言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

金木犀再び

甘い香りに振り向けば、そこには金木犀。姿がなくとも香りでわかってしまう花、それが金木犀である。この香りが漂ってくると、今年ももうこんな季節かと思わされる、風物詩のようなものである。
今年初めて金木犀の香りに出会ったわけだが、まだ花は咲ききってはいなくても強い香りを放っていて驚いた。あのオレンジ色の花を緑の葉の中に探したが見つからず、代わりに未だ咲かぬつぼみだけが見つかった。それでいて香りは既に漂っている。なかなかすごいものである。

金木犀という花は実に慎ましやかだ。その多くが緑の葉に隠れている。葉の付け根、その枝から花を咲かせるわけだから面白い。オレンジ色の花を咲かせるまでは本当にちゃんと探そうと思わなければ視界に入ってこないくらい隠れているものも多く存在する。だからいつも、目ではなく鼻がその花の存在を教えてくれるわけである。

ところで金木犀にはよく似た仲間が存在する。銀木犀と柊木犀というものだ。金木犀とかなり似ているが、銀木犀や柊木犀の花はオレンジ色ではなく白色である。また葉には鋭い棘があって素手で触ることは憚られるほど痛い。共通するのはその香りで、あの独特の甘い芳香はこの3種類に共通する特徴である。
ただ、一番香りが強いのは金木犀であるようだ。もともと金木犀は銀木犀からの変種であるそうで、銀木犀よりも花の数が多く香りも強いとされている。だから銀木犀は金木犀に比べてさらに慎ましやかであると言える。そのうえ棘のある葉をまといなかなか触れることも出来ない。しかし青々とした葉の間に除く白い花は美しくそして芳しい、この事実は揺るがない。実に面白い存在である。金木犀花言葉は「謙虚」。そして「気高い人」とも。銀木犀は「初恋」そして「高潔」。なんだかわかるような気がしてしまう。

柊木犀というのは銀木犀と酷似しているがちゃんとした別の種類のものだ。銀木犀と柊の交雑種と言われており、銀木犀よりもよりはっきりとした棘が特長だ。ほとんど銀木犀と同じようなものだが、開花する時期がより遅い。金木犀が一番早くて9月後半頃、その後が銀木犀でさらに後を追うように柊木星が花を咲かせる。11月頃になるとようやく柊が花を咲かせるというのであるから、交雑種であると考えれば、ちょうど真ん中というのは至極まっとうな理論である。

目立たないけれども、慎ましやかにその存在を主張する可憐な花。これから季節が進んでいくにつれて、少しずつ種をまたがって香りを楽しませてくれることであろう。秋になり、冬はもうすぐやってくる。
木犀の仲間たちのこれからが実に楽しみだ。


金木犀真闇もつとも匂ひけり 牧長幸子

昔取った杵柄

経験は強い。アドバンテージだ。経験しているのとしていないのとではまずスタートラインが違う。たぶん私は加速するのが苦手なのだろう。そうして追いかけて抜かすのはもっと苦手だ。だから少し前のラインからスタートして、そのままスピードに乗るのがいいんだろうか。
というか、私は特に経験したことのないことに対しては苦手意識が強すぎる、という大前提がある。基本的に初めて行う事は苦手だ。だいたい何でもそつなく出来てしまう人もいるが私はその対極の存在であり、そつなく出来る物事は大抵以前に何かしらの形で経験していることだったりする。
あるいは、明らかに酷似している場合も同じことが言える。同じような考え方をすればいいんだな、と分かればそこから先は経験が自分を押し上げてくれるわけだ。

ごちゃごちゃした理論は抜きにしても、経験が役に立った例は多い。なんとなしに手を出したことのある物がいつどんな時に役に立つことになるかなんてわからないものである。

特に趣味は新しく始めるより復帰する方が楽だと感じるから面白い。
とはいえ、障害となるのは「復帰するまでの期間の長さ」だったりする。最新の環境に更新されていないまま、一気に新しい情報を見て戦術を作っていく、このハードルの高さに尻込みしていしまう事が多い。昔ずっと追いかけていた連載漫画をまた読み始めようと思って。最新刊まで一気に買い込むくらいの事で済めばいいのだが。そうもいかないからままならない。そう言う時は原稿環境の先達に聞いて環境を覚えて行くのが手っ取り早い。かつて好きだったものを、再び好きになるのはわりに簡単だ。

