言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

イクラ食べたい、たくさん食べたい

 

最近どうもイクラが食べたいと思うことが続いている。だがしかしイクラというやつは食べようと思うと微妙に値が張る食べ物である。
この「微妙に」というのが結構ミソで、手が届かないとかではないのだけれどなんとなくためらってしまうという、それくらいのラインをついてくる食べ物だと思っている。
例えば似や様なジャンルで言えばウニなんかが高価なものとして挙げられると思うけれど、ウニの価格はイクラの比ではない。特に良いものはそれこそ桁が違う価格を見せつけられるばかりである。握りの1貫くらいであれば「せっかくだし」くらいの気持ちで食べられるが、ウニ丼のようなものであればそれこそ何かもう特別な理由でもつけたうえで「清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ち」で注文することになる。
そこにきてイクラというやつは、清水の舞台から飛び降りるほどの高価さはあまり感じない。ある程度のお値段はもちろんするが、こだわらなければちゃんと手が届くくらいのところにはいる。
なので、「まあたまにはいいか」というような感覚で実際は全然たまにではないというようなことがイクラにはよく起こり得る。
そのため最近気が付くとおにぎりをコンビニで買う時に筋子のおにぎりを選んでしまったりしているわけだが、普通のおにぎりが110~150円くらいのところを190円くらい出せば食べられるという価格設定にやられてしまっているわけである。お会計の時の合計金額が微妙に高くなるのでレジでは一瞬後悔しかけるが、まあイクラ……食べたいもんな、などと思うとそのまま戻すこともなく購入してしまう。

まあ根本的にはイクラのことが好きなのだ。
本音を言えばおにぎりではなくてイクラ丼とかで一度にたくさんに食べたいという気持ちもあるのだけれど、そうなってくると「せっかくだから北海道に行った時に食べたい」とか「ボーナスが出たりして気持ちと金銭に余裕があるときにゆっくり食べたい」だとか違う欲が出てきて目の前の行動が抑止される。おにぎりとか回転ずしとかそういう場だと、まあ今日は疲れているし最近忙しいから好きなもん食べたいよなくらいの小さめの欲をいい感じに満たしてくれるのにイクラがちょうど良すぎるのだ。

ただまあ問題もあって、イクラ丼のように豪勢に食べたいという気持ちがある以上、頭の中にその気持ちがチラついてしまうということだ。
大きな欲望を小さな欲望でとりあえず「満たした風」にしておくとその場は収まるのだけれど、何度か積み重なっていくとその満たしたようで満たされていなかった部分が積み重なってついに爆発してしまうのである。
そうすると何が起きるかというと、変に大きな衝動が生まれてしまい、例えば急に飛行機を予約して北海道に行く予定を立ててしまうだとか、まあそんな奇行に走ってしあいそうになるわけである。まあ北海道に行くとかいう話であれば交通手段を考えている間に冷静になるか、どうせ年に1度は行くのだからその時に食べる店をどうするかというような感じに切り替えるくらいで済むのだけれど、それなりの近場で済ませられるような物はなかなか難しさがある。
私にとってはうなぎなんかがそうだ。ちまちま「鰻まぶし」とか「鰻風かば焼き」なんて食べていたらついに本物というかちゃんとしたものが食べたくなって、当初宿泊の予定のなかった名古屋に泊るように旅程を1日長くしてひつまぶしを食べに行ってしまった、という出来事が過去にあった。
今のところイクラはおにぎりとか回転ずしとかで適当に満足している感じではあるけれど、いずれ爆発してしまわないか心配である。夏に一応北海道に行く予定はあるものの、めちゃくちゃ内陸に行く予定しかしていないのでイクラを食べるかどうかはわからない。そうなってくると……どうしよう、どこかでイクラたくさん食べたいものだ。

一応、奥の手のようなものはあるにはある。
自分で筋子を買ってきてそれを加工してイクラにするというパターンだ。もちろんやったことはない。簡単にできるかどうかはかなり微妙なところだけれど、結構いろいろなところでレシピを見かける。白ご飯.comでは20分でできるみたいなことが書いてあるけれど本当だろうか。まあ私の手際だと2倍以上かかるのは必須だろうけれど、それだって1時間以内にできてしまうなんてそんなことあるんだろうか。
……レシピを見ていたらやりたくなってきた。
ただあれなんだよな、イクラって旬は秋なんだよな。今の時期に手ごろな感じで生の筋子が手に入るんだろうか?

そんなことを言っていると、うっかり入手先を見つけたときに即試すことになりかけないが……まあなんか、自分で作って食べるなら上手くいってもそうでなくても面白いし、だいぶ気になってきてしまった。