言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

PC買いました


新しくPCを買った。ずっと新しいのが欲しいなあと思っていたのだけれど、今回すごくタイミングが良かったので、買ってしまった。これも新しいPCから書いている。今までのポンコツPC君ではないので快適……と言いたいところだけれど、まだ全然慣れていなくて、いろいろ戸惑っている。


私の使っていたPCは、まだソニーがPCを作っていたころの製品だった。VGN-G3というシリーズ名の製品である。私が買ったわけではないので正確なことはよくわからないのだけれど、当時家電量販店とかで販売されていた中ではそこそこの性能のものであった(はず)。
まだ珍しかった64bitタイプのOSを搭載しており、逆に対応しているソフトが少なくていろいろ苦労した記憶がある。まだまだ32bit全盛期。フリーソフトの類が対応していないのはもとより、普通に市販されているソフトも64bit非対応というものが結構多かった。

このPCの発売年は2009年とかその辺の話である。ちょうど10年前。私の持っている一番古いデータが2011年とかだから、確か2年くらいたって型落ちになったということで貸してもらえるようになったのがきっかけだったと思う。その前に使っていたPCが壊れてしまったのをきっかけに、2012年か13年あたりからメインで使うようになったのだ。あの時は大変だった。OSは起動しなくなってしまったもののHDDは生きていたので、救済ソフトを使ってデータを吸い出して移行した思い出がある。当時は外付けHDDのような大容量ディスクを所持しておらず、1GBのUSBメモリさえ家には存在しなかった。128MBとかのUSBも普通に使っていたくらいだ。250MBくらいの容量のUSBでせっせと音楽データとかを移行したのは骨の折れる作業だった。
それから7年くらい、ずっと今の今まで現役でこのPCを使っていた。2,3回起動しなくなったりHDDが死にかけたりとトラブルはあったがまあなんとか動いてくれていた。

そんなわけでPCを新しくする機会がやってきたのだが、買うまでに結構時間がかかってしまった。そもそも論なのだが、よく考えたら自分でPCを買ったことがなかったのである。そりゃあ悩むわけだ。買い方からよくわかっていないし、相場もよくわかっていない。ほしいスペックだけなんとなくわかっている。たぶん一番面倒くさいやつ。
いろいろ調べているうちにBTO(平たく言えば受注生産のPCで、いろいろメモリとかSSDとかHDDとかのカスタムができたりするもの)にも行き当たったが、それはまた別の機会でいいかな、と思って普通に既製のメーカー品を買うに至った。そういう意味では結構保守的なのかもしれない。まあどう考えても安い買い物ではないので、間違っても安物買いの銭失いにはなりたくないという、そういう意識が働くのもあるだろう。
本当は同じメーカーの同じシリーズの後継機を選んで買えば間違いないのだけれど、私の場合使っていたのがソニー製のVAIOという「一旦なくなってしまったブランド」であるがゆえに余計に悩むことになったのである。安全策が使えない。新しい挑戦を強いられる。まあ悪いことではないし、仕事なりなんなりで違う機種を使うことは普通にある(というか最近は家のPCを触る時間のほうが相対的に短い)ので、その中からある程度使い心地等絞っていくのが賢明かな、との判断に至った。
スペック的にも仕事でできるようなことが家でもできればいい + もう少しマルチにいろいろできたほうがいい、くらいの観点でPCを探して、悩んで、悩んで、結局買った。
途中「ソフトバンクルーターを契約して1週間で解約することで実質1万円割引ですよ」と胸の名札にソフトバンクと書かれているのを必死で隠している感じの販売員に声をかけられたりしたが、そんなことしなくても週末はそもそも1万円割引になるという情報をもう持っていたので、その手には乗らなかった。知らなくても乗らないけれど。営業お疲れ様です。「ぶっちゃけ契約件数以外の解約件数とかは僕らには関係ないんで」とかいうセリフ、実にいらないセリフだったと思います。まあ関係ないけれど。

 

