言葉のリハビリ場

特にテーマはなく、ざっくばらんに書いています

オールスター天丼でもあんまり元気にならなかった


全然ご飯とか用意する気になれなかったので、必殺技を使った。

てんやの「オールスター天丼」をテイクアウトしてきたのだ。

天丼ってこんなに色味なかった?



普段そんなにてんやに行くことはないのだけれど、突然食べたくなるというタイミングがある。まあ今回に関してはそういった積極的な理由ではなくて、もっと消極的な、これでも食べたら元気出るかな、みたいなそんな動機ではあるのだけれど、ともかく何か食べて元気になるならそれが一番楽だなと思って天丼を頼んだ。
何故オールスター天丼なのかという理由はない。前になにか病み上がりか何かの時に食べてちょっとテンションが上がった、くらいの理由だ。ちなみに店でオールスター天丼は食べたことはない。

まあそんな感じで美味しく食べたけれど、結局あんまり元気は回復しなかった。もちろん食事をしたことで回復したものもありはしたが、それだけではなかったようだった。

もうここ2日くらい、全然元気が出ないしそのせいもあってやる気が出ないのだ。
ずっとなんか気怠いというか、集中できないというか、そんな感じ。夢見心地なんて言うとたぶんよく言い過ぎで、正確にはずっと現実感がなくてふわふわしてしまっているような、そんな感じ。悪い意味で。

原因はたぶん複数あって、一つは仕事。面倒でなかなかやる気のしない作業をやらなきゃならないなというのは先週の金曜からずっと続いていたのだけれど、どうも集中できなくて進みが芳しくない。芳しくないので余計に嫌で、ぜんぜん向き合いたくない。そんな状態でずっといる。一応進んではいるのでどうにかこうにか終わらせることはできるだろうけれど、ないやる気をふり絞って絞って、出がらしをひねって何とかいろいろ自分をだますくらいの気持ちで動いても、それでもまあなかなか続かない。だましだまし進めていく。それが結構なストレスである。
まあ別に正直に進みが悪い事を話してスケジュールを調整すればいいのだけれど、そういうことも含めて重い面倒くささみたいなものがのしかかっている。
大したことではないのだけれど、時間が掛かればかかるほど面倒くさい。逆にこれたぶん解放されたらめちゃくちゃすっきりするだろうな、とも思う。はやくすっきりしたい。ようやくちょっと終わりというかトンネルの出口が見えつつあるので、だましだましでもこなしていくしかない。嫌だいやだと言いながらでも。

目の前の仕事以外でも、先週別のちょっと面倒くさい仕事がようやく手から離れたのに、作業完了の1時間後に全部差し戻しになるという事件が発生し徒労感で何にもしたくなくなったが、それも正直引きずっている気がする。全部オッケーを貰ってはい完了ですお疲れ様でした、となってから「実はやっぱりオッケーじゃな買ったっぽいところがあるのでとりあえず戻してください」なんて言われたらガクっと来るものである。一緒に作業した同僚は翌朝めちゃくちゃ調子が悪そうだった。


原因のもう一つは疲れというか、寝不足もある。まあきっかけ自体は仕方がないところがあって、土日に体力を使い過ぎたのだ。先週も同じようなことを書いた気もするが、まあそれくらい楽しかったということだ。
日中はそれでよかったのだけれど、日曜日の夜なんかは日付が変わるよりもずっと前にベッドに倒れ込んだのに、結局全然寝付くことができなくて1時過ぎくらいまではたぶん起きてしまっていたと思う。
疲れすぎていると逆に全然寝られないんだろうか。土曜の夜とかもそうだった。もう眠くて眠くてやっとの思いでベッドにたどり着いて寝落ち……となると思っていたが、それがどうもうとうとするくらいで全然寝られない。なんだろう、これ。土曜も日曜もそんな感じで、全体的にずっと寝不足だ。

寝るときに軽くぼんやりと考え事をすることは結構多いのだけれど、こうも眠れないと余計にいろいろなことを考えてしまうのでそれもあんまりよくないのだと思う。
よく「悩みがあるなら紙に書き出せ」なんて言うけれど、思考というのは明確に言語化するよりもずっと速くで駆け抜けていくから、一旦整理するためにも手を動かして考えるスピードを緩めたほうがいいということのようだ。
久しぶりに連絡してみた相手から返事がないとか、来月あたりに前から決まっている予定をそう言えばそろそろちゃんと詰めないととか、眠れない時はそういうことをいろいろ考えてしまったり、揚げ句昼間の言動やメッセージの一人反省会が始まったりと、夜中に一人でうだうだと考えてもなんの実りもないようなことばかりが流れていくわけである。
普段別にそんな風に何か想い詰めるようなことはないけれど、眠れない夜というのはついついそういうことを考えてしまう。

もうなんだろう、とりあえずちゃんと寝たい。寝て疲れを取って、重い仕事を終わらせてすっきりしたい。

 

 