スポーツ系の話になると少し話が違ってくる。体力的な面で、学生時代には到底追いつけないしリカバリーできないからだ。ただもちろん身に付けた技術とかそういうのは生きてくるのは間違いない。だって10年自転車に乗らなくても、急に飛び乗ってこぎ出すことは普通にできる。スピードとかスタミナは追いつかなくても、ある程度の技術は身体が覚えている。あいにく私は陸上部出身という事もあって、スタミナのない現在の身体ではそうそう活かされる技術なんてなさそうだが、まあスタートのクラウチングの姿勢とか走法とか、そういうのはきっと身体が覚えている。やったことがないのとは少し違ってくるはずだ。

何でもそつなくこなせる人は羨ましいけれど、自分はそうはなれないのはもうとっくに分かっている。だからいろんなものをつまみ食いして何かに役立てばなんて思っているけれど結局見につかずに忘れていってしまうものも多いんだろうなあ。

 

アニメのサントラという存在


サウンドトラックというものが販売されているという事は、CDショップに足を運ぶようになってから知った。もちろん「劇中のBGMを収録したもの」である事はわかっていたが、各作品ほぼ必ず販売されているのはびっくりすると同時に、特に手に取る機会もなくしばらくそれがどんなものなのかを知らずにいた。というか、アニメのサントラなるもの、誰が買うというんだろう? くらいの認識だった。例えばテレビドラマなら分からなくもないとは思っていた。「踊る大捜査線」の有名なあのテーマとか、そういうのは聞きたい人いるだろうなぁ、とか。さらには歌の入ってない曲を集めたってそれクラシック音楽のCDとどう違うんだよ、とすら思っていた(無論クラシック音楽も大して聞いたことのない人間の感想である)。とにかく聞きたい音楽はすなわち歌の入った曲で、その先にはとにかく歌えるようになりたい・歌いたいという気持ちがあったからこその「サントラ蔑視」となっていたのであろう。またの名を食わず嫌い。
アニメによってはOPやEDのTVサイズ版を収録しているだけでなく、挿入歌の一部はシングルで発売せずサントラに一緒に入っているという使用のものもあった。私はこれが憎かった。サントラに高い金払って1曲だけ欲しい曲を手に入れるのか、と。

ところが、その考えはとあるアニメに出会ってあっさりと覆され、食わず嫌いをあっという間に解消することになる。
そのアニメのタイトルが「ef-a tale of memories.」というもの。このアニメはシャフトという会社が作っているので絵もとても綺麗で良いのですが特筆すべきは音楽の素晴らしさ。原作の音楽制作スタッフがそのままアニメ版の音楽を作っているという事もあって音がとてもいいのと、さらにはかなり無茶な要求(シーンと音を完全に合わせる)があったらしく、音楽を聴くだけでシーンの情景がよみがえってくるほどのもの。これに出会った時に思ったのです。こう言う時のためにサウンドトラックというものがあるのか! と。そりゃ絵に合わせて音を作る(もしくはその逆)なんてのは例えば映画やドラマなんかでもよくあると思うので当たり前と言えば当たり前なのだが、それをはっきりと思い知らされたのがこの作品だった。完全に余談ではあるがこの作品1期制作時にはなんと原作が最後まで完成しておらず、そっちのBGM制作もほぼ同じ時期にやっていたらしい。だからか知らないがアニメ2期制作時になると1人作曲者が増えていて、主にピアノとバイオリンがメインの曲調だったものがエレキギターが入ってくるようになったりしていてそれはそれで面白い。