そういうわけで新しいPCを手に入れたわけだけれど、今までお世話になったPCもまだしばらくはお世話になるだろう。というかそうせざるを得なくなりそうだ。データが全然移行できないのはまあ大した問題ではないのだけれど、それよりもいろいろ入れたいと思っているソフトが全然DLできなくて困っているのだ。PCの性能とかではなくてもう我が家のネット回線が貧弱すぎる。集合住宅はこういうことがある。特に休日はまあダメ。また今日やり直してみて、さくっと終わればいいけれど。
ダウンロードは200KB/秒つまり1.6mbpsくらい。これって早くはないよな? と思って検索をかけると出るわ出るわ2000年代前半の記事。有線LANにしたほうがいいのかな、こういうときって。
iPhoneで試してみても似たような数値が出る。ひどいときは1.4mbpsくらいで、調子のいいときは5mbpsとか。ちなみにLTE通信だと90とか100とか普通に出るので、まあなんだ、うん、どうしろってんだ。

悩みどころであるが、とりあえずまあ気長に環境を作っていこうと思う。

 

CDを積んだ


CDを買った時、なんとなく開けずに放置してしまう時がある。どうせPCに取り込んでiPodiPhoneで聞くのだからさっさと取り込んでしまえば良いのだけれども、なんとなくそのまま放置してしまう時がある。
昔はCDを買ったらもうすぐに取り込んでずっと聞いていたものだったけれど、いつからそうではなくなってしまったんだろう。

もともと「積み癖」はあるのだけれど、それ以上に、CDを取り込む行為が既に面倒くさくなりつつある。特典が付いてこなかったりそれも必要ないものはDL配信で購入することが普通になった。欲しければ買ってその場で聞ける利便性と、iTunesが母体としてわりと安定していることも要因だろう(MacBookからは消すとか何とか言われているけれど)。1200円でCDを買って2曲(+オフボーカル2曲)得るのと、1曲200円、4曲でも800円で得られるのと、曲を聞きたいという点においては差を感じないほどになっているのである。
もちろん収集家としてはCDを買うことも普通にある。それは初めからそのCDのシリーズを買っている時とか。初めからずっとそろっていたらまあ、買うよね。CDにこだわらないのは、新しく手を出したコンテンツなんかにはかなりやりがちである。好きな曲を買う、聞く、他も気になれば買う。集めるだけならばTSUTAYAとかでCDを借りてくることもある。買うより安かったからだけど、最近家の近くのTSUTAYAが閉店し、さらに隣駅のTSUTAYAフランチャイズから直営にでもなったのか1枚50円(シングル・当日)をやめてしまったため買った時と変わらなくなってきているので、余計DL版で買うようになった。


かつてはCDはバックアップとしても優秀だった。PCが壊れてしまった時、データを救出するよりも新たにCDから取り込んでしまった方が速かったからだ。当時は外付けHDDとかも持っておらず、データ救出は救出ソフトと256MBのUSBを使って行ったものだった。もう7,8年近く前のことである。Windowsが立ちあがらなくなったものの、HDD自体は一応生きていたのでデータ救出が出来たのだ。ただまあ256MBのUSBでは今考えてもあまりにキツイ。もともとPCはWordで物を書くのに使っていたので、音楽をこうして集中管理する場所としてはほとんど考えていなかったこともあって、また容量の大きなものを外に出すような機会もほとんど考えられなかったために大きい容量のUSBは全く必要としていなかったのだ。
そういった意味ではCDの状態で持っていることに大きな意味があったのである。
ところがまあ最近は、めっきりCDそのものの出番が最初の取り込みとバックアップ要員になってしまった。そのバックアップとて有限である。普通にHDDとかのほうが長持ちするまである。ただまあ音楽データと言うのは結構重いので、そういった意味ではCDであることにある程度意味はある。iTunesなんかでは、CDを入れさえすれば楽曲名や歌手名なんかを入れなくて済むから(自動で取得してくれる)いいよね、と思っていたけれど、どうも最近調べてみたらライブラリごと別PCに移したり出来るそうなので、そういったアイデンティティも奪われつつある。