紙袋と保冷剤


そろそろ気温も上がってきて、冷蔵・冷凍商品の持ち運びには気を遣う季節になった。真夏ほどの危機感というのはないけれど、それでもやっぱりお腹を壊したりしたくないので、ある程度は気を遣うものである。

先日要冷蔵の商品を買った時には、お店の人が気を利かせて保冷剤を多めにサービスしてくれた。家まですぐに帰れる場所であれば不要だったのだろうけれど、「3時間分まではサービス」という事だったので、まあそれくらいは帰るのにかかるだろうなと思い保冷剤を入れてもらった。
保冷バッグも用意できるとのことだったが、そちらは有料ということで断った。別の機会に再利用できる代物ではあるのだけれど、あんまり活用したことがなくて普通に断ってしまった。真夏に冷凍食品を買ったりするときに使えるかもしれないと後から思ったけれど、まあコンビニやスーパーから家までくらいならばそこまで気にならないし、お土産的なものであればその場でまた買えばいいかと思うことにした。
保冷バッグのいいところというのは保冷性だけではなく頑丈さである。角張ったものや鋭利なものを入れても破れることがないというのは結構いい要素である。また、水にも強いのがいい。

濡れても問題ないというのは結構大事な要素である。というのも、それこそ先日保冷剤を入れてもらったときにそれを実感したからだ。
その時の袋というのが紙袋だったのだけれど、これはよく考えたら水濡れには非常に弱い代物であった。袋としては二重になっていたのだけれど、中に入っていた保冷剤が解けたタイミングでうち袋のビニールに水滴が発生しており、それが紙袋側まで染みて穴が開きそうになっていた。
最初、紙袋を持っていた側の服に何かごみのようなものが付いていてなんだろうと思ったのだけれど、よくよく見てみるとふやけて剥がれた紙袋の一部だったことで穴が開きかけていることに気が付いたわけだが、もう少し長く放置していたりこすったりしていたら完全に穴が開き袋として用をなさなくなっていたと思うとちょっと恐ろしいものである。
紙袋でもビニール袋でもそうだけれど、穴が開いたりして中身が全部出てしまうというような状況はなかなかに面倒くさいことである。多くの場合他に入れるものもないし、一生懸命抱えて持ち帰らなくてはならないというクエストが発生する。
あとは割れ物が入っていた場合などは結構悲惨で、高さや勢いにもよるが破損してしまったりもする。昔それで買い出しのお酒のビンを破壊してしまったことがあるが、ビンも処理しないといけないし他のものもなんとかして持ち帰らなきゃいけないしでかなり面倒だった。
袋として壊れないで持ち帰ることができるというのは当たり前のようだけれど非常に大事なことである。

でもまあ保冷剤で紙袋が壊れるというのはちょっと盲点だった。保冷材も直接入っていたわけではなくて、紙袋の中のさらに内側にビニールの中という状況だったので、それでもダメなんだなということは学んだ。真夏にコップの周りが水浸しになるように、保冷材の周りに水滴が集まるというのは想像力を働かせればわかることかもしれないけれど、まだ6月だし全然考えもしなかった。
割と本当に危ないところだった。めちゃくちゃ疲れている日だったし、紙袋が壊れなくてよかった。

一応穴は開きかけたが無事に家に到着した紙袋であるが、これはもうなんの用途にも使えずそのまま紙ゴミ行きとなったわけだが、それならば多少お金を払ってでも保冷バッグにしてもよかったのかもしれない。紙ゴミ入れとして紙袋はよく使うのけれど、最近ビニール袋廃止の流れで紙袋提供の店が増えたし、全部取っておく必要はないしね。

 

ポテチの持ち帰り


普段買い物をする時にあまり意識することはないが、ポテトチップスはそれなりに割れやすいお菓子である。割れにくいように空気(窒素)を充填してあるわけだけれど、それでも強くシェイクしたり握ったりぶつけたりすると多少の割れは発生する。
気にしなければどうということはない……のだけれど、粉々になったポテチというのはどうも食べにくいし、防げるものなら防ぎたいという意識が働いてしまう。別になんというか結果的に割れてしまうとかそういうことは諦めがつくというかどうということはないのだけれど、自分の怠慢がもとで割れて細かくなってしまうポテチが多く発生してしまうのであればそれは極力防ぎたいという、そういった面倒な意識が働くわけである。
まあ正直気分の問題ではある。店から家までの間よりも、生産者から店までの流通経路のほうがはるかに長くかつ多くの人の手が掛かっているわけだから、それまでに事故が起きている可能性だってあるのだから私の小さな努力がどうにか影響しているかなんてわからない。わからないけれど、やっぱりなんというか後から「あの時にやってしまったな」という変な跡気味の悪さを感じたくないがために、やや無駄な気遣いをしていると、そういうわけである。

