言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

窓のない部屋


この間台湾旅行をしたときに泊まったホテルが窓のない部屋だった。ご丁寧にカーテンまでつけてあったのだが、残念ながらカーテンの向こうは壁であった。窓がない。外界とのつながりがあるのはたぶん換気扇くらいのものだろう。屋上に出てみてわかったことだが、このホテルは決してビルの中に埋もれてしまっているわけではなかった。むしろ裏通りではあったが道に面している様子だったので、どうして道に面している側にあったほかの部屋にも窓がなかったのかは正直よくわからない。そういうものなんだろうか。

日本のホテルではさすがに窓のない部屋に泊まった事はない。窓が開かないとか、あるいは目の前が壁であるということはビジネスホテルではよくある話だ。もっと言えば、窓がすりガラスになっていて、なおかつ開けることができないものもあった。でもまあ一応光は差し込んでくるので、今が昼間なのかそれとも夜なのかくらいは分かった。

ところがまあ台湾で泊まったホテルは窓が完全にないときた。鍵をかければ密室である。ミステリーでよく出てくるあれ。そこに3泊もしたのだから誉めてほしいと言いたいところだが、意外と普通に生活することができた。どうせ夜と朝しか帰ってこないので、日が入らないとかはあまり気にならなかったからだろう。換気も空調も普通にできるし、台北市内のど真ん中、それもビジネス街のど真ん中(隣が富邦銀行の本店? 的な場所)のビジネスホテルであった割には格安であったので、窓がないくらいでそんなに不満はなかったという事情はある。
ただ唯一怖かったのは、沖縄が震源緊急地震速報が来た事を知った時。外の様子が全く分からないのは災害の時にはかなり怖いものである。幸い台北震度1くらいだったのでなんてことはなかったけれど、本当に大きく揺れていたら困ったと思う。

ホテルならば基本的に夜間のことなので、リゾートホテルでもなければさほど気にすることはないかもしれないけれど、例えばそれが仕事環境となると少し事情が変わってくるものである。なぜなら日中、明るいうちにずっとその場にいるわけだから。例えば会議室とかで窓がない部屋はよく存在すると思う。そんなところに1日中押し込められていると、不思議と時間の感覚というものがなくなってくるわけである。数字では時間を確認できるけれど、どうも外の様子がわからないと調子が狂ってしまうものである(体験談)。外の様子なんて見てどうするものでもないけれど、なんとなくまあ毎日のことだと変な気持ちになっていってしまっているのである。不思議なものだ。

そういう環境に、今は毎日押し込められている。駅直結でいよいよ外の様子がわからない。雨が降っているかとかはもちろんわからないし、気温の漢字も正直良くわからない。通勤で汗だくになっているので、自宅と最寄駅くらいしかヶい気に触れることがない。良いのか悪いのかよくわからないけれど、しばらくは窓なし生活が続くので、気がふれてしまわないように頑張ります。