一応繰り返すが、私はCDを買うのを辞めたわけではないし、嫌だとは思っていない。手段として面倒くさいと思っている自分がいると言うだけの話である。いつかなくなってしまうとかそういった事は思わないけれど、CDをプレーヤーにかけて聞いたりする時代はいつの間にか終わってしまっていて、あの頃の、それこそCDからカセットテープへダビングしていた時代のことがすごく昔のことのように思えてしまうのである。言うほど昔じゃないような気がするのにすごく遠くなってしまった。家の中を探せばあるかもしれないけれど、でももう使い物にはならないだろう。
CDが買えない時は有線放送のリクエストを使ったりもした。流す曲をリクエスト出来るチャンネルがあったのだ(今でもあるかもしれない)。電話をかけてリクエストすると、その曲を流してくれる。カラオケの選曲とかと同じで、一部リクエスト出来ない曲もあったりした。不便な時代だった。CDどころかネットも普通にあった時代だけれど、手に入るとか自分で使えるとか、そういうのとは別だよね、ということでもある。
そして手に入るなら便利な方を良く使うようにはなるよね、と。でも意外となんだかんだで使わなくなることはないのが面白いところだ。

 

コンソメスープを買った、粉末を買った、JALのやつを買った

 

最近スーパーであれを手に入れた。あれと言うのは他でもない、JALの飛行機で提供されるコンソメスープのことである。

国際線だと機内食が出てくるわけだけれど、国内線だと飲み物のサービスが行われる。JAL系列でもANA系列でも出てくるものはわりと似たようなものなのだが、JALにはコンソメスープがあるのだ。いやまあANAにもコンソメスープはある。ANA系列である「北海道の翼」ことAirDoには北海道産の玉ねぎを使ったオニオンスープがある。それはそれ、これはこれ。私はJALコンソメスープがとても好きなのである。ANAやAirDoでもスープを頼むけれど、一番好きなのはJALのやつ。一時なぜかレギュラーから外れて、それでも頼めば一応提供される、とかなった時期もあったが、今は堂々とメニューに復活した根強い人気商品である。

飛行機の上で作られているのとおそらくほとんど同じものが市販されているのだけれど、案外手に入れるのは難しい。難しかった。空港とかで探せばいいんだろうか、とJALショップに行ってみたりもしたが、期間限定だったようで手に入らなかった。ネットで買えるんだろうかと思って探してみても、公式ショップには販売がない。コンソメスープの次に好きなキウイジュースが大容量セットで売っていてさすがにこれはこんなに欲しくないな……となりつつも、コンソメスープなら段ボールの箱買いでも何でもするわ、と思いつつくまなく探したが扱いがない。
昔買ったことがあるので存在は確かなのだが、案外手に入らないものである。ネットで調べてもどこに売っているかは特に書いていなかったり、期間限定と書いてあったり。あるところにはあるしないところにはないですよ、とか書いてあったのを見た日には「これがインターネットか」と画面を張っ倒しそうになったがこらえて、地道に店とかで探すことにしたのである。
そんでもって最近家の近くのスーパーにある、粉末スープが並んでいるあたりにこっそり置いてあるのを見つけてしまって慌てて2箱(1箱8食入り)も買ってしまった。
飲んでみるとちゃんと機上で味わうのと同じ味である。最高。飛行機の中だと少し濃いめにつくって出てくるけれど、買って飲む分には自分で濃さを調節できるのが良い。もうすぐ夏(もう夏?)というこの時期にスープをせっせと仕入れるのも不思議な光景かもしれないが、これが欲しかったんだからしょうがない。季節なんて関係なく好きなものは飲むよね。


そもそもスープを探しに行ったきっかけは、会社でお湯が自由に使えるという所にある。飲み物はもちろんだが、スープも飲めるじゃないかと思って良いものを探しに来たのだ。小腹がすいた時にお菓子を食べるよりスープを飲む方がいい。満足感というか満腹感が全然違うからだ。

しばらく続くコンソメスープの日々。願うのは、次に買いに行った時に在庫があるか再入荷している事。飲み終わりが近づけばきっとまた買いに行くけれど、そこまで持つだろうか。

 

炭酸泉


この間が初めてではないのだけれど、炭酸泉というものに入った。わりと流行っているらしく、名前はいろいろな所で目にするのだけれど、実際ちゃんと浸かってみて驚いたのだ。肌触りがとてもひんやりと、なんだか全然熱くないお湯のように感じて驚いた後、ずっと浸かっていたら身体がすごく温まったのでまた驚いてしまった。


入ったのは出かけた先での、スーパー銭湯でのことだった。人の家に遊びに行った時になどに良くあるパターンで、家のふろをみんなで使うのもあれだから、スーパー銭湯に出かけよう、となるやつである。今回もそれだった。


