幌周辺にいて、来月に函館行きの飛行機を取っている。
定番のお土産を買おうと思えば買えるし、頼まれれば実際に買っていくこともある。それ以外の自分のお土産として、ガラナとかナポリンとかやきそば弁当とか、うまく保冷すればカツゲンとか。そういうものをこっそり道外に持ち出して、楽しんでいるのである。

密輸、それは私が見た光。
液体を保安検査場に持ち込むときは気を付けよう。

「○○駅店」「○○駅前店」

この間、北海道旅行をしてきた。いろいろあって新千歳空港を22時半くらいに出ることになったわけだけれど、その日の宿泊先は札幌。空港から電車に乗っていくと23時15分くらいに札幌駅に到着する計算になっていた。

翌朝は新十津川という秘境駅に向かう予定だった。新十津川という駅は来年(2020年)にもう廃止になることが決まっている駅で、列車はすでに朝の1本しか設定されていないというとんでもない駅である。9時28分着の列車が始発かつ終電ということで、それに間に合うためには札幌駅を翌朝6時21分に出発する電車に乗らなくてはならないという、まあそういう状況だったのである。

翌朝が6時にはもうホテルを出ていなくてはならないのに、札幌到着時点で23時15分。遅くなってしまったけれど、まあそれでもサクッとホテルに入って、風呂に浸かって寝ればいい。それに駅から近いホテルのはずだからな、とその時は思っていた。

地図を調べるとホテルは札幌駅から歩いて10分くらいの場所にあるようだった。疲れていたこともあって、札幌駅の出口を正反対に出てしまったり(目印のビックカメラヨドバシカメラを間違えた)、途中でコンビニに寄って飲み物を買ったり、30分くらいかけてようやくホテルに到着した。
ホテルリブマックス札幌駅前店。中に入って、ホテルのフロントに行く。遅くなってすみませんとか言いながら、チェックインしてもらおうとすると名前を告げると、ホテルの人が「あれっ?」というような顔をして、私に言ったのだ。

「お客様、ご予約が入っておりませんね……」

どうしたことか。予約がない?
絶句していると、もしかして……という顔でホテルの人はこう続けたのである。

「札幌店の方とお間違いではありませんか?」

札幌店とな。私が足を運んだのは札幌駅前店である。札幌店というのがあるのか。慌てて予約を確認すると確かに「ホテルリブマックス札幌店」と書いてある。

やってしまった。
札幌店と札幌駅前店があって、それぞれ建っている場所が違ったのだ。

念のため電話で予約を確認してもらうと、やっぱり札幌店の方に予約が入っているらしい。お礼とお詫びを言って、すぐに「駅前店」のほうを後にする。


時刻は23時55分頃。札幌駅前店は札幌駅から徒歩10分くらいの場所にあるが、調べたところによれば札幌店は「中島公園」という地下鉄で3駅の場所付近にあるというではないか。慌てて地下鉄の終電を調べると、さっぽろ駅を0時9分に出る電車が最終であるらしい
札幌駅までは徒歩10分だけれど、さっぽろ駅(地下鉄)は10分で歩ける自信がなかったのと、もう疲れていたこともあって、電車はあきらめてタクシーで向かうことにした。

「ホテルリブマックスの札幌店の方にお願いします」
とタクシーの運転手に告げるが、どうも歯切れが悪い感じの回答しか返ってこない。
「リブマックスか……2つあるけどどっちの?」
「あ、中島公園の方の……」
中島公園の方の? うーん、それも2つあるなあ」

いやいやいや待て待て待て。
まだあるのか、トラップが。


改めて調べると、「ホテルリブマックス札幌店」と「ホテルリブマックス札幌すすきの店」の2つがあって、しかもすすきの店はかなり中島公園駅寄りにあるらしい。

もうなんなんだよ、とか思いながらも、さっき札幌駅前店の方で「札幌店」の予約で間違っていないことは確認したよなと思い直し、中島公園が最寄りの札幌店の方に行ってもらうことにした。