これは別にポテチに限った話ではないが、割れやすいものや繊細なものは袋詰めをする際に位置に気を遣うものだ。柔らかい果物や生卵の上に重いものを載せないとか、総菜を傾けないように平らな場所に置くとか、そういったことだ。そういった中でポテチの類のお菓子は袋詰めで言うと最後、つまり一番上に乗せるように詰めることになる場合が多い。重さをかけて割りたくないからだ。ポテチだとか、あとはルマンドやルーベラみたいな形を保っていないと困る物は自然と最上部に置かれることになる。
スーパーから家までという事であれば、後は普通に持って帰るだけのことである。

しかし、この間、遠方に出かけているときにうっかりお土産的な意味でポテチを買ってしまい、運搬時に変な気を遣うことになって閉口するということがあった。
関西や九州に行くと、「関西だし醤油」とか「九州醤油」みたいな限定フレーバーのポテチが売られていることがある。私は結構あの味が好きなので好んで購入するわけだが、これらの商品が関東圏に並べられる機会というのはそれほど多くない。実際本当に西日本限定になっているということもあったりするので、手に入れるチャンスというのは結構限られている。
そういうわけで先日も大阪でうっかり関西だし醤油味のポテチを買ってしまったのだけれど、持って帰る時に微妙にずっと気になって邪魔だなという意識がずっと抜けなかった。
外側が固い材質のキャリーバッグの時は中にしまうことができればある程度気にならなくなるのだけれど、あいにくその日は荷物が多くなかったので大きめのトートバッグに荷物を入れていた。そこにお土産と共にポテチが乗っかることになったわけだが、購入時に想像していたよりもかさばって存在を主張してきて困ってしまった。
堅あげタイプのポテトなので多少の衝撃には強かろうと思えど、それでもポテチはポテチである。意識的には割れ物を素の状態で放り込んでいるようなものだった。気になって仕方がなかった。
結局数時間かけて家まで運搬してきたわけだったが、手持ちの鞄の時はポテチを素の状態で運ぶのはやめておこうと、そう思うに至った。

ポテチを買うならキャリーバッグかつ中身に余裕のあるとき、これが一番いい。

例外としては、チップスターとかじゃがりこみたいな容器入りのもの。あれはつぶれる心配とかが薄くていい。たまに関東圏でも売っているけれど、じゃがりこの九州醤油味なんかは西日本では大抵売っているし買って帰りやすくていい。普通に関東でも通常通り売って欲しいんだけれど、まあそうもいかないんだろうね。でもまああ持って帰りやすいからセーフと思っている。
気を使いすぎなくていいものをお土産的に買って帰る、これが一番楽ということだ。

でもやっぱ、西日本のポテチすきなんだよな……。

 

日の長さ

梅雨入りしてしまったので実感が薄いが、このところはだいぶ日が長くなった。
普段19時くらいに仕事が終わることが多いのだけれど、それくらいの時間でもまだ薄ら明るいことがあって変な感じがする。やっぱりなんというか、仕事終わりというのは真っ暗になっているというイメージが強いので、このくらいの時期の明るさというのはなかなか時間とのイメージにギャップがあるように感じてしまう。なんだか早く帰っているのではないかと思っても時計を見ると普通に19時を過ぎているので安心する。……いやまあ嬉しくはないのだけれど、暗いよりは明るい方が好きである。

ふと気が付いて外を見たときに真っ暗だ、という状況は結構やる気に影響する。さっきまで明るかったのにもうこんな時間になってしまったのかという焦燥感は、時計から読み取る時刻情報以上に影響があるものだ。まあもっとも、「さっきまで明るかったのに」という状況がなせるものであるため、暗くなってからしばらく経つとあんまり気にならなくなったりもする。気にならなくなるというか、諦めているとも言う。ここまで来てしまったらもうどうにもならんという、そんな感じ。
わけわからないくらい忙しかった時は、日のあるうちは前日までの課題をなんとか対応して、日がくれたらようやく当日分の業務に入る……みたいなことをしていた時があったけれど、日の沈み具合によって時間感覚を維持していたようなところはあったかもしれない。昼ご飯の時間(だいたいいつも13時から)と、22時を過ぎるといつも使っていた改札が使えなくなる(通路が閉鎖される)のでその時だけは時計の時間をはっきりと意識していたが、それ以外は外が暗くなったことによって「日中帯が終わったな」と認識していた。
まあPCの右下の時刻は常に視界に入っているわけで無意識にも時刻は確認しているんだろうけれど、意識的に見ているのは窓の向こうの空の色だということである。