それからというものの、これ音がいいなあ、BGMがいいなぁ、なんて思うとすぐサントラを買うようになってしまった。サントラは結構曲数も多いし価格もそれなりにかかるためなかなか負担ではあるものの、むしろ積極的に発売を待つようにさえなってしまったのである。
サントラを聞くと、そのシーンを思い出す。特にサントラの作りにもよるが、順に聞いて行くとほとんど劇中で使われていたのと同じ順になる場合は、鑑賞の後「ひたる」時に最適だ。またなんというか、こうしてものをかいたりしている時にサントラはとてもいい。歌があると、歌詞に思考が引っ張られてしまう事がある。曲だけなら引っ張られないし、それどころか感情をそちらに寄せることができる。悲しいトーンの曲を聴くと、なんとなく悲しくなってくる。気持ちを作るのにちょうどいい。
サウンドノベルなんかが一番そうだが、音楽と文章はとっても相性がいい。うまく組み合わされば気持ちを何倍も大きく動かしてくれる。このシーンがどんなシーンなのか。悲しいシーンなのか、楽しいシーンなのか、それとも楽しいふりをしているだけで本当は悲しいシーンだったりするのか。寂しいのに強がっているのか。楽しいのに我慢しているのか。
こうして何度も同じフレーズを聞いているうちに、だんだん頭の中だけでも音が流れ始めたりして、現実が劇中のようになったり……。

まあ、そこまではないんだけどさ。

すごろくの話

その昔、すごろくは自分で作って遊ぶものだった。
模造紙の半分くらいのサイズの紙に、マジックペンで線と円を書いていく。たまに大きく円を描いて「2進む」とか「3戻る」とか書き足していくわけだ。作業自体はひどく単純だが、やりようによっては簡単に理不尽なゲームを作り上げることも出来てしまうのが面白さの秘訣だった。
マスに止まったら1回休みになるのは定番で、「スタートに戻る」もゴール前の定番だった。酷いものだと、スタート方面へ向かう一本道(それもマスが多い)に向かわされて、延々とスタートまで戻る間でさえも時間をかけさせるという理不尽ゲーである。あと中盤に必ずわかれ道を用意して、出た目に沿って進む道が変わるものがあったりもした。これもまた理不尽にスタート方面へ戻らされるものを作ったりして、運だめしの要素を苛烈にしていた。
そんな感じで自作のすごろくをつくって遊ぶ、そしてまた新しいものを作っては遊ぶ、その繰り返しだった。たぶん捨てていなければ3枚くらいは残っている気がする。こうして思い出してみて、また引っ張り出して遊んでみてもおもしろいかもしれない。思いで補正かもしれないけれど、あれは結構面白い遊びだった。

とはいえ、そうではないすごろく形式のゲームも結構やっていた。一番やっていたのは「日本特急旅行ゲーム」というやつだ。これは形式としてはボードゲームであり、基本的にサイコロでないもののルーレットを回して出た目の数だけマスを進めるという形式は同じである。舞台は日本全国であり、各々テーマに沿った用紙を一枚引いて、そこに書かれた場所を目指して電車に乗って行くというような物で、例えば「味の旅」であれば各地方1つずつピックアップされた郷土料理に従って8つの地点が指定されており、全部めぐって最終的にスタート地点である東京に帰ってくるのを目的としている。全員行き先の違う桃鉄みたいなもので、最初のこのカードの引きによって行程づくりを左右するから面白い。また日本「特急」旅行ゲームと言うだけあって、新幹線含めて様々な特急を利用して速いスピードで移動することも可能だ。ただし、各特急にあわせて特急券が1枚ずつしかなく、臨時特急券というどの特急にも乗れる券4枚と合わせて、何処でこの特急を利用するかがとても悩ましい。また「時間」の概念が導入されているのも特徴的だ。ルーレットの1/3は汽車のマークの書かれた数字のない目が付いており、これを引くと1時間時間が進む。特急列車は運行している時間が決められているので、いくら対応している路線に居ようとも、現在時刻を参照して走っていない路線であれば利用することができないという、これまた独特のルールである。さらに違う地方に入るとハプニングカードというカードを引くことができ、「今すぐ東京へ行く」「だるま祭りを見に前橋へ行く」というものから「誰か一人を任意の場所に飛ばせる」「旅は道ずれ全員集合!全員を任意の場所に移動させる」というような派手なものもありゲームにスパイスを加えてくれるわけである。まあこれもまた理不尽ゲーなのは否定しない。