スーパー銭湯の大浴場、それも内湯の一番大きなお風呂が炭酸泉なパターンは初めてのことだった。何度か炭酸泉と言うものには浸かったことがあるのだけれど、あくまでメインのお風呂と言うわけではなくそのほかのバリエーションの一つのような扱いのものばかりだった。だから気がつかなかったのかもしれない。

炭酸泉の肌触りと言うかファーストインパクトは「ひんやりしている」感覚である。冷たくはなく、なんだか温い感じのお風呂なんだな、と思って浸かっていると、不思議と身体の内側から熱が湧き出てくるような、そんな感覚に襲われるのだ。温度は高く感じないのに、お湯よりも身体の方が温かくなっているような感覚である。なんとも不思議な体験であった。

炭酸はどこか鈴重人言うか、ひんやりとした肌触りを持つと同時に、どうやら血行を促進してくれる効果があるらしい。それが上手く合わさって、温(ぬる)く感じるのにじんわり温(あたた)かくなるような感覚を生んでいるのであろう。今まであまり長く入らないでいたのがもったいないくらいだったということに、この時初めて気が付いたのだ。


それまでは炭酸泉と言うのはなんとなくしか知らない存在だった。身体に一杯泡がついて面白いお風呂だな、くらいにしか思ってしかいなかったくらいには意識をしたことのない存在だったのだ。気がついたり理解したりするとがぜん意識するようになる。そういうもんなんだろうか。


炭酸泉は入った瞬間の感覚がなんとなくひんやりとしているので、あまり水風呂との相性は良くない気がする。熱くて汗が出てくるような風呂と水風呂の相性はすごく良い。だから、水風呂と、熱いお湯と、それから炭酸泉と3種類あるとたぶんすごく良いんだと思う。初めは炭酸泉でじっくり芯まで温まって、それから水風呂と熱いお湯を往復してみたりしたら、真冬とかはすごく気持ちが良いんだろう。
いろいろ新しい技術とか、あとは流行りだとかがあって難しいけれども、出かけた先なんかでであったお風呂なんかで発見ができると面白いものである。

 

七夕の天気


今年の七夕は雨だった。この数日ずっと雨が降り続いていたけれど、それのちょうど終わりあたり、と言ったらいいんだろうか。休日ずっと天気が良くなかった。
去年は雨こそ降らなかったものの曇り空だったような気がしている。平日だったからかちゃんと覚えていないが、調べてみたら曇りであったとの記録が残っていた。去年は七夕の日は平日だった。金曜日のことである。だからあまり記憶に残っていなかった、と言うのはあるだろう。もっと言えば私はちょうどその翌日から福岡に行っており、あの西日本豪雨の直後だったために河川がかなり増水しており、その印象が強く残っている。


七夕の時期はちょうど梅雨だから、雨の日が多くなるのは自然なことだ。ところがまあ意外なことに、興味本位で過去20年間の7月7日の東京の天気を調べてみたところ、雨だったのは6回、曇りだと7回。晴れていた日は7回だという。七夕の夜というのが夜何時のことを指すのかにもよる気がするので正確な事は言えないが、7割くらいは雨が降らないようだ。
印象と言うのは面白いものである。もちろん曇りの日は天の川を観測することができないので、それは七夕伝説的には「曇りの日は織姫と彦星は会えるのか会えないのか」という話になるだろうけれど、まあそれはどうなんだろうね。雨が降ると天の川が増水するから会えない、という類の話であればたぶん曇りでも会えるんだろうし、まあそもそも雨の日はなんとかして(鳥とかがうまくやって)橋を架けるとかそういう話も聞くから、そこはまあいろいろあるんだろう、と適当にお茶を濁すことにする。研究したら長くなりそうだから。面白そうだけれどそれはまた違う話。

今年はそういうわけでちょっと珍しく、雨が降っていた日だった。気温も低くてまた長袖を着る羽目になった。7月に入ったらもう夏のような気がしていたけれど、まだまだ夏っぽくない日が続いている。調子がくるってしまうけれども、5月には暑くて暑くて、もう勘違いしたセミが多少鳴いていたりもしたくらいだから、もしかしたらここらへんで帳尻を合わせに来ているのかもしれない。身体の方が追いつかないからもう少し緩やかに調整してくれ頼むよ。