そういうわけで、窓のない部屋に押し込められるとそのあたりの感覚というのは確実に狂っていく。半年強そういう場所で働いた時期があった(というかテレワーク前の部屋は窓がない部屋で、今でもそこのPCにアクセスしている)わけだが、なかなか気持ち的な意味での時間の把握というのは難しいものがった。
おまけに、職場から駅まで直結という素敵な職場だったので、外が一体どうなっているのかということを意識せずに生活できてしまう、そんな場所だった。6月あたりにその職場にいたことがないので正直わ辛いところはあるが、さすがに職場から1時間かけて家に帰るべく最寄り駅を出るような時間には日が暮れているだろう。
20時過ぎに明るさを感じる場所というのは、夜景を見に来た時の山の頂上や、飛行機の上から見る雲の上の景色くらいのものである。これくらいの時期に山の上に夜景を見に行ったことがあるけれど、いつまでたっても薄ら明るかった。タイムラプス撮影でもして置けば面白いかと思ったが、3分くらいで手が疲れて辞めた。じっと見ていると思っていたよりもずっと日が暮れる速度というのは遅いものだなと、そんなことを思ったものだ。
私はあの日が暮れた後に残っている明かりが、空を群青色に染め上げているところを見るのは好きだ。だんだん色が濃くなっていって、いつの間にか反対側を見るとすっかり夜になっている。そうしているうちに空も街も全部夜景に変わっていく。

いつもあんなに「気が付いたら暗くなっている」くらいに思っていたけれど、実のところはゆっくりと動いているわけである。


しかしまあ冒頭にも書いたが、梅雨に入ってしまったのでそのあたりの実感というのはちょっと薄くなりつつあるのが惜しいところである。雨が強く降っているとすぐに暗くなってしまうように感じる。実際は雲から透ける明りでわかるわけだけれど、そもそも全体的に薄暗い日ばっかりが続くので日が長いかどうかよりも雨かどうかということに意識が行ってしまうわけである。

昨日みたいに朝起きて晴れ間が広がっているとそれだけでちょっと嬉しいのだけれど、梅雨だしそう続かないんだろうな。わかっているけれど。

 

今日も今日とて月曜日

昨日は出かけていたのだけれど、久しぶりに体力を使い果たすほどに疲れてしまった。びっくりした。ご飯を食べたら一気に眠気が襲ってきて1時間くらいずっと寝てしまったのだけれど、充電が切れてしまったかのように一気に応答不能になる感覚は久々だった。
お風呂と歯磨きくらいは帰宅してからの一連の流れの勢いで済ませることには成功したが、そこからはもうすぐにベッドに倒れこむことはできず、結局ちょっと変なところで時間を使ってしまったりした。疲れているときの個人的なあるあるだ。23時過ぎに帰ってきたはずだったが、なんだかんだで寝たのが0時半くらいになってしまった。結局最後トイレに座った時に変に落ち着いてしまって、立ち上がる気に慣れなくなってしまったのが最大の原因だろう。疲れ切っているときに座ると動けなくなる。その後ベッドに直行せずに金曜日の夜から放置していた仕事のメールを見てしまったりとさらに余計なことがあったが、なんとか立ち上がってベッドに入ったのが0時半だった。
即寝たかは覚えがないのだけれど、かなりぐっすり寝ていたようで目覚めはすっきりとしていた。多少身体は怠いけれど、体調的には全然大丈夫で安心した。

ただまあ相当しっかり寝ていたようで、耳元の目覚まし以外の音には全然気が付かなかった。
朝起きれるかわからないという理由で洗濯機のタイマー機能を使って作業予約をしていたわけだが、その動作音に全然気が付かないくらいだった。洗濯機の音って結構響くのに、全く記憶にない。
起きたときに「昨日ちゃんとタイマーセットしたっけ?」と焦ったが、洗濯機の蓋を開けたらちゃんと洗濯が終わっていて安心した。
まあもっとも、起きてすぐに見に行けばよかったのだけれど、布団から全然出られなくて結局20分くらい目が覚めてから布団にいたと思う。だから、万一洗濯されてなかったとしたらちょっと面倒だったかもしれない。結果的には大丈夫だったけれど。

まあそれくらい熟睡していたということだろう。おかげで月曜にしては元気な方である。
雨が降っていて涼しいので、数日ぶりに長袖を着ている。昨日も長袖ではあったが、夜以外は腕まくりをしていた。気温差があるので一日外にいるときはちょっと服装に困る。寝ている時は半袖でかなり夏っぽい恰好だったけれど、結局夜は気温が下がったのでそのまま掛布団を掛けて寝たりした。
昨日は特にお風呂に入ってから寝るまでの間隔が短かったこともあって半袖で寝られてしまったけれど、これは本当は多少暖かくしないと風邪でも引いていただろうな、とは思う。

