言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

あじさい


いつの間にか季節が変わっていて、もうすっかり梅雨になってしまった。雨はあまり好きではないけれど、靴を買い替えたので少し足が濡れにくくなったので、それはまあ良かった。

梅雨に入る前は、どうも毎日毎日暑かったから、もうすっかり夏のような錯覚をしていたけれども、意外と暑くないんだという事を梅雨に入ってから実感している。日中日が出ているような時はそれなりに気温も上がるけれど、夜はまだまだ寒い。窓を開けて寝ると風邪をひいてしまいそうなくらいだ。昼間もずっと雨でも降っていようものなら、意外と寒いもんだ。例外は朝の満員電車くらいだろう。じめじめしていて、あと雨の日だといつもの1.3倍増くらいの勢いで人が押し寄せるから、寒いとか涼しいとかすら感じることはない。ただただ不快感が増すだけである。それはまあそういうものだ。

だからもう本当にどんな格好をしたらいいのかわからない。寒いし暑いしじめじめするし部屋は変にエアコンが効いているし脱げる感じで長袖を羽織っていくくらいが正解なのかもしれない。難しい季節になったものだ。


ところで梅雨と言えば、アジサイの季節でもある。アジサイ。漢字で書くと「紫陽花」である。万葉集にも「紫陽花」の記載があるほど古くからなじみのある植物である。
イメージ的にはもう完全に梅雨なので、6月とか7月にアジサイを見ると「ああ梅雨だな」とか「雨の季節だな」とかそういうことを感じるのだが、あまりにもそれが染み付いてしまっているせいで、もうアジサイが咲いているのを見るだけで頭で「梅雨」を認識しまうほどである。
アジサイは梅雨だ梅雨だと思っていると、少し気温の低い地方に出かけた時に、脳がバグってしまうので要注意だ。特に東北地方のアジサイは真夏でも普通に咲いている。8月だろうと何だろうとしっかり青くなっていらっしゃるのを見ると、季節感を間違えそうになる。まあ実際そういう場合は程良く冷涼な気候であるわけで、あながち間違ってもいないのだ。
梅雨にあまりにも結び付け過ぎてしまっているだけで、夏だろうと何だろうとちょうどいい。桜みたいに前線が北上していくかごとく咲きだすのではないところもまた面白いものである。
ちゃんと、というか、普通に、というか、6月とかにも咲いているアジサイは東北の方にだっているのだ。本当に場所に寄るのだと思う。例えば竜飛岬の近くにある有名な「階段国道」は、階段の両脇がアジサイで囲われている。真夏だろうと何だろうと涼しいからか、8月とかに出かけても普通に咲いていた。そういうものだ。それでいて青森市内とかまで出てくれば平気で30度くらいあったりするし、わからないものである。秋田の内陸にある阿仁合というところでも去年の8月に普通にアジサイが咲いていたし面白い。


5月、あまりに暑い日が多かった。今年はもうすぐ夏がやってくるな、と思ったけれど、その前にちゃんとやってきた雨の季節。
アジサイが咲いたらもう夏はすぐそこだ。