去年は七夕の翌日から福岡に行ったと最初に書いたけれど、泊まったホテルのロビーには笹の葉と短冊があって、せっかくなので短冊に何か書いておいた記憶がある。
もっとも、翌日つまり7/8のことだったので、もう七夕は過ぎていたわけだ。過ぎていたけどまだ飾ってあったので、何か書くのも面白いかなと思って書いたのだった。そういった場合の願い事って叶うもんなんだろうかわからないけれど、まあ何を書いたのか忘れてしまったので、それが叶ったかどうかなんてわかりはしないんだけどね。

今年はどこにも何も、書かなかったな。

 

ポップコーンをつくる日


この間北海道に行った時に、お土産にポップコーンを買った。既にはじけているものではなく、まだコーンの状態のものである。電子レンジで出来るタイプらしく、なんか昔こう言うのやったよな、と懐かしくなってつい買ってしまった。

お土産としてポップコーンは優秀である。もちろんはじける前のコーンの状態のもののことだ。まず第一にかさばらない。これはすごくいい。例えば北海道に行くと有名なところだと「じゃがポックル」があるけれど、あれは美味しいしお土産として人に揚げても喜ばれるのでそれは良いのだけれど、結構かさばるのだ。かといってつぶしたりもできないし、過剰に圧をかけでもしたら粉々になる。これはまあ「白い恋人」でも同じだろう。お土産って結構繊細なものが多いけれど、ポップコーンは全くかさばらないし潰れるとかそういうことがない。そして軽い。
温度管理だっていらない。冷温だろうが何だろうが別に問題ない。よほど熱かったらさすがに変質するかもしれないけれど、それならたぶん何を買ってもダメだ。

北海道土産としてとうもろこし(とうきび)系のお菓子は普通に定番品であるので、ポップコーンが売っているのも普通に理解できるし説明もしやすい。だからまあなんかもう持って帰るスペースはほとんどないけど、面白そうなお土産がちょっとだけ欲しいな、とかそういう時にそっと買うのがベストである。私の場合は適当に買いすぎて普通に手持ちのバッグに入れていたので、帰ってきてから2日くらい本当に存在すら忘れていた。それくらいコンパクトかつか付くかさばらないのである。

 

ポップコーンを自宅で作る、と言えば、私にとってはフライパンみたいな形をしたアルミホイルで包まれている、直接火にかけるタイプのものが真っ先に思い浮かぶ。小さい頃、おっかなびっくりコンロの前でやった記憶があるけれど、結構派手な音がするので怖いのだ。
フライパンに直接コーンを入れて、フタをする形でポップコーンを創ったこともあったと思う。あれもなかなか良い音がするものだった。
そしてどちらも出来たての温かい状態のポップコーンが楽しめて、結構美味しいのでハマっていたような記憶がある。それもまあいまにして思えば一瞬のブームで終わってしまったけれど、なにかきっかけがあったような気がしてならない。思い出せないのだけれど、こがしてしまったとか、あるいはなんかもっと面倒くさいことになったか。当時もそういえば電子レンジで調理できるタイプの商品が存在していたような気がするけれど、それを家でやったようなうっすらとした記憶はあるもののほとんど記憶になく、それも何かあったからこそ思い出せないのかもしれない。

そういうわけでとにかく若干もやもやが残るとはいえ、せっかく買ってきたお土産ということで、説明書通りに造って食べてみたわけである。
電子レンジに入れて2分くらい放っておけば出来上がり、という優れ物である。味もちゃんと塩味が効いていて美味しかった。それよりもなによりも、家の中が映画館の入り口付近みたいな匂いになってしまったのは笑ってしまった。ポップコーンって食べるのは久しぶりなのに、食べるより前に映画館だ思ったのが面白かった。


ところで電子レンジ調理のせいなのか、調理時間のせいなのかわからないのだけれど、けっこうはじけずに残ったコーンがあった。たぶん入っている半分以上ははじけずにそのままだったようだ。元々ポップコーンにならずにいくつか残ってしまうのは普通にあるにしても、それにしても半分以上残ってしまったのは何だかもったいなかった。