それだけ条件はいろいろあれどちゃんと熟睡できたのだから、よほど疲れていたということであろう。

今日どうやら関東地方は梅雨入りしたようだし、これからしばらくは気温差のある日が続きそうだ。昨年よりは1週間くらい早い梅雨入りだが、例年と比較すると別に早くはなく平年並みだそうである。6月というのはほとんど梅雨ということになるけれど、そういうイメージはなかったな。
今は涼しい時間帯があるわけだけれど、これがだんだん蒸し暑くてなおかつ雨もたくさん降っているという日がやってくることになるだろう。蒸し暑いというのが一番苦手である。まあそもそも雨が降っている日というのはあんまり好きではない。電車の中とかが湿気でかなり不快になるし、本当だったら梅雨なんて毎日家に居たいものだけれど……どうなることやら。
というのも、この在宅勤務体制というのが今月で終わってしまいそうだからである。別に感染状況がどうとか関係なく基本的に家に痛いんだけどなという思いと、通勤ってのは適度な運動になり得るわけだからそんなに遠くかつ夜遅くならないのならばある程度はした方がいいものなのかもしれないないとも若干思いつつもある。しなくていいならしないに越したことはないけれど、まあしても悪い事ばっかりではないかもしれないないな、と。
どっちにしても在宅が終わりそうな自分を納得させるための詭弁みたいなものであることは否めないので、本質的には家でずっとダラダラしていたい、仕事もしたくないと、そういうことにはなってしまうわけである。生きていくのに収入が必要だから働くけどさ。

あーもう疲れたな月曜日。今日は早く寝よう。できれば。

 

小分けバターの話

10g単位で小分けになっているバターを気に入って買っている。
そもそも我が家にはバターが存在しなかった。朝ごはんなどで食パンを食べるような機会がないのでバターは不要だと思っていたのだ。細かく使う予定がないので塊で買っても持て余してしまうのは明白で、この判断に関してはあんまり間違ってはいなかったと思う。
しかしながら、バターを料理に使いたいシチュエーションというのは微妙に出てくるので、結果どうしたかというと、既に小分けにパックされているバターを買うことにしたわけである。今まで買ったことはなかったけれど、存在はなんとなく目にしていたので気になっていたが、思い切って買ってみることにした。6個くらいしか入っていないのでまあ使いきれないことはないだろうという、という目算もあった。適当にバター炒めかホイル焼きにしてしまえば使えないことはないだろう、と。

結果、バター炒めの美味しさに気が付いてしまい、2箱目のバターを買うことになってしまった。
しめじと舞茸を買ってきてそれをバター醤油炒めにするのが非常に美味しいということに気が付いてしまった。しめじはカットしてあるもので、舞茸はまあ別にそのまま適当に手で割けば良いので包丁の出番がないのがいい。
バターのおかげで下味が付くので適当にしんなりするまで炒めて、そこに醤油を振りかければもう美味しいお開かずが完成するのでお手軽だ。気を付けるのは水分が出すぎないようにすることくらいなものだし、正直出てしまってもさほど問題ではない。
いつも翌日に残してもいい感じで作るのだけれど、それでも作ってそのまま食べきってしまうので翌日にまで残ったことがないほどには気に入っている。
そう毎日使うわけではないにしろ、バターの存在はなかなか偉大であることがよく分かった。

しめじと舞茸がメインではあるが、別に違うキノコになっても問題はない。エリンギとか、しめじで試したこともある。細かくするのが面倒くさいという理由でしめじと舞茸が選ばれているだけのことであるので、おいしさ的にはなんでもいいと言えばいいのだと思う。


小分けのバターは便利であるが、デメリットもまあまあある。量の調整が効かないことだ。半分使って残しておくということもできなくはないが、容器や包み紙的にも割とやりにくい面がある。想定されていないのだろう。なので基本的にその場で1かけら使い切りというのが基本になる。
いつも本当に何も考えずキノコと一緒に放り込んでいるので量が多いのか少ないのかなど全く考えることはないのだけれど、分量がきっちり決まっている物にはあんまり向いていないかもしれないな、とは思う。

まあでも感じているのはそんなものだろうか。今別に困ったり不便だと思ったりしたことはない。
いつも同じキノコを買ってくるつもりなのになぜかたまにお徳用になっていたりしてそういう時は今日は量が多いな、と感じる場合もあるが、バターの量は特に買えていないのに油のまわり方とか味とかは変わった感じがしないし、別に量とか適当でもいいんじゃないかなと今のところは思っている。

今はひたすら炒め物として使っているバターだが、試したいけれど試せずにいるものもある。
バターをご飯に乗せて醤油をかけて食べるというものだ。炒めればバターライスということになるのだろうけれど、そうではなくてただ暖かいご飯の上にバターをのせて、そこに醤油をかけて食べるというものである。絶対美味しいだろうなとは思うのだろうけれど、どうも気後れしてしまって試せていない。
別に誰が見ているというわけでもないのでやればいいと思うのだろうけれど、罪悪感みたいなものが邪魔をして試せずにいる。10g全部使うのも面倒だし切り分けで置いておくのもなとやらない理由は色々出てきてしまうのだけれど、疲れ切ってご飯を炊くので精一杯というようなときにでも試してみたいと思っている。
あれかな、しらす干しでも一緒に乗せたらそれっぽくなって罪悪感が減るだろうか。ネギとしらすとバターと醤油。なんかそれならいい気もしてきた。でもまあなんか「禁断の味」ではあるだろうな。今度何にもやる気のない時にやってみよう。

 

