言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

小銭貯金

 

初めはいつか使うために貯めておいたはずのものが、いつの間にか貯めるのが目的になってしまうようなこと、ないだろうか。私はある。頻繁にある。
初めからコレクトするためのものであれば良いのだが、いつの間にか手段の方が目的になってしまっている場合がある。

例えば5円玉。きっかけは初詣の時に5円玉が欲しくなったことだった。よく初詣に行く神社は、敷地内に大小20近くお参りできるような場所があった。上昇祈願とか金運等のものから、お稲荷さんや六地蔵七福神までいろいろあって、全部にお賽銭を用意しようと思ったら結構な枚数になる。そういうのってなんとなく全部制覇したくなるもので、1円玉では味気ないし、10円玉でもいいけれどどうせなら「ご縁」ということで5円玉を……という事で私の5円玉収集が始まった。
5円玉というのは1度の買い物で1枚しか生み出すことはできない。なので、1円玉や10円玉なんかを使って、お釣りの下一桁が5円になるように調整するわけである。結構巷の主婦なんかが小銭を上手く使うためのにやっているライフハックのようなものだ。そうやって地道に5円玉を集めていると、今度は5円玉が財布に入っていても全く使わなくなってくるものだから面白い。それどころか5円玉は使わないものとして見てさえいる。券売機なんかには5円玉は入らないし、たとえば107円とかのお会計になら112円出して5円玉をお釣りでもらうわけで、5円玉は使うものではなく貰う専門となっているのである。
それでまあ初詣の時に使うのだが、年間通して収集しているので明らかに需要過多になっている。それどころかぱーっと使うのにものすごく抵抗があって、相変わらずちまちまと使って閉まっている。5円玉はもはや使うためでなく貯めるために貯めている。本末転倒なのだが、もうそうなってしまった以上は仕方がないのだ。

5円玉に限らず、小銭を貯めておくのはかなり好きだ。
高崎名物の「だるま弁当」というものをご存じだろうか。赤いだるまを模したプラスチック容器の弁当なのだが、だるまの口に当たる場所に穴があいていて、貯金箱として使えるようになっている。家に持ち帰って良く洗ってから使う前提で作られているのである。当然弁当箱なので多くの人は弁当ガラとして捨ててしまうのだろうけれど、私はあれを正当に貯金箱として小銭を入れて使っているわけである。1円玉から500円玉までまんべんなく入れているので、結構な額になっているはずだ。おかげで封筒に入れて渡さなければならないような細かい支払いの際の「端数」には困らなくなった。困らなくはなったが、逆にそういう場面でもなければ貯金箱を開くという事はないので、これもまた貯めることが目的になってしまっている。困った時に使おうと思っていたはずなのに、困っていても手を出さない聖域になってしまっている。


ちなみに、小銭を集める趣味は私の母方の祖父にもあって、いつも大きな焼のりの空き缶に小銭を放り込んでいるの見せてもらったことがある。ずっと集めいているだけあってかなり古い年代の小銭もあるようだが、いわゆる希少硬貨みたいなものはほとんどないらしい。私と同じで、いつの間にか貯め込んでおくのが趣味になってしまったようだ。
血は争えないものだ。