言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

マスクが売っていない

新型コロナウイルスの影響で、マスクがどこも売り切れである。いやいや嘘だろうと思って店頭を除くと本当にどこにもない。ドラッグストアはもとより、コンビニ、スーパーに至るまで見つからない。
そこでようやく「しまった」と思った。
もうすぐスギ花粉の季節が始まるからである。通常、マスクは2月真ん中くらいになってからたくさん買い求めることが多い。それまでの時期は、インフルエンザ対策だとか、風邪を引いたとか、その都度買い足すようにするくらいだった。
今年はすでにインフルエンザに罹ったということもあって、このところはずっとマスクをつけっぱなしである。この間なったのがインフルエンザのB型だったので、流行のA型にはまだ罹る可能性があるわけだ。1年に何度もインフルエンザに罹るのは御免である。昔新型インフルエンザが流行った時があったけれど、あの年は結局年始とGW、それから秋にインフルエンザに罹った。年始はともかくGWや秋口にインフルエンザになるなんてたまったものではない。イレギュラーに流行するインフルエンザというのは流行りの季節というものを無視するものなのだ。
まあそれはいいとしても、これからは花粉の季節である。2月くらいから、なんだかんだで4月の終わりくらいまではマスクで防備している生活が続く。GWになればたぶん大丈夫かな? というところまで来るのだけれど、ここ2年はGW前半にスギ花粉の少ない札幌に行っているのでその辺の明確な境目はわからない。
マスクを外すというのは人体実験が始まるようなものなので、実のところかなり怖いことなのだ。もう大丈夫だろう、とか、ここでなら平気だろう、とか思ってマスクを外すと、半日くらいしてダムが決壊するかのように鼻水が止まらなくなったりする。花粉の症状は時間差なのだ。すぐにはやってこないので、しまった、と思ったときにはもう遅い。
一昨年だったか、函館に行ったときに「北海道はスギ花粉が少ない」と油断してマスクをしなかったらひどい目にあったことがあった。北海道の中でも南の方なので、青森らへんから飛来したスギ花粉や、あるいは体に付着していたスギ花粉にやられたのである。そうじゃなくてもスギ花粉に敏感な体なので、すっかりやられてしまった。現地でポケットティッシュを購入したのを覚えている。
そんなわけなので通常の状態でマスクがない生活などあり得ないのである。生死にかかわるとまでは言わないが、マスク無しで過ごした場合はもうひどい目にあうことは目に見えている。
マスクの品薄はいつまで続くのだろうか。品薄というか、全く在庫を見なくなってしまったので、手に入れようとすれば転売されている商品というか、出品されている商品というか、そんなやつなのだろうか。絶対に買わない。
幸い、先週買っておいたマスクはいくらか残っている。買ったときは多少品薄な気はしたけれど、普通に買えたものだ。なぜあの時多めに買っておかなかったのか、とも思うが、私は年末に昨年買っていて余っていたマスクを見つけて使用したばかりである。買いすぎは余るし、個包装だから翌年でも使えるけれど、そうたくさんストックしておく必要性をを感じずむしろ在庫は減らして必要な時に購入しようと、そう思ったばかりなのだ。
つくづくタイミングが悪い。

どこかで見つけたらマスクを買っておこうと思うのだけれど、今のところ全く影も形もないので、今あるストックを大事に使って在庫の復活を待つ、それしかできることはない。
もともと需要の高まるシーズンなので、増産しているだろうという望みをもって、過ごすばかりである。