オムライス


なんかオムライスが食べたいなと、急に思った。スーパーの冷凍食品コーナーを眺めているときにそんなことを思ったので、そのまま私は冷凍のチキンライスを手に取ってカゴに入れた。
家に帰ってきてから我が家にはケチャップがないことを思い出した。使う機会がなかったからだ。何故と言われても困るが、家でオムライスを作ったことはないし、ついでに言えばナポリタンだって作ったことはなかった。ハンバーグも別に焼いた記憶はないし、焼いたとしてもたぶんソースで食べてしまうと思う(ソースはある)。とにかくケチャップの出番がなかったわけである。
チキンライスはもうできている状態で凍っているわけなのでまあ別に薄焼きの卵とケチャップを用意しなくてもいいんじゃないかという話もある。チキンライス単体でもたぶん美味しい。美味しいし、好きな味だというのは間違いない。でもまあ他に冷凍のチャーハンを先に食べたりした都合で、チキンライスが解凍されて食卓に並ぶ機会はまだ訪れていない。

そうこうしているうちに、外食の時にオムライスに出会ってしまった。
お昼休みに唐揚げ弁当でも買いに行こうと外出した時に、唐揚げ屋の手前の洋食屋の看板にオムライスの文字を見つけてしまったのだ。今日のおすすめはオムライスセット、と。
今まで混んでいたり営業していなかったりして一度も入ったことのなかった洋食屋だったが、この日は雨上がりで客数も少なく見えた。そういう物珍しさも手伝って、私は昼食の予定を唐揚げ弁当からオムライスに切り替えて洋食屋に入店してしまった。

どんなタイプのオムライスが出てくるんだろうと思って待っていると、運ばれてきたのはめちゃくちゃクラシックなオムライスらしいオムライスが運ばれてきて嬉しくなってしまった。

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チキンライスに薄焼き卵が乗っていてたっぷりケチャップのかかったオムライス。半熟卵にデミグラスみたいなやつも好きだけれど、こういう「オムライスの絵を描いてくださいとお願いしたら最初に出てくる」見た目のオムライスも大好きだ。逆に貴重なんじゃないかとさえ思う。
味もめちゃくちゃに美味しかった。チキンライスはケチャップ感は薄めだったがその代わりしっかり下味が付いていて、上に掛かったケチャップと合わせて食べるのに最適だった。洋食屋さんってこんな感じなんだな。
サラダとコーヒーが付いていたので、思いがけずちょっと優雅な感じのランチタイムになった。


素敵なオムライスを先に食べてしまったがために、冷凍のオムライスはますます食べ辛くなってしまった。
そういえば前にも鰻で似たようなことをしてしまったことがある。ちゃんとした店で鰻を食べた後に、どうしても気になって松屋で鰻を食べてしまった。まあでもあれはなんというか別に順番が逆でも全然問題はなかったような記憶はある。どうせ鰻は好きだし。
オムライスも似たような感じで、気にせずさっさと食べてみたほうがいいんだろうか。卵はある。ケチャップはない。まあまずはそこを妥協するかどうかだな。オムライスの為だけにケチャップを用意するのは面倒だが、今どき小分けの袋タイプのものもあるしやりようはいくらでもある。
今度の昼とかにちょっと食べてみようかな。
まあでも、またあの洋食屋に行くって言うのも全然アリだと思っている。オムライスもそうだけれど、他のメニューも気になるし。夜にたまに外で待っている人があるけれど、待つほど美味しい店だというのもわかったから。
あれだね、私のやる気と、外の厚さとかそのあたりとの兼ねあいによるだろうね。やる気がなくても出かける気があれば行くし、出る気もやる気もなければ冷凍ので適当に済ませてしまっても。
幸い最近はそんなに調子の悪い日がないし、何とかなるだろう。

 

陽気とエアコン


昨日まで一足早く夏が来たような陽気だった。真夏と比べればまだまだという気温ではあるが、だいぶ暑くなってきた。
かなり暑く感じる原因としては、気温差が大きいことになるだろう。1日の気温差もそうだけれど、昨日と今日の朝のように天気がいいか悪いかで気温がガラッと変わるのがだいぶ大きいと思う。体感気温からしてだいぶ違う。

まあただ今くらいの時期の暑い日というのも、気温で言うと28℃とかそれくらいのものである。30℃を超えると気温がどうであれ暑いことには変わりないのだけれど、これくらいの気温だと日によって感じ方が変わったりする微妙なところである。
風のない日や風があってもムッとするような湿気の日は、28℃でもがっつりエアコンを掛けたくなる。実際一昨日の午前中などは冷房にしていた。頭が痛くて寝ていたかったというのはあるけれど、普通に暑くてそれどころじゃなくて冷房にしたのに、外気温は28℃だというから驚いたもんだ。
昨日も似たような気温だったけれど、風がそれなりに涼しかったので、しばらくは窓を開けて風を入れることでしのいだ。別に何か我慢をして過ごす必要というのはないのだけれど、窓を開けて何とかなるならそうしたいところだ。TVなんかをしっかり見る時に窓を開けているとちょっと厳しいところはあるけれど、PCに向かって仕事をする場合は別にそれほど気にならない。電話中に工事現場の音が響き渡るとかそういうことでもなければ、窓を開けて風を通して過ごすのは気持ちよさすらある。ただし風向きが変わったりして通らなくなると一気に暑くなる。
汗が噴き出すというほどではないのだけれど、歩いたり何か暖かいものを食べたりすると一気に汗ばんでくる、そんな感じだ。