これだけの要素があるこのゲーム、とにかく飽きが来ないのでもう何10回とプレイしたものだった。自作すごろくとはまた別の楽しみのあるゲームである。特に販売されたのが古い(1979年)という事で、往年の特急列車たくさん走っているのもなかなか見どころである。

大人数で遊ぶのにはあまり適さないが、例えば4人くらいが集まった時に、ド定番の人生ゲームなどに飽きてしまった時に結構お勧めなのでぜひ試してもらいたい。


折り畳み傘は持ち運ぶときに便利なのは言うまでもないが、車ではなく電車で移動するときに強く思うわけである。旅行なんかで出かけるときにも基本的には折り畳み傘。取り回しがいいし、置いたりひっかけたりして忘れてしまう可能性も普通の傘よりは低いからだ。
電車なんかでよく引っかけたりしたままになっているのを見たことがあるだろう。直に置いてある折り畳み傘というのはあまり見ない。大抵袋があってそこに仕舞えるから。

それでも私は普通の傘も折り畳み傘も両方忘れたことがある。
折り畳み傘はPASUMOにお金をチャージする時にちょいとその辺に、と置いてそのまま忘れてしまった。この場合は駅で保管してあったのですぐに引き取りに行けたので良かったが、電車やバスなんかでこれをやってしまうとまあ面倒くさいのはわかりきっているのでやらないようにしている。

電車で傘を忘れるとそれはそれは面倒くさいことになる。JRであれば長大路線であろうとも、その列車の終点でだいたい車内清掃やら捜索が入るので、つまり電車内に忘れ物をすれば列車の終点まで出向いて探しに行かなければならなかったりする。その他にはいわゆる忘れ物センターというやつがあって、何日か経った忘れ物が集められている集積所みたいなところがあるので、そこに出向くことになったりする。各社と相互乗り入れを実施している私鉄の場合だと最悪で、各社それぞれに忘れ物センターがあるので、例えば東急目黒線で忘れ物をしたら東急、都営、東京メトロ埼玉高速鉄道とすべてのセンターに収容されている可能性を考えなければならないのだ。傘は特に量が多いから探すのも一苦労。各社で忘れ物の連携は取っていないから、見つかるまで順繰りに巡るか、諦めるかの選択を強いられるうえ、拾われていなかったり盗られているものであれば見つからないわけだから困ってしまう。繰り返すが傘は特に見つからない。デザインは似てるし母数が多い。そう言う意味で折り畳み傘の方が忘れにくいし、バッグに入れてしまえば多少はそれで済んでしまうからだ。

折り畳み傘の袋はもう少し防水性能が高ければよいのになあ、とは思う。
2,3回出し入れすると外も中もびしょぬれで結局バッグの中には仕舞う事ができなくなってしまう事もあるわけで、それでさらに上からビニールかなんかで包んだりして……なんてやっているとその方が面倒くさい上に何の意味もなくなってしまったりする。だからあれはもう少し防水性能を高めるか、あるいは速乾性打ったりするといいのにな、なんて無責任に思ってしまったりするわけである。
あとはマジックテープで留めるタイプの傘はあまりよくない。あれが最初に劣化して、傘がしまえなくなる。ところが年々マジックテープタイプのものが増え、それ以外のものはほとんど目にしなくなってしまった。壊れたら新しいものを縫い付けてでも使ったら良いのだろうか。それともやはり買い替え時なのだろうか。

 

好きな花は何ですか

好きな花は何ですか、と言われた時、何と答えるのが正解だかいまいちよくわかっていない。花の専門家でもなんでもないから、というのは大前提としても、季節によってこれが見れたら嬉しいなあ、という花が変わるからであろうか。

