言葉のリハビリ場

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山桜、八重桜の季節

八重桜の季節と言うのは、いわゆる「桜」である染井吉野ソメイヨシノ)の開花時期よりも後にやってくる。お花見の季節は終わり。新生活が始まって、まずはGWまで駆け抜けようとしている最中に満開の時期が来るからか、どうも八重桜に意識が向く事は少ない気がする。
少しもったいない。

私はと言えば、先日ちょうど桜の葉っぱとか花を食べる話を調べていた時の名残で、どうも八重桜を「食べ物」と認識してしまっている節がある。だって、見れば見るほど口にしている桜のそれなのだ。桜の花の塩漬けと言えば、八重桜の花を使う。葉っぱの塩漬けは大島桜というこれは山桜の仲間のものを使うのだけれど、見た目はほとんど同じである。葉っぱの形状は変わらない。大島桜は産毛が少ないので食用に適している。


山桜は古来最もポピュラーな桜の一種である。和歌なんかで詠まれるのはだいたい山桜のことだ。染井吉野の親というか祖父母に当たるような種類らしい。山桜と大島桜の交配種が染井吉野の親の片方であるらしい。もう片方は江戸彼岸(エドヒガン)という種類の桜で、これは染井吉野より少し早いタイミングで開花を迎えるものである。
山桜は決まった時期にいっきに咲くことはなく、だんだんと咲いてだんだんと散っていく。大島桜もほぼ同じである。個体差や地域差がかなりあって、一気に咲いたりとかそういうことがないのが特徴である。
その3種類が上手く掛け合わさって出来たのが染井吉野なわけだけれど、あんなに一斉に咲いて一斉に散っていくようになったのは面白いものである。開花時期は山桜側の遺伝子よりもいわゆる里で咲く桜たちの遺伝子が色濃く出ているわけだ。

そういう意味では八重桜は結構見ごろが長い。花びらが舞い散るというようなイメージはなく、なんか気がついたら全部まとまって飛んで行っている感じさえある。花びら同士のつながりが強いんだろうか。染井吉野では花びらは一枚ずつひらひらと舞い落ちて行く感じがあって、それ故に桜吹雪と称されるのだけれど、八重桜のそれはあまり見かけないものである。

要するにジャンルが違うのだ。

花びらが舞い散るような5枚花弁の繊細なタイプの桜と、八重桜のようにまとまって幾重にも重なって丸くふんわりした桜。5枚花弁の物以外は全部八重桜と総称されていて、100枚で菊のようにまとまって咲くものもある。


八重桜は百人一首にも詠まれている。

「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」 (伊勢大輔


奈良時代の花見と言えば梅の事である。花と言えば梅、という風潮が変わったのは平安時代になってから。つまりこの伊勢大輔の時代と言うのは桜のブーム真っ盛りの平安時代なのである。いにしえの都の奈良(平城京)は、梅が圧倒的ブームだった時代の都であるわけで、八重桜はもう平安時代には奈良でもうかがい知れるようになっていたのである。
事実かどうかはさておき、そんな事を考えるのは面白いものである。


八重桜の季節が終わる今日この頃、いよいよGWが始まる。そうしていつの間にか梅雨がやってきて、あれよあれよと夏が来る。
季節の移り変わりとは早いものである。