言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

朝活

朝とても早く起きて、家を出る。まだ日の昇っていない、あるいは顔を出してすらいないそんな時間に街を歩く。駅へ向かう。
それだけでなんだかこれから楽しいことが起きるぞ、という気分になる。
もちろんこれはプライベートの時に限っての事で、仕事なんかで早起きしなきゃならない事とは全く両立しない。あくまでプライベートの場合に限ってだ。

例えば電車の始発の時間に合わせて起きた時。当たり前だがいつもより何時間も早く起きているので眠い。出かける準備をして、一応忘れ物がないか調べるがまああまりしっかりとはやらない。やれない。まあなんか忘れててもいいよな最低限はあるから、と思いながら家を出る。日が昇っていない。4時台なら冬はおろか夏でも真っ暗だったりする。いつもあんなに駅に向かって人が歩いているのに、1人としてそんな姿は見られない。住宅街の早朝はひたすらに静かだ。多少虫の鳴き声とかはするものの、せいぜいたまに通り抜ける車の音とか、遠くで走ってる新聞配達のバイクの音だとか、そんなのが気になるくらいには静かだ。そんな中を心地よい眠気と、これから出かける興奮と混ぜこぜになったふわふわした気持ちで歩いて行く。

月の出ている方向を見れば、まだまだ群青色の深い夜空。けれども反対側を見れば程よくうすら明るい青の空。それは青いけれども決して橙とも言い切れないようなそんな空。浮かんでいる雲もそんなに白くはない。朝日に照らされて半分は白とも橙とも取れる色をしていて、もう半分は影のようにねずみ色をしている。空もまだあの抜けるような青空になるにはまだ時間がかかる、準備の時間帯。夕暮れの時の茜の空には見せない色がそこにはある。
そうして顔を覗かせる太陽は、肉眼ではっきり直視しても眩しくない橙色で少しずつやって来る。日の出は夕暮れと同じように、しかし決して同じ色を纏ってはいないからどちらも美しい。夕暮れは普通活動している時間だから見ることは容易いけれど、日の出はなかなか冬でもないと活動している時間ではないから、そのぶん日の出は尊いと言えるかもしれない。

大きい荷物を持った私は明らかに非日常的な存在だ。これから出かけるんだぞ、だから朝早いんだぞ、とばかりに街を歩いて行く。
対して、すれ違う人たちは案外日常的だ。新聞配達の人はもちろんだが、早朝ランナーの人なんかもそう。この人は毎日こうして朝早く起きて走っているのだろうか。自己投資のために早起きができる人はすごい。私にはできないなあ、なんて思いながらすれ違う。こうしてたまに非日常的に動くくらいが関の山だ。