考えて見ると私は結構木に咲く花が好きである。表現がこれであっているのかわからないが、路地植えの花や鉢植えの花も好きだと思うものもあるが、これ! というものはだいたい木の上に咲くものであることに最近気が付いた。

例えば春であれば、圧倒的に桜が好きだ。ただしお花見は好きではないというか花粉症なので野外で食事がしたくないのと、場所とり合戦が嫌なのであまりやらない。理想としては桜並木を歩いて回るか、人の少ないような並木を鑑賞するとか、そういう事だろうか。人気の全くないところに咲いている桜というのもまた良し。人が見ているか否かは桜の咲く条件には入っていない。
夏は百日紅。まあ夏に咲く花が少ないと言うのもあるが、蒼い空に縮れたピンクの花はよく映えるし、あの独特なつるつるとした幹の感じも好きだ。名前と言い幹の感じといい色ものっぽく見られがちだが、そう言う意味では結構普通だし花もほどよく可憐であるといういい塩梅を保っているわけである。見回してみると意外と並木や家の庭樹に使われていたりして、人気自体は結構あるんじゃないだろうか。季節柄青々とした葉を一杯に生やしている木々が多い中で、百日紅が混ざっていると何だか癒される。青々とした葉も生命感というか勢いを感じて良いが、たまには休憩も必要だ。
秋は金木犀だろう。見た目もあの小さな橙色の花がこれまた小さく固まって咲いている様は素敵だし、何と言ってもあの甘い香りもたまらない。賛否両論ありそうだが、金木犀のあの香りが大好きなのである。ちょっと離れたところからでも香ってくるので、季節の移り変わりというか、もうすぐ冬がやってくるんだなぁというしんみりとした気持にもさせてくれる花である。紅葉や落ち葉が好きなので、それと同じくなんとなく切ない気持にさせてくれる良い花である。
冬は梅。これもまた香りの素敵な花だ。白い花、薄いピンクの花、種類によって色はさまざまあるがあの何とも言えない甘いけれどもさわやかな香りがたまらない。そう言う意味では桃や杏も好きだがあまり庭先や路地では見かけないのと、梅林が家の近くにあることからだろうか。完全に余談だが、毎年この地元の梅を使って祖母が甘い梅漬けと梅ジュースを作ってくれるのだが、夏バテ対策にぴったりで大変重宝している。梅酒は地元商店街が作っているものがあるが、これもまた絶品だ。生産数が少ないので、季節になると2本くらい買ってゆっくり飲んでいる。花も好きだがそれ以上に梅は身も好きである。作りはしないがもちろん梅干しも大好きだ。

好きな花はなんですか? と聞かれても一つにはなかなか絞れないものだが、ちゃんと考えればなるほどそうだったなと思えるようなものが出てくるものである。私も先日この言葉を目にしてからどうかなと考えて見たわけだが、案外するすると出てくるものだ。期を見て花を題材にした俳句でもまた詠んでみようかなあ。昔桜でたくさん詠んだような気がするけれど、散っていく話ばかりだったような……。

 

ブックカバー

本を買うと、ついてくる。ついてくるというか、つけてもらう。それがブックカバーである。
主に付けてもらう時というのは、移動先とか出先で読むだろうな、という時。そうでない場合は、基本的に付けないで貰ってしまう事が多い。だって結局紙ごみになってしまうから。家で読むなら別になくても大丈夫だ。よほど表紙やタイトルがアレな感じな時を除いてである事は言うまでもない。

1冊だけ買った時は特に何も感じないものの、複数冊買った時のブックカバーをつけてもらうあの独特の間が何とも言えない。ちょっと申し訳ない気分になる。あとはちょっとイレギュラーなサイズの本を買ってしまった時。微妙に足りないと言うかちょっときつめになってしまったり、逆になんだか余ってしまった時。何だかちょっと気まずいわけである。申し訳ないなあなんて思いながらも、自分では綺麗に出来るはずもなく、「カバーをお付けいたしますか?」の問いには「お願いします」と答えるわけである。いつもありがとうございます。

