言葉のリハビリ場

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通勤のストレス

最近、通勤のストレスってバカにならないな、と改めて思うようになった。特に朝の通勤ラッシュがそう。


車通勤の場合と電車通勤の場合があるが、ここはひとまず電車の場合を考えて欲しい。

 

通勤時間を考える時に考慮されるものと言えば、トータルの乗車時間である。通勤に関わる電車の乗車時間が1時間半を越えれば、住宅手当を支給するというような会社もあるわけで、やはり一番わかりやすい指標であるのは間違いない。

ただその乗車時間というものは、乗り換え検索などで算出されるわけだが、ひとまとめにその結果の合計時間の数字だけを見るのは危険だと私は思っている。

 

例えば、通勤時間は最速1時間であるが、極めて混雑の激しい優等列車(快速とか急行とかの類)に乗らなくてはならない場合。座席に座れる望みは限りなく薄く、ひたすら我が身は流されるがまま。これはかなり辛い。各駅停車のような混雑が多少緩和される列車を使うとなると、さらなる早起きを強いられるとなればかなり通勤時間は辛いものとなる。混雑が激しい路線は遅延も良く発生するし、出社する頃には疲れ果ててしまう。これは以前の私がそうだったのだが、さらに途中駅で乗り換えなどが絡んで合計1時間……となると、実際問題1時間では出社できないし、1時間半くらいの長い長い苦行に耐えなくてはならない羽目になる。

これで「もっと遠いところから来ている人もいるんだから頑張らなきゃ」とでも思えればいいのだろうけれど、あいにくそうできた人間ではないのでひたすら己の境遇を呪うだけになってしまうわけである。


だから昨今、通勤ライナーのように「追加でお金を払えば必ず座れる列車」が私鉄各社で増えているのもわかる話である。お金を出せば多少楽ができるなら乗りたい。そう思うのは自然な流れだ。通勤のストレスはできるだけ減らしたい。平日毎日毎日疲れていて、それで朝からヘトヘトになりたいなんて思わない。


意外な落とし穴としては、座れるには座れるが、乗り換えを複数回する必要がある場合である。先ほどの例に比べれば楽なのだが、複数路線が絡むと遅延等が発生した場合の影響が馬鹿にならなくなる。遅延証明書には5分だとかそれくらいの時間しか書いてないので言い訳もしにくいしいいことはない。


乗り換えは少ない方が良い。乗り換えという言葉の中には、例えば山手線から東海道線というような他路線の乗り換えだけでなく、各駅停車から快速に乗り換えるようなそう言った「緩急接続」もまた愉快なものではない。大抵の通勤路線は優等列車の方が混雑している。だから早い列車に乗らざるを得ない路線はなかなか大変だ。

各駅停車は何本か早い列車に抜かされる。その回数が多ければ多いほど優等列車に乗り換えた方が早く目的地に到着する。そうすれば家を出る時間を遅くできる。始業時間の早い会社などでは死活問題である。比較的ゆっくりでよければ「すし詰め乗車は嫌だから早めに出て各駅停車で行こう」という気にもなるが、その10分とかの時間を捻出すべく早起きするのは嫌、という時間帯であればもう乗るしかないのである、すし詰めになりながら。


鉄道会社はこのところ「オフピーク通勤」というのをよく推奨している。乗客の集中しすぎない時間帯に通勤してくださいね、という話なのだが、果たして自分がそれをできる環境にいるのか?という話でもあるわけで、なかなかうまくはいかない。早起きは嫌だが遅刻はしたくない。なら早い電車に乗る。皆同じことを考えているからか、ピーク時の混雑というのは変わらず存在している。ストレスでもなんでも他に優先しなきゃならないことがあるからだろうか。私は睡眠の方が大事だからそうやって通勤していたけれど、結構そんなもんなんだろうかな、みんな。


ちなみに、車通勤というのもした事があるが、私個人の感想としてはあれはもうやりたくないというのが本音である。

電車のように、例えどんなにぎっしりすし詰めだったとしても、眠い目をこすり大渋滞の首都高を運転して会社に向かうのはもうごめんだ。事故らなかったのが不思議なくらい。


通勤のストレスというのはつきものだけれど、だからこそできるだけ軽減できないかと日々戦うわけである。

毎日お疲れ様です。