……ので、それをそのままフライパンにあけて、再加熱を試みたのである。油をひいてフタをして加熱すればまあ出来るだろう、と適当に待つこと数分。はじける音が聞こえてきた。でもまあ元々はじけ残ったものだからかかなり鈍い。かなり粘ってみたがぜんぜん音が活発にならないのでフタを開けてみたら、まあほとんどがこげているか、はじけているけれど真ん中が真っ黒にこげているかの2択になっていた。世の中そういうものである。欲をかくと失敗する。ふたが透明ではないタイプだったのも災いした。

ポップコーンは普通に作った方が美味しい。そういうことだ。
今度リベンジしたいからどこかで買ってこよう

押し入れの扉の音は夏の訪れ

押し入れの扉は、開けるときに何とも言えない音が出る。たぶん金属のなんかの音だから、新しくないものだし油が足りないとかそういったことから起きている音だと思う。
夏になると、というか暑くなってくるとあまり音がしなくなってくる。開閉も心なしかスムーズだ。冬になると反対で、きしむような音は大きくなる。だから、私は押し入れの音があまりしなくなると、夏が近づいてきたんだな、と思うのである。


夏を感じるきっかけと言うのは実に様々なものだけれど、まさか押し入れの扉で感じている人はそういないと思う。他にいるなら結構感覚の似ている人なんだろう。

金属は暑いと膨張する。だから電車の走るレールのつなぎ目は、膨張しても良いくらいの隙間があいている。夏になると膨張して隙間が小さくなり、冬はその反対だ。あまりつなぎ目が大きすぎても冬に困るし、小さすぎても夏に困る。だから結構隙間は考えられて作られているんじゃないかと思う。隙間があるからこそ、電車はレールのつなぎ目を走る時に"ガタンゴトン"と音を立てて走るのである。極端な話つなぎ目の一切ないレールをずっとつなげれば音はしなくなるはずなのだ。実際新幹線などでは直線区間が長いからかつなぎ目の少ないロングレールが採用されていたりする。1500mとかそういう規模の話だ。1.5kmずっとつなぎ目がないのは普通にすごい。基本的には25mで量産されているのがレールと言うものらしいのだが、それを200mとかに溶接してから運んで、現地でそれをさらに1500mとかにしているらしい。まあ1.5kmもあったら運べないからね、普通。
ちなみに青函トンネルは年間通して温度も湿度もほとんど変わらないということで、54km分もひとつなぎになったレールが採用されている。54kmて。
つなぎ目は冬になれば広くなるから、当然"ガタンゴトン"の音も大きくなるはずだ。実際どうなんだろう。毎日電車に乗っていると違いがよくわからない。

押し入れの音とどう違うんだと言われるとうまく答えられないけれど、押し入れは明らかにわかるほど音が大きくなったり小さくなったりするのだ。それが私にとっての夏の始まりなのである。そういうものなのだ。

夏が来て暑くなるのはもう身体にダイレクトに伝わってくるのでそれは言われなくても夏だとわかる。わからされている。夏が私に夏をわからせにきている、そこに疑問を挟む余地はない。
押し入れの扉の音はあくまで"気づき"主体である。気づかなければ別にどうという事はない生活音である。あんまりうるさければ油とか差した方がいいんだろうな、とは思うけれど、もうここまできたら面倒くさいので壊れでもしない限り何もしない。絶対に。

 

今日は半夏生って言うらしい

いつのまにかずいぶん日が長くなった。すっかり忘れていたけれどもう7月なのだ。時が立つのは早い。意識しなければなおのこと早い。
一番日が長いのが夏至であり、そこから数えて11日くらい、だいたい7月の初めあたりを半夏生という。今年はちょうど今日である。私は関東に住んでいるのでなじみがないけれど、関西だとタコを食べたりするらしい。農作業がひと段落して(というかこれくらいまでに田植えをしておかないと梅雨が明けてしまうから)、豊作祈願としてタコをささげてから食べるのが由来らしい。なんでタコなんだろう。明石とかで昔も良く取れたんだろうか。まああとは8本足だから末広がり、とか?