普段手のひらにそんなに汗はかかない方だが、やっぱり本を読んでいる時にはなんだか力でも入るのか手汗をかく。そう言う時ブックカバーがちょっとふやけると言うか湿気を吸って柔らかくなる、あの感覚はそう好きになれない。本の表紙は大抵加工してあってつるつるになっているから、多少汗ばむくらいではどうともならないので、紙のブックカバーがどうにも邪魔になったりするわけだ。汗ばむといったって水滴のように垂れてくるほどではないし、そうなるような酷暑の日照りの中で読むものと言えば旅行のガイドブックくらいだろう。

とはいえ、昔は結構紙のブックカバーを付けてもらっていたものだ。特にライトノベルを買い始めたばかりの頃とか、青年マンガとかそういうのを買ったばかりの頃とかは、変に誤解をされるのも嫌でずっとカバーを付けて読んでいた。今ではどうだか知らないが、ラノベの表紙や青年マンガの表紙も見る人が見たらエロ本との違いなどわからない。特に中身に性的な描写がなくとも、わかりやすく絵が二次元的でかつモノによってはそれなりに扇情的なわけで、そう言う意味では行為があるとかないとかはあまり印象とは関係ないのである。本当は純文学の方がよっぽど行為的というか性的であるわけだが、印象は見かけによってしまうのだ。そう言う意味で不用意な事故防止のために付けてもらっていたわけである。公共の場でひけらかすつもりもないし、見て何かを思われたくない、そういう保険なわけである。

ところが、アニメイトという店はブックカバーの意義を違う所に見出しているから面白い。あそこのブックカバーは何を隠そうビニール製で透明なのである。つまり表紙を隠そうなどとはせず、むしろ見せるためにあるわけだ。ビニール製なのは先に述べた手汗問題の解決を含めた拍子の保護と、本棚などに飾った時の視認性も損なわない店を両立しようじゃないかという極めてコレクター的視点に近い考え方で作られているのだ。これは面白い。
もっとも、アニメイトなんかでわざわざ買うような本の表紙が健全なものばかりではないだろうと言う事は自明であり、初めて貰った時はびっくりしたものだった。

社会人になったからか、あるいはスマートフォンの普及のおかげか、最近ではなかなか本そのものを買う機会が減ってしまった。それからインターネットで買えば当然カバーは付いてこない。もちろん有料の、布製とか革製のブックカバーがある事は知っているし、実際持っていたりもする。でもなんだか、外ではなかなか本を読まなくなってしまい、カバーを頼むこともいつしかなくなってきてしまった。また久しぶりに本屋にでも行こうかな。でもあれだな、昔読んでいた本の続きを見たら、家にあるぶんの続きから最新刊まで全部欲しくなるんだろうな。

 

工場見学

普段生活をしていて目にする身近な商品でも、なかなかその製造過程を見るという体験をしたことがある人は少ないのではないかと思う。かく言う私も工場見学とは敷居の高いものだと思っており、例えば小学校で行くような社会科見学だとか、そういう団体客しか受け入れてないものだとばっかり思い込んでいた。
ところが探してみると、もっと気軽に、というかライトな感じで見学できるような工場が結構あって驚いた。
関東圏でたまたま足を運ぶことができたのは2か所ある。群馬県の甘楽という街にある「こんにゃくパーク」と茨城県大洗港のすぐ近くにある「かねふくめんたいパーク」である。どちらも入場料は無料で、無料の試食があるのも同じ。もちろん食堂も兼ね備えていて、食事も出来てしまう。結構至れり尽くせりだ。