10分くらい乗っていただろうか。ようやく私は「ホテルリブマックス札幌店」へ到着することができた。フロントで予約確認するまで少しドキドキしたけれど、今回はちゃんと予約があった。タクシー代は1300円くらいだったので、まあ決して地下鉄と比べたりしたら安くはないけれど、ちゃんとたどり着いたので良しとしよう。

もう時刻は0時半を回っていた。翌朝6時21分までには札幌駅にいないとならないとなると……と計算しつつ、風呂に入って、短い眠りについたのだった。

グミ

グミは美味しいけど、どうしてか無限に食べ続けることができない食べ物であると思っている。食べ始めるときは「こんなの一生食べ続けられるでしょ」くらいの気持ちなのだけれど、どうもだんだん食べ進めて行くにつれて「もうこれくらいでいいかな」という場所にたどり着いてしまうのだ。
お腹に溜まらそうな見た目をしているのに、食べてみると意外とお腹が膨れるのが原因だろうか。果汁グミとか安いし適当にたくさん買ってみたりして黙々と何かテレビでも見ながら消費するようなこともあるんだけれど、どうも飽きるより先に限界が来てしまうのだ。身体の内側から受け付けないよとメッセージが発せられる化のように、はたと口に葉顔部手が止まってしまうのである。摩訶不思議。


ポテチだと意外と最後まで普通に食べられてしまう。ポテチは偉大だ。そして罪深い。口当たりが良くてしかも軽いので、やめるタイミングが見つからない。旅先でうっかり買ってしまってホテルの部屋で食べながらゆっくりする瞬間は至高だし、それが例えしっかり夕飯を食べた後出会っても普通に食べきってしまえるような強さがある。強さってなんだ。わからん。

グミとガムは似て非なるものだ。グミは噛んだら小さくなって行くし、咀嚼したら飲みこむものだ。ガムは噛んでもなくならないし味がなくなったら捨てるだけ。運転中とかに眠気覚ましに口にするならガムの方だと思う。グミを食べながら運転していると別に眠気はそんなに覚めないし、ついでになんかお腹が膨れてくる。なんかそれではもったいない。食後なら別にいいんだろうけれど、食後ならなおさらグミじゃなくていい。お腹一杯で眠い時に噛むのはガムだ。


グミと飴はちょっとだけ似ている。グミも舐められないわけではない。舐めても飴のようには溶けて行かないけれど。グミも飴も食べ過ぎると、上の歯ぐきの裏側あたりの粘膜がヒリヒリしてくるのも同じだ。たぶんあの手の甘いものなら何でもそうなる気がする。
ただ固形物とはいえ飴は舐めていれば溶けて行くので、噛む必要のあるグミとはその辺が少し違う。じゃあチューイングキャンディとグミは似ているかと言えばかなり似ていると思う。歯にくっつきやすいところまでそっくりだ。

グミとよく似ている、というかほぼグミだと思うのだけれど、ゼリービーンズとかいうのもある。アメリカのレーガン大統領が好きだったとかなんとかで有名だったらしいけれど、大統領になった時の式典だけで3トンも消費したらしい。さすがに規模が違う。腹にたまらなかったのだろうか、歯ぐきの裏側がヒリヒリしなかったのだろうか。

私は適量でいい。食べたくなくなったらフタを閉じて仕舞うから。

 

外国語を勉強した"甲斐"とは

英語の勉強と言うのは得意ではなかった。得意でないし、そういう意味では今でもかなり適当である。困るには困るけど、もう海外旅行とかでは開き直って適当に話している。それでなんとかしている。なんとかならない時もあるけれど。

トイレに行きたくて、フードコートのあるビルに入った。……つもりだったのが、間違えてとなりのオフィスビルに入ってしまった。そういうミスをしたことがある。これが英語が適当でなんとかならなかった例である。

別にどうってことのないミスだ。間違えましたトイレに行きたかったんですすみません。それで済む話だけど、私は(というか私たちは)それをうっかり外国でやってしまったがために面倒くさいことになったことがある。意思が伝わらないというのはもどかしいことである。