私の場合は、汗が出始める温度というのは世の中の人と変わらないようなのだけれど、汗だくになるほど汗をかくボーダーラインというものが人よりも高いようだ。なので、汗ばんで着替えたくはなるのだけれど、滝のように汗をかいてどうにもならなくなるくらい汗だくになるというのはまだ今シーズンは起きていない。35度とかの日に外を歩き回れば一瞬で汗だくになるけれど、今はまだ汗ばんでしっとりするくらいのものだ。
それでもまあ家に帰ってきたらまず部屋着に着替えるか、その前にシャワーを浴びるか……という感じにはなるけれども。

しかしまあ風が通って気持ちがいいねとはなるけれど、それが強風になってくると話が違う。
昨日の昼はなんだか風が強かった。途中までは風が入って涼しいねくらいの感じではあったが、それがだんだん風がビュンビュンと入り込んできてなんだこれは話が違うじゃないか、となっていた。
まあ我が家の環境は、やや周囲より高台に家がありなおかつ最上階に住んでいるという条件なので風が入り込みやすいんだろうなというところはあるけれど、それにしたってせっかく窓を開けていられる気候なのに風が邪魔をするというのは何とももったいないところである。
これで窓を閉めて冷房にするのもなとしばらく頑張ってはいたが、結局午後からは窓を閉めて過ごした。ミーティングの用事もあったし、仕方がないね。

我が家のエアコンはだいぶ古い機種ではあるが、冷房に関してはそれなりに優秀である(と思っている)。先日掃除した(してもらった)ばっかりなので変な臭いもしないし、割と綺麗な状態であることは業者の人からお墨付きをもらっている。
今は掃除した時の影響なのか、起動時に桜餅みたいな匂いが若干するけれど不快じゃないので気にしないでいる。暖房から冷房に切り替えて試運転したときのあの不快な、カラオケの一番奥の部屋みたいな臭いじゃなければ全然いい。
あとはまあ、暖房はだいぶ電気代がかさんで困ったけれど、冷房はそこまで影響がないのでそれも助かっている。浴室乾燥機能と暖房の電気代というのがほぼ同じくらいだったのでずっとつけっぱなしにしているとだいぶすごい値段になるぞという感じだったので、日中は節約気味に使っていたりしたが、冷房はと言えばそこまで大きな電力消費もない(想定の範囲内)なので、遠慮なく使えるのがいい。
5月に冷房を使うのもなと若干抵抗はありはするが、もうそろそろ梅雨になりそうだし、気温も上がってきているし、使い始めたっていいんじゃないかな、今も。

今日は天気が悪くて気温もそれほどではないのでそのまま普通に過ごしたけれど、そろそろ「天気が悪くて暑くじめじめして過ごしにくい」みたいな日が来ると思うので、そういう時は遠慮なく冷房にしてしまいたい。

 

なんだか強いお酒を飲んだみたい


頭が痛い。意味わからないくらい頭が痛い。
普段よく平日とかになるやつの強化版という感じで頭が痛い。びっくりするくらい痛い。なんだこれ。

昨日お酒をたくさん飲んだので二日酔いなんだろうか。確かに飲むには飲んだけれど、言うほど飲んだかな……という感じがしてならないのだけれど、まあなんか家でワインを少し飲んだ後にバーみたいなところに行って2,3杯くらいお酒を飲んだのは事実だ。事実だけれど、別に帰るときとかに足元がおかしくなったりもしていないし自分的にはまだまだ大丈夫判定だった。
でもまあ夜中3時くらいにめちゃくちゃにお腹が痛くなってトイレに籠ったりしたので身体的に何かあったのはそうなんだろう。ちなみにその時は別に頭は痛くなかった。お腹が痛くてトイレとベッドを3往復しただけのことだ。それはそれで辛かったけれど、別になんか牡蠣に当たった時のようなこの世の終わりのようなあれではなかったので大丈夫だったはずだ。

朝起きた時、部屋がめちゃくちゃに暑かったけれど、エアコンをつけるとかよりも前に二度寝したけれど、あれが行けなかったいう説もある。あるけれど、そんなことで頭が痛くなるものか? 寒くて頭が痛くなるパターンはあるけれど、暑くてもなるんだっけ? 熱中症的な? 熱中症だったらやばいかなと思って水分はとってみたけれど別にそれでよくなることもなくただただトイレに行きたくなるだけだったのでもうよくわからない。
よくわからないなりに普通に午前中を過ごして、天気がいいのでたくさん洗濯をしたりした。まあ普通だ、普通に過ごせた。