特にこんにゃくパークの方はサービスが凄まじい。まず見ることのできる工場のラインが非常に多い。板状のこんにゃくを始め、さしみこんにゃくや糸こんにゃく、しらたき、そしてこんにゃくを使ったゼリー商品など幅広いラインナップの製造ラインを上から見ることができる。もちろん着替えとかそういうのは一切いらず、解説ビデオと共にガラス張りの部屋の向こうを見学するような仕組みだからとても気軽だ。そうして一通り見た後には試食もできるのだが、これがまたものすごい充実ぶりであり、その様は昼食ビュッフェのような品数である。煮物からラーメン、デザートまでなにからなにまでこんにゃくで作られた食品が取り放題で楽しめる。お金を払うのはお土産を買うスペースだけだ。こんにゃく詰め放題とかそういったものまであってもう至れり尽くせりである。
これは勝手な想像だが、同じ甘楽に工場そして隣の富岡に本社を構える「こんにゃくゼリー」で有名なマンナンライフ社の存在が大きく影響しているような気がしている。マンナンライフは全国的にも知名度抜群の会社、方やこんにゃくパークの運営会社である株式会社ヨコオデイリーフーズという知名度的にはどうしても劣ってしまう会社。スーパーなどにはかなり多くの店で流通しているものの、知名度はなかなか上がらない。それゆえのこんにゃくパークなのだろうなぁ、などと思うわけである。もちろん会社名はそもそもあまり大きく出していないので、名前を売ると言うより、群馬県のこの地域の特産品としてこんにゃくの名前を打ちだしたくて、という意味合いもあるだろう。事実、上信越自動車道真横に位置するこのこんにゃくパークの看板はものすごく宣伝価値のあるものであるように私は少なくとも思っている。

かねふくめんたいパークはこんにゃくパークと比べると非常にこじんまりとしている。というかこんにゃくパークがおかしいだけで、普通そう言うものなんだろう。ただめんたいパークも試食は明太子を半分くらいに切ったものを渡されて食べることができるし、売店で明太子おにぎりを買って食べることもできるから、例えば道の駅で休憩するかのごとく利用することも可能なのである。この気軽さはなかなか真似できない。

他にも色々工場見学を出来る施設があるようなので、またそういったところにも足を伸ばしてみたい。中には無料送迎バスが出ていたり、飲料メーカーなんかは試飲の他お土産があったりするらしい。考えて見れば酒蔵見学なんてのもこれに当たるだろう。また、楽しみが一つ増えた。

 

ビジネスホテルのサービス

ビジネスホテルのサービスは実に面白い。天然温泉の露天風呂があるとかそういう設備面でのサービスもそうだし、夜10時から無料で軽食のラーメンを提供するとか、そういったサービスもある。実に面白い。
ビジネスホテルと言うとネガテイブなイメージを持つ人も多いのかもしれないが、結構最近のビジネスホテルはサービスがそれなりに充実してる上に、結構清潔で使いやすかったりする。もちろん築年数とかそういう要素でまだまだ安かろう悪かろうみたいな場所もあるけれど、それを上回る勢いで素敵なビジネスホテルが増えているのではないかと思っている。

個人的に妙に気に入っているサービスがある。コンフォートホテルのゴールド会員(年10泊くらいするとなれる)が泊まる度に貰える特典だ。ビール、リポビタンD、水とカロリーメイトのセットの3つのいずれかから選べるのだが、私は必ず水とカロリーメイトのセットを選ぶ。これが1番便利というか理にかなってて良い。
水の存在は結構ありがたくて、ホテルの中ならいろいろ用途がある。飲むだけじゃなくてインスタント味噌汁やカップ麺に使う水にしたっていいのだ。コンフォートホテルには結構高性能な湯沸かし機能を持つ電気ケトルが備え付けられているから、素早く沸騰するのも良い。
カロリーメイトは申し訳ないが溜まる一方だ。忙しい朝につまむにも毎回は要らない。旅行カバンやビジネスバッグなどあらゆるところの非常用備蓄に成り下がっている現状はなんとも言い難い。ただまあ昨今の情勢を鑑みるに、外出用の備蓄というか非常食があって損をすることはないだろう。ミニサイズとはいえカロリーメイトの存在はありがたい。災害や遭難に限らず、旅行先が必ずしも飲食店のある場所とは限らないし食いっぱぐれた時のための手軽な食料としても活躍してくれる。この手のものは買うにはなんだか面倒くさいと言うか出費もバカにならないとかで尻込みしてしまうので、もらえると言うのはなんだかありがたい、という思いもあるわけだ。