日本語だとまあ上記のような事を説明すればものの5分で解放されるものを、中途半端に意思が伝わらなかったがために1時間くらい拘束されたのは苦い経験である。当時外国で使えるような携帯電話は出ていたが利用額が高額でだれも海外ローミングなどはしていなかった。それ故に翻訳アプリ等も使えなくてしばらく難航していたのだが、とっさの思いつきで電子辞書を出した人がいてそれでなんとかなった。トイレに行きたいだけで間違えてビルに入ったのだと。死ぬほどしょうもない理由である。


それでもまあ英語ならまだマシな方である。英語はなんとか読んだり書いたり単語を拾ったりと言う事は出来る訳だけれど、それは中高6年間勉強したり受験に使ったりとしたからである。

もっと困っているのは第二外国語というやつだ。英語以外のもう一言語勉強しましょうね、となった時に私は中国語を選んだのだけれど、これは勉強に大いに苦心した記憶がある。
良く考えてみれば6年だとかそれくらい勉強している英語がままならないのに中国語がすんなり覚えられるわけがないのだ。少なくとも私の場合は。


ところが最近中国語が必要になる機会が増えた。というのも、中国から来ている人と一緒に仕事をしているからである。彼らは日本語でも話してくれるけれど、日常会話は基本的には中国語だ。何かと不便なことが多い。
そういえば中国語って勉強したことあったよなと当時の教科書なんかを引っ張りだしてきて見て眺めていたがいまいちどんな感じだったか思い出せない。

結局飲み会の席で自己紹介を中国語でやって「おー」と言われるくらいに留まった訳だけれど、勉強していた甲斐があったのかどうかで言えばかなり微妙なところである。

 

最寄りのコンビニ

通っていた店がなくなってしまうと寂しいものである。それがコンビニであったとしてもである。いつも行っていた店がなくなってしまうというのは、何物にも代えがたい悲しみがある。


家の近くのファミリーマートがなくなったのはつい半年くらい前のことだった。閉店予告は結構唐突に行われた。今月末で閉店です。コンビニなんてそんなものだ。職場の近くのファミマも気がついたらそうやって閉まったものだった。

職場の近くには今でもファミマがある。閉まってしまったファミマは道を挟んだはす向かいにあった。当時は同じ交差点に道を挟んで2つファミマがあったのだ。コンビニなんてそんなものだ。ファミマは特にそうだ。私の家の近くにはファミマがあと2軒ある。駅をはさんで東西北方向にあったのがひとつ欠けただけ。ついでに言うとセブンイレブンも近くにある。ローソンはない。100円ローソンがあったけれどいつのまにかなくなっていた。コンビニなんてそんなものだ。

そんでもって新しく20mくらい移動したところにファミマができた。広くなって新規出店。おまけにイートインスペースまで出来た。家にも少し近くなった。唐突に閉店。新規出店。コンビニなんてそんなものだ。

じゃあ不便になってないじゃないかと言われれば確かにそうだ。それどころかちょっと便利になってさえいる。綺麗になったし広くなったし自転車を止めるスペースまで出来て至れり尽くせりだ。でもなんかまだ慣れなくて、いつものように前のファミマの跡地の方に足が向いてしまったりして。でも大抵閉まってるんだよね。コンビニなら24時間営業なのに、違うから。

ファミマだったところはスーパーになった。19時半になると閉まってしまう系のスーパーだ。駅前のスーパーは夜中までやっている。ファミマ跡地のは19時半。ちょっと良くわからないけれど、従業員想いでいいんじゃないのかなと適当に思っておく。どうせ19時半に家に帰ってこれる日はしばらくこないし。私が足を運ぶコンビニは大抵夜勤のメンバーが出勤してくる頃だ。気だるそうに納品を待っている。コンビニなんてそんなものだ。別にそれでいい。

オーナー的な何かなのか、普通にパートなのか知らないが、古株のおばさんがよく店にいた。駅前の3店舗全部に顔を出していたようなのでそれなりに責任ある立場の人なんだろう。
いつも行く店がなくなってから、その人に会わなくなった。新しい店は管轄外なのか、それともオーナー店舗とか直営店とかのしがらみなのか、新店舗のほうに見知った顔はない。応援に来ている節もない。
おなじファミマが20mずれただけだと思っていたのに、こんなにも違うものなのか。