冬至はゆず湯につかったり、カボチャを食べたりとなんとなく意識するようなイベント的なものがあるけれど、特に夏至にはそういう風習は(私の場合は)なかったので、知らず知らずのうちに通り過ぎてしまっていた。もう半夏生なのである。
かつてはこのあたりの時期は全国的に田植えの季節であった。そういう意味で非常に忙しい季節であるからか、なにか決まった風習が広まったりはしなかったのかもしれない。昔の人もこのくらいの時期は慌ただしく働いて時がどんどんと過ぎ去っていくのを感じたりしたのだろうか。季節で言うと6月から7月なんてのは梅雨があったり夏になったりと気温や天気にかなりメリハリのある、はっきりとした時期である。どんどん変わっていく気温に身体の方が間に合わず、かといって雨が降って気温が下がったりするし、下がったかと思えば湿度が高く不快指数がうなぎ昇りになったりする。身体も季節も忙しいのだ。そうしていつの間にか夏が来るのである。


だいたいもう1年が半分以上終わっているのだ。信じられるか? まるで信じられない。ついこの間2019年が始まったように感じるし、なんなら改元のあった5月すらもう2カ月経過しているのが信じられないくらい最近のことのように感じている。まあ今年の改元ムードはかなり特別なものだった。5月で一旦リセットと言うか、新年明けましておめでとうくらいの雰囲気があったから、なんだか今年はまだまだ始まって間もないように思えてしまうのだろう。それがもう夏至も過ぎて半夏生と呼ばれる日にまで来てしまっているのである。


子供の頃の夏休みのイメージからか、夏が来るまではなんとなく上半期みたいなイメージが強い。だから夏が来て、それが終わるとあっという間に年が暮れてしまうような錯覚に陥る。本当はもうとっくに年の半分は越えているんだ。1、2、3月をどっちに入れるのかとかそういうことを言いたいのではなく、あくまで感覚的な話である。7月は4月から数えたってもう3ヶ月も経過しているのだ。そうこうしているうちに毎日暑くて暑くて嫌になる季節がやってくるのだ。昔はあんなに心待ちにしていた夏(というか夏休み)だけれども、いまは指折り数えるのは夏の始まりではなく、夏が来るまでに経過した時間の方である。いつの間にこんなに時間を消費していたのかと、数えてぞっとして季節が変わる。大人になるってこういうことなのかな。違うと良いけど。

 

たまにだけれど、17時台に仕事が終わる時がある。定時で帰る場合だ。私の今の定時は17時半なので、だいたいそれくらいの時間が退勤時間の最速ということになる。冬でもなんとなく明るい時間ではあるが、この頃は夏至を過ぎたばかりということもあってもう17時台は夕方という感じがまるでしない。明るすぎて帰るのに抵抗があるくらいだ。違和感どころの話ではない。悪い事をしているような気分だ。
でもまあ、世の中の人は結構17時半とか、18時とかに退勤しているものである。会社を20時に出るときと18時前後に出るときとでは電車の混み方が全然違う。朝ラッシュのようにぎっちりみっちり詰め込まれることこそないけれど、それなりの乗車率の"帰宅ラッシュ"というのは存在するのである。当たり前のことなんだけれど、意外と気がつかなかったもんだ。
帰宅ラッシュに巻き込まれて帰るのは、なんとなく嬉しい。早く帰れるからというのはもちろんだけれど、特にこの時期は明るいから得をしたような気分になる。電車に乗るまで、退勤した直後はなんとなく明るくて後ろめたくもなるけれども、電車に乗るあたりではもう無敵だ。何でも出来そうな気がする。気がするだけなんだけど、そういうもんだ。得な気がするだけでちょっとだけ頑張れる、そういうこともある。

今年の梅雨明けはいつになるんだろうな。たまに明けなかったりするからな、梅雨。

 

雨が降れば

雨が降って嬉しかった事って、あまりないと思う。なんとかひねり出す感じで思い出したとしても、そのほとんどはネガティブな理由なことの方が多い。
例えば、小学生の時(泳げないので)プールの授業が嫌いだった私は朝から雨が降ると内心とても嬉しかった。プールの授業はたぶん必要な授業数がちゃんと定まっていたわけではなかったので、雨でなくなればなくなるほどやらなくてすむので嬉しかった。一定の水温がなければ開催できないというルールでもあったので、それで気温が下がってくれればそれはそれで良かった。
まあ残念ながらこれはきわめて負の感情に由来するものである。雨が降ってくれて良かった! とは思っているけれども、本質はそこにはない。嫌なこととから逃れる手段そのものである。


