言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

見えない花火


駅を降りたら、なんだかわからないが雷みたいな大きな音がした。破裂音。ああなるほど花火の音である。夏だから花火大会がどこかで開かれていることもあろう。そんなに珍しいことでもない。だけど結構大きな音がするもんで、いつもよく開かれている場所よりももっと近くでやっているな、ということだけがよくわかった。
それならばまあ見えたりするんじゃないかと思ってしまうが、実際は全く見ることができない。感知できるのは音だけである。光の端っこだってよくわからない。ただ何となく空が明るくなっているような気がするほうに顔を向けてみて、ああもしかして今音と一緒に光ったよね、なんて考えているのである。
マンションやビルなんかは音を反射させるのか、駅のような場所にいるときは本当にだいたいの方角しかわからない。ああこっちのほうで花火をやっているな? と顔を向けてみても、その次の瞬間には頭の後ろのほうから音がするなんてこともある。そうしてもうよくわからなくなる。
人間の感覚なんて結構適当だ。右か左かどちらから音が聞こえたかくらいなら何となく判別も付くんだけれど、ちょうど真後ろとかそういう時はまあ方角なんてわからないもんだ。花火に限ったことではないけれど。


とにかくどこかで花火はやっている。どこかで打ちあがっている。音がする。音しかしない。音だけする。音結構でかいんだよ。でかいからすごく気になるんだ。気になるけど見えないの。なんだそれ。知らないふりするには音がでかすぎるんだ。ほんと。

 

昔、家から見える花火があった。いや正確に言うと、家からでも花火が見れた、と言うべきだろう。向かいに建っていた工場に隠れるようにして花火が見えたのだ。さすがに全部ではなかったけれども、一部分、半分くらいは見ることができた。花火は音がするし少しは見えるものだった。
やがて工場が壊されてマンションが建つことになった。工場が解体されて更地になったタイミングで花火大会が開催されていて、その年だけは全部花火を見ることができた。遠くはあったけれどちゃんと丸く打ちあがった花火を見ることができた。

それが家から見た最後の花火になった。マンションができてからはもう音しか聞こえない。工場よりもマンションのほうがずっと大きいからだ。少し曇っていればそれに光が反射するので、あああっちのほうで花火打ちあがってるな、とはわかるけれども、それももう微妙なところだ。花火は音だけ。光は見えない。

花火大会か。行って見れば、それでいいんだろうけどな。