それでもまあ、通ううちに慣れてしまうんだろう。新しい店、新しい場所。いつの間にか通い慣れた場所になるんだろう。

コンビニなんてそんなものだ。

 

仕事中の昼食事情

職場の近くにお昼ごはんを食べられる店はそれなりに存在する。なんなら職場のビルのとなりがもうランチ営業をしている店である。
日によって行く店を変えながら食べているわけだが、いつも行く人が喫煙者なので、自然と喫煙可能の店に行く事が増えている。

若干偏見が混ざっていて申し訳ないが、喫煙可能の店のランチが抜群に美味しいかと言えば、職場の周りの店は必ずしもそうではないから困るのだ。喫煙者は喫煙可能と言うメリットがあるので良いだろうけれど、私はタバコを吸わないのでその観点で特にメリットがない。喫煙可能な店で美味しい店があればそれでいいのだろうけれど、だいたい居酒屋のランチ営業の形態なのでたいして良くはないのだ、味が。
これで安ければ文句も減るが、場所柄結構値段を取る。安くないのに美味しくもなくてタバコが吸えるだけというのは私にとってはあまり嬉しいことではない。美味しくて安くてついでに言えば揚げ物ばかりでなく野菜とかも食べられる店が欲しい。あるいはそういう店に足を延ばさせて欲しい。頼むから。

ビジネス街の食事はハイカロリーだ。特に中華料理はやばい。どうしてあんなに盛りつけられてしまうのか。それでいて猛烈にご飯のすすむ味付けをしている。あれは食べ続けると太る。食べ切れてしまうからうっかりまた同じように頼んでしまう。恐ろしい。中華料理は怖い。美味しいかどうか以前に食べ切れてしまうことが問題でもある。だから痩せないんだ。出てきたものは食べてしまうから。
そういう意味では非常に美味しいランチがあるとそれはそれで危ないかもしれない。美味しい食事はついついたくさん食べたくなってしまう。ご飯お代わり自由の定食屋でお代わりしまくってしまうのは、美味しいからである。幸せなことだけれど、その分腹の肉になって還元されてしまう。毎日のことならなおさらだ。だからそんなもんで良かったのかもしれない。


一人の時は気が楽だ。その日の気分で適当に選ぶし、なんなら安い弁当屋があるので、それでいい。1食1000円ベースに毎日食べていたら破産してしまう。500円の弁当なら種類も豊富で飽きないし、温かい味噌汁を付けることもできる。そういうので良いと思っている。

ところがどうもそうやって食事をしているとなんだか一人で食事に出るのが寂しくて弁当を調達しているように見えるらしく、別の人から一緒にご飯にいかないかと誘われてしまった。それはそれで光栄なことだが釈然とはしない。
寂しいわけでも一人で店に入れないわけでもないんだけどな、好意には甘えるけども。

GWを棒に振った年の思い出

GWを棒に振った年があった。いや、昨年もいろいろあって後半を棒に振ったのだが、もっと前にに派手に棒に振った年があったのだ。

それは「新型インフルエンザ」が流行した2009年の事。


その年の私は既に冬にインフルエンザにかかっていた。インフルエンザA型である。当時学生であった私は、学校内というかクラス内で大流行していたインフエルエンザにやられて数日学校を休んでいる。
インフルエンザは最悪だ。普通に学校を休むことは別にどうという事はなく、むしろ嬉しかったくらいだが、それ以上にインフルエンザはキツイ。それに当時は運動部に所属していた私にとって、1日どころか3日も4日も動けないというのは大変なことであった。ただでさえきつい練習なのに、あっという間についていけなくなってしまうからである(上手くなりたい的な欲求でないのが実に私らしい)。毎日継続しているからこその練習であって、それが数日休めばウォーミングアップの時点でへばってしまうくらいのことである。練習について行くのに3日、元の通りに動けるように調整するのは2週間。であるからこそインフルエンザでもなんでも一度かかると本当に面倒くさいのである。