逆に雨が降って嫌だったことならたくさん思い出せる。小さなことから大きなことまで。小さなことは、靴のなかに水が染み込んできてしまう時。買ったばかりの靴なら防水加工も上手く機能していたりするけれど、履き古した靴はあっという間に水浸し。これは結構嫌だ。一日はきっぱなしならまだ良くて、脱いだり履いたりする必要がある時がなんとも嫌なものである。濡れた靴に足を突っ込む時の感覚は何事にも代えがたき不快感がある。
大きなことは、雨天中止系のイベントだろうか。毎日あるイベントではなく、一回きりのようなイベントではそれこそ神にでも祈るような気持ちで雨が降らないことを願うものだ。雨と言うより台風だけれども、高校生の時に最終日の文化祭が台風接近に伴って半分で中断、そのまま中止という事件があった。そういう取り返しのつかない中止は困るものである。
体育祭が雨で2回くらい順延したこともあったが、それは実施日が平日になるという事はあったけれども、それでもまあ開催が出来ないわけではないので、そこまで嫌な思いをした記憶がない。
まあでもやっぱり水泳の時の私と同じように、なくなってくれと思っていた人もいるだろうから、そういうもんなんだろうな。


旅行の時の雨降りは、基本的には嫌なものである。雨が降った方がいい旅行と言うのはあまり聞いたことがない。私自信もあまり経験したことがない、というか感じたことがないものだけれど、例えば水量の少ない滝が多少潤うとかそういう事はあるかもしれない。私の場合は素敵な清流が淀みきった茶色い濁流へと変身してしまったとか、展望台から望む綺麗な景色が白い靄につつまれてしまったとか、そういった事ばかりである。そういうものだ。そういうものなんだ。


雨の季節は長い。夏が来てどうせ暑さにうんざりするんだろうけれど、とりあえずこのじめっとした不快感と闘う毎日である。

 

ランチ物価

ランチで握り寿司のセットが700円で食べられる素敵なお店がある。量も十分あって、味も美味しいのですごく好きなお店だ。なんと言っても700円は安い。毎日ラーメンを食べるより毎日寿司を食べる方が安い、とさえなるくらいのお値段である。

会社の周辺は値段が高くてかつその上で量の多い店ばっかりだ。コスパ的な考え方をすれば量あたりの値段が安いのだろうけれど、あいにく大食いではないのでそういったものに関してはかなり持て余し気味である。何も言わずに頼むとご飯が大盛りで出てくるようなお店だと、つい無理して食べきってしまうので、太っていく原因にしかならない。

お寿司は量が増えないのはいい点だ。セットだから量が決まってる。出てくる量がちょうどいいというのはすごく大切で、特に私のようについ出てきた分は食べてしまう人間にとっては、適量であればそれを食べきって満足できるので良いのだ。

 


高くて量の多い店は困ると言ったが、安くて量の多い店はもっと困る。高い店は財布の中身を見てからいくものだけれど、安い店はつい気軽に、例えば給料日前とかに入りがちである。

件の寿司と似たような値段で食べられる中華のお店があるのだけれど、どうしてビジネス街の中華ってなんであんなにも安くて、しかも量がびっくりするくらい多いのだろう。不味けりゃ行かないので関係ないが、それで普通に美味しいから困ってしまう。怖い。お昼に行く前のふとした時に、あの山椒というか花椒のビリビリした感覚が思い出されてしまったら最後、もうそれしか考えられなくなる。

 


いくら700円といっても、寿司屋はなんとなく行く回数を制限してしまう。週に1回でいいかな? とかなんとなく思うのは、多分それが寿司だからだと思う。高くなくてもなんとなく毎日はためらってしまう。

じゃあ中華は? メニューを変えれば普通に行けてしまう。中華料理はものすごく普段使い用だ。大抵メニューも多い。大外しも少ない。とりあえずでも行ってしまう怖さ。実に罪深い。

 

 

 

そういうわけでたまには違うものを食べなくては、と値段を見ずに牛タン屋に入ったら、1600円もしたからびっくりした。かかっても1000円くらいだろうとたかをくくっていたら、1600円もするとは。

後から調べてみたら仙台で店を出しているような本格的な店らしく、美味しかったのは美味しかったのだけどそれ以上に驚いてしまったのが勝ってしまった。

 


寿司と中華が700円で牛タンが1600円。

わからない。物価がわからない。