言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

ボールペンの替え芯という存在

 

今日、初めてボールペンの替え芯というものを使用した。
シャーペンの芯というものは幾度となく交換してきたが、ボールペンの芯を変えるというのは初めてのことである。そもそも今あまり手書きで文字を書くことがないということもあるが、学生の頃を含めても初めて芯を交換した。ボールペンの芯を変えて使用するという意識がこれまでなかったのである。
ボールペンの替え芯という存在はそもそも幼いころは知りもしなかった。小学生の時は少なくとも知らなかったと思う。誰か友達が交換しているのを見て初めて存在を知った。文房具屋にも確かに売られていたが、割と端っこの方に追いやられていてあまりメジャーな存在ではなかった。ボールペンの芯というのは交換できるということを知ってからも特に必要に迫られるタイミングもなく、適当に手元にあるボールペンを使い続けていた。

意識がなかったにもかかわらず、なぜか私は替え芯を持っていた。いつ買ったのか覚えていない。少なくともここ2,3年の購入品ではないだろう。いつか何かのタイミングでたまたま文房具屋で目に付いたそれを購入したきりになっていて、最近たまたま再び使うようになった簡易的な筆記用具入れに入れてあった……ということだけがわかる。
でも何もかもたまたまなのに、今日ちょうどボールペンのインクが出なくなったタイミングで替え芯の存在を思い出すことができたのは奇跡に近いだろう。
先週くらいから久々に引っ張り出してきたボールペンを使っていたのだけれど、どうもインクの出が悪いなとは思っていた。でもまあ綺麗に欠ける場合が多いし大丈夫だろうと放っておいたら、今日手帳に予定をかき込もうとして色が出ないことに気が付いた。何かつまったり使えたりでもしたかと思って芯の先を見て見ると、明らかにインクの黒さみたいなものが足りない。もしかしてと思って芯を抜いてみると、見事にきれいさっぱりインクが消費され切っていた。

ボールペンのインクを使い切るというのは初めてのことである。そこまでしっかり書きつぶすようなことはこれまでなくて、大抵インクが出無くなるよりも先にボールペン本体の方が何かしらの形で消耗したりして使えなくなった。一番多いのは乾燥か何かでインクがうまく出なくなる場合である。見た目の容量は残っているのにも関わらず出の悪いボールペンというのは結構存在する。私が左利きであるということと関係がありそうだが、明らかに使いにくいものと使いやすいボールペンがあると感じるのは主にインクの出方によるところが大きい。
あとは手で持つ箇所のゴムのようなものの劣化、これも結構な割合で起こる。適当に放置しているものを再度数か月とか数年ごしに使おうとすると、手がべとべとで嫌な気持ちになる。家だと特にボールペンの出番というのは書類を手書きするときくらいなので出番はかなり少なく、だからこそ適当に放置されがちだ。
最近仕事でボールペンを使うのだって、仕事場での私用スマホ等の利用が禁止されているからであって、そうでなければあまり何か手書きするような機会はないのである。ないにもかかわらず、突然需要が降って湧いてくるので、全くボールペン等が使えない状態であるというのも困るわけである。

私は綺麗にインクの消費され切ったボールペンの芯を前にして、極めて冷静であるという顔をしながら替え芯をそれとなく取り出して、交換をした。ただ付け替えるだけで何でもないですよ、いつもの事です、みたいな顔をして交換をしたが、実際は全く冷静ではなかった。これがボールペンの芯を変えるという行為か、と内心ではかなりドキドキしていた。なので、ちゃんと新しい芯がハマった時にはほっとした。
ずっと前にそれこそ買ったことすら忘れていた芯だったので、本当にちゃんと使えるのだろうかというところから若干の不安があったのだけれど、ちゃんとインクが出てさらさらと書くことができたので良かった。実にスマートな交換だった。はず。

しかしまあこれからもたぶん年単位で交換の機会は訪れないだろうと思う。交換するには使用頻度が低すぎる。
また1本替え芯を買っておいて、忘れた頃に交換の機会がやってくる……のだと思うけれど、まあ今度その機会があったとして手元に買っておいた替え芯があるなんてのは、またまた奇跡みたいなものになるんだろうな、きっと。

でもまあ、一度交換した、この事実があるだけで意識的には結構違ってくるんじゃないかな。