でもまあインフルエンザなんてのは基本的に流行るのは冬である。運動部の大会はだいたい夏がメインと相場が決まっている。私の部活でもいくつか例外はあったものの、インフルエンザが大流行する12月-2月あたりには特に大きな大会もなく済んだのだが、そういうこともあって完全に春になってからは油断していた。


だが、やつはGWにやってきたのである。


2009年4月。アメリカとメキシコで新型インフルエンザの発生が確認され、またたく間にその流行は世界中に広がっていく。後から考えればそこまでのパンデミック感染症の世界的流行)とまでは行かなかったようではあるが、鳥インフルエンザの問題等でかなりインフルエンザ自体に過敏になっていた日本国内では、かなりの重大事項として受け取られ、報道がなされた。

国際空港の検疫を強化して水際作戦を行うとかでサーモグラフィーを用いて発熱を感知するような仕組みを緊急的に作るなどしたのも確かこの頃だったか。とにかく国内に侵入させまいとして躍起になっていたわけである。
そうしてとうとう5月9日、カナダから帰国した高校生3人が感染していることが確認される。これが日本で初の感染確認ということになっている。彼らは感染の拡大を防ぐために緊急入院させられて、そのことが大きく報道されたりもした。そんな措置もあったものの、5月16日には渡航歴のない学生の感染が認められるなどあっという間に国内での感染が拡大していったのである。

これが原因で、修学旅行などで京都を訪れた学生が、タクシーを使って車の中からしか観光ができなかった、とか、とにかく大きな事象として扱われていた、そんなインフルエンザだった。


さて話は私に戻るわけだが、先にも述べたようにもう既に1月頃にインフルエンザA型にはばっちり感染したため、同年のインフルエンザ感染は考えにくい状況になっていた。かかってもB型であろうし、だいたい通常のインフルエンザは高温多湿が苦手なものである。GWにもなれば気温もあるし雨も降るから普通に湿度はある。

その日は確か5月の3日くらいだったと思う。なんだか調子が悪い。寒気がするので熱を測ったら結構高いし、だんだんぐったりしてきてしまったので、慌てて病院に行く事になった。
熱はその後もどんどん上がり、身体の節々はどんどん痛みだす。症状はまさに1月に体験したインフルエンザA型そのものである。でも半年間経たないうちに、しかもこんな季節にかかるのか? と思ったものの、テレビでは連日新型インフルエンザの報道である。

まさか私はこの新型インフルエンザに感染した第1号なのでは?

嫌な考えが頭をよぎる。緊急入院だろうか。隔離されるのだろうか。テレビが来て放送されるのだろうか。足取りを晒され、注意喚起が行われるのだろうか。

病院で検査を受けている間中、ずっとそんな事を考えていたので気が気ではなかった。


検査結果は陰性だった。ただし、限りなくインフルエンザの可能性が高いということで、インフルエンザ用の薬が処方された。
今はどうだか知らないが、当時はインフルエンザの判定と言うのは熱が出た直後ではほとんど出来ないのであった。だいたい発熱から12時間後から48時間後の間に検査を受けるのがベストであるという(48時間以内に薬を飲まないと効果が出にくいというのに)。それを完全に失念し、発熱3時間後くらいに検査したので当然出なかったわけである。

受診したのは小さな病院だった。GWである。開いている病院も限られていたのだ。いつのいく病院でもないし、一応1月にインフルエンザになったことは伝えたものの、いまいち要領を得ない回答しか返ってこない。
新型インフルうんぬんの話しなど一切なく、普通に家に帰されてしまった。


私が掛ったのはおそらくインフルエンザだった。症状的には完璧にインフルエンザだった。ただ、診断は下りなかった。
だからある意味助かったのである。5月6日に「最初の新型インフルエンザ感染者」が「海外渡航から帰ってきて発覚する」よりも3日前だったからである。うっかり診断されていたら大変なことになっていた。

ちなみに私はその秋、9月の末にもインフルエンザになっている。今度はちゃんとインフルエンザA型であると診断された。1年に3回のインフルエンザである。本当に勘弁してほしい。

1月にインフルエンザA型。9月にもインフルエンザA型。インフルエンザは単一ウイルスではないからちょっと違ったインフルエンザにかかってしまうことも稀にあるという。

では、5月にかかったインフルエンザは何だったのか?
新型だったのか? B型だったのか? それともA型の亜種か何かか?