コンフォートホテルに限っての話だが、全国展開している上にだいたいどこで利用してもサービス内容が変わらない、というのは「計算しやすい」という意味でありがたさがある。地域色を出すチェーンもあるしそれはそれで好きなのだが、均一でどこで入っても同じというのは旅先で安心をもたらしてくれるから良いのである。そういう意味でもコンフォートホテルのサービスが好きなのだから理にかなっているわけだ。

 

眼鏡を新調する


最近、眼鏡の調子がおかしいなあ、なんて思ってまじまじと見たところ、どうもレンズの上に一枚張ってあるような形になっているブルーライトカットのシート部分に大きく傷が入ってしまっているのを見つけてしまった。たぶん眼鏡拭きを使っているうちに、もともと経年劣化というか何年か使っていた分、細かく傷でもついていたところを最後擦って剥がしてしまったんだろう。こればっかりはどうしようもない。だって四六時中使っているものだから、毎日砂とかなんだかのゴミが付着するし、毎日何度か眼鏡拭きでレンズを拭っている。そういうものだから、多少傷が付いたり汚れていたりしてもそんなに気にはならないものだった。
まああえて例外を挙げるとすれば雨の存在で、これはほんの少々の雨量でも眼鏡に付着するとそれはもう厄介なのでそんな日は憂鬱になる。足を止めて眼鏡を拭う回数が増え、かといって放っておくわけにもいかず(乾くと跡になってしまったり、汚れが残る)、細かい傷に入り込んで汚れというか視界を遮る曇りのようになってしまったりもして、これは眼鏡を四六時中しているような人種にはよくある悩み事なんじゃないかと思うくらい日常的にやられている。

とはいえ、レンズが割れたりしたわけではなく、こうしてブルーライトカット用のシートが削れて違和感を覚えるようになるとは、盲点であった。というかシートを貼っているだけだというのもこうして傷がついて初めて気がついた。レンズと色が違うのである。ただレンズに傷が付くよりも色が変わったぶん違和感は大きい。良いことばかりでもないわけだ。
そもそもPC作業が結構多いかなぁなんていう軽い理由でブルーライトカット機能を付けてもらっていただけで、特に深い理由を考えずに使っていた。景色がほんの少し、僅かにだけど暗めに見える以外の弊害はなく、別に支障もないしこれでPCで目が疲れにくくなるならそれはいいな、くらいの感覚だった。それが剥がれることの弊害は特に考えもしなかったし思いつきもしなかったわけである。

まったく見えないわけではないし、違和感があるくらいだからそのうち、それこそ休みの日にでもまた新しく買いに行けばいいのだがそれはそれで面倒くさい問題を孕んでいて尻込みしている。というのも、どんな眼鏡が似合うのかいまいち自分で良くわかっていないからである。実を言えば、2度ほど既に眼鏡屋には足を運んでいる。むろん、特に高額ではない、それこそ誰でも知っているようなチェーン店である。ところがまあ上手く決まらない。今まで行っていた店舗がなくなってしまったのも大きく、初めて行った別の店舗がお洒落すぎてびっくりしてしまったのもある。

ちなみに、コンタクトレンズにするという選択肢はない。5年くらい前に1度挑戦をしたのだが、両目を入れるのに2時間、取るのに1時間と馬鹿みたいに苦戦したからである。良く考えたら目に手を入れるなんて無理だ。軽い感じで「まず白目を触って」みたいに言われても、そこから出来ない。何せプールの中で目を1秒も開けられないのだ。目は不可侵領域である。目薬は最悪目を開けていなくてもさせるからなんとかなっているだけで、基本的には眼球は絶対的不可侵領域なのである。だから慣れるとか何とか言う以前に、触るところからものすごいハードルが課せられているのだ。それを克服してまでコンタクトレンズは付けたくない。

 

だから私は新しい眼鏡を買いに行くわけである。
もういっそのこと、今かけているものと全く同じものがあればそれで、と頼んでしまえばいいのかなぁ。