5月の中盤から6月にかけて新型インフルエンザはかなりの流行をみせた。その先駆けになってしまっていた可能性は十分にあると思っている。


そんなわけでまあ、GWはインフルエンザによって棒に振ってしまったわけだが、困ったこと(?)に、学校は1日しか休まず行けてしまったのである。9月のインフルエンザもそうだった。シルバーウィークとかいう連休があって、その連休全部をインフルエンザに費やすという運のなさ。
ついでに部活の大会もそのせいで出れなくなった……はずだったのだが直前にインフル離脱者がでて急きょ白羽の矢が立つとかいう良くわからない展開もあった。良かったのか悪かったのか未だにわかっていない。

でもこれだけは言わせてほしい。そんなことで有名にならなくて本当に良かった。

無事に今年はGWを乗り切りたいものである。

去年のGWの話

GWはどこに行っても混んでいる。みんな休みだからと一斉に出かけるし、まあそうでもしないと連休をなかなか取れないんだという事情もあるわけだ。

なので出来るだけ人がいなさそうなところを選んで旅行をしたのが去年の出来事である。場所は根室

北海道も根室まで行けばGWでも空いている。ただまあ地図を見てもらえばわかるけれども、根室は遠い。市内に空港はないので飛行機で行くには中標津空港か釧路空港を利用する必要がある。だが私は馬鹿なので行きも帰りも新千歳空港を選んだ。だってスーパーおおぞらに乗り通してみたかったから。

私は旅行の時によくそういう事をする。動機なんてそれでいいのだ。一人で出かけているんだし、誰も困らないんだから、それで。


そういうわけ空港近くの特急停車駅である南千歳から乗車することすらせず、札幌で友人と遊んでネカフェに泊まった後、翌朝そのまま札幌駅からスーパーおおぞら釧路行きに乗り込んだのである。

札幌駅8時54分発で、釧路着は13時20分。4時間半弱の列車旅である。朝ご飯も食べずに乗ったので、まあ朝ご飯も昼ごはんも駅弁でも食べよう、車内で販売に来るだろう、なんてのんきなことを考えたら、アナウンスで車内販売がない旨が流れてくる。そういえば車内販売、廃止されたんだった。

慌ててホームで駅弁を買い込んで再び乗車。札幌駅停車中に放送してくれて本当に良かった。でないと、9時から13時半まで何も食べれないことになる。
朝食として適当かどうかわからないが、ヤマメの押し寿司を食べながら列車の出発を待ったのである。

指定席を事前に取っていたが、乗客はそれほど多くなかった。
GWであるから警戒して早い段階から座席を取っていたのだが、私の乗っていた車両の乗車率は6割弱くらいだっただろうか。外国人観光客っぽい人たちが全然見当たらなかったこともあってか、なんだか本当にGWなんだろうか、とか思ってしまったりもした。

釧路まで乗り通すような乗客は少なかった。私が目指す根室は釧路からさらに先、普通列車で2時間半のところにある。札幌からのべ7時間である。釧路の乗り換えは5分間しか間がなかったから、ほぼ列車に揺られっぱなしである。
そうして到着した根室はとても静かな街だった。GWっぽい騒がしさはない。静かで、ゆっくりとした時間が流れる街。道路の標識にはロシア語が併記されている不思議な雰囲気をまとった街でもある。

宿で出してもらった食事がとても美味しかった。カニの炊き込みご飯。焼牡蠣。なまこの酢のもの。美味すぎて笑ってしまった。
GWではあったものの、ちょうどいい時間の流れをしていて、とてもゆったりと過ごせて良かった思い出しかない。

今年の根室はどんな具合だろう。


余談だが、帰りに寄った釧路でまた牡蠣を食べたのだが、加熱処理が甘く、ノロウイルスを持っていたようで家に帰ってから地獄を見た。

10分間蒸してもらったはずなのに……。長めに時間を取ってもらって万全を期したはずだったのに……。


GWの後半を棒に振った去年の思い出。