それがどうだ、お昼ご飯を食べたら頭痛がひどくなったじゃないか。なんなんだろう。ちょっと昼寝をしたら治ったように錯覚したけれど、起き上がったらそんなこともなかった。どういうこっちゃ。
とりあえずまたゴロゴロだらだら過ごしているけれど、食欲とかは割と普通にあって変な感じなんだよな。まあ頭痛のせいで気持ち悪くなりつつもあるので何とも言えないところだけれど、とにかく今はいつもの頭痛の強化版に襲われているところ。
薬も飲んだ。何とかこれで収まらないかな。

この後17時とかに出かける予定があって、そこまでに何とかマシになればいいんだけれど、ダメなら家で寝てようかなと思うくらいだ。なかなかの状態である。ちょっとくらいの頭痛ならそのうち大丈夫になるし薬でも飲めば割と平気なんだけれど、今まだ全然平気じゃない。ついでにまたお腹もゆるくなってきた。厳しいね、厳しいなあ。

この頭痛には波があって、寝っ転がりたくなるほどの厳しい頭痛の時もあれば、起き上がってこうして何とかPCに迎えているようなときもある。波が波がでかい。後なんか寝っ転がると良くなる気がするのに起き上がるときが一番痛いというアレ。これがきついね。きつい。なんだろう、座って寝るのがいいのかな。
座っていると最初は結構辛いけれど一瞬マシになる瞬間が来る。で、また寝転がりたくなる。起きると痛い。繰り返し。ぐっすり寝て明日に全振りしたほうがいいのか? まあゆっくりしとこう、とりあえず2時間くらい。そうして家から出られる感じじゃなかったらおとなしく安静にしておこう。
無理してもっと体調崩しても仕方がないし。
幸いこの後の用事というのは私一人の用事だから、あんまり人の迷惑にもならないし。ね。

 

お酒飲んでいるときは結構大丈夫だけれど、翌日大抵ダメなんだよな、困ったもんだ。コントロールが難しい。

あ、でもこれ、お酒が原因じゃなかったらどうしよう。頭の痛み方、普段よくある頭痛と似てるんだよな。右か左に偏っていたくなるやつ。

今日は左。あでも、みぎも重いか? よくわからない。頭を振って確認とかかしたくない。耳が詰まっているような感じがして気持ちが悪い。ダメダメ、PCから離れよう。

 

ビワ


私は果物のビワが好きだ。好きなのだけれど、ビワという果物はどうも値が張るものである。
昔はいろんな家の庭で適当に育てたりしていてそれを勝手にもぎって食べた……なんてエピソードを聞いたことがあるが、今どきそういうこともないし、私の子供時代だってそういうことはなかった。確かにビワの木というのはたまに生えている家があったりはするのを見たことがあるが、キンモクセイとかと同じで「ここにはビワが生えてるんだな~」みたいな感想になる程度である。
しかしまあ実のつく季節になるとなんとなく目がそちらに行くのはそうである。食べてみたいな、という気持ちもある。でもそれはどちらかというと好奇心的な意味が強くて、美味しそうだなという気持ちの前に一体どんな味がするんだろうという、そんな気持ちのほうが強い。どうなんだろうな、庭木のビワってのは。あんまりちゃんと収穫しているのを見ないだけに、美味しくないんだろうか?

これはもう個人的な体験ではあるが、家の庭で取れる果実というのはかなり美味しさにムラがあると感じている。
さいころから良くしてくれていた近所のおばさんがくれる夏みかんは結構立派だし美味しくて好きだった。家ではなくて伊豆の別荘で育てているという夏みかんだったので、もしかすると何かしらのプロがかかわっている可能性はあるが、とにかくジューシーでのどが渇いている時なんかに最高だった記憶がある。
あとは小学校の校庭の端に生えていたキンカン。あれはとても美味しかった。授業の一環でみんなでもいで食べる機会があったが、なかなか美味しかった。実に対して種や皮が多くて可食部は少なかったが、楽しいおやつになった。

でもまあ美味しかった記憶というのはそれくらいのもので、それ以外に近所で貰って来たみかんとか柿とかはなかなかこう食べ進めるのが大変な味がしたりしたものだ。
そういう経験があるからこそ、公園などで成っていたキウイみたいな実とか、カリンみたいな実とかは怖くて手を出せなかったし、それこそビワの実だって目線は行くがが手を伸ばそうと思ったことがない理由かもしれない。まあ単純に盗みを働きたくないという話ももちろんあるけれど、正当に貰ったとしても美味しいかわからないというのは怖いものだ。小学校の校庭の端っこに成っているキンカンなんてみんなが手を出していてもおかしくないはずなのに誰も手を出していなかったのは、もちろん見られたら怒られるという怖さもあるだろうけれど、そもそも美味しいものなのだろうかという疑問をみんなが持っていたんじゃないだろうか、とも大人になってから思うわけである。


話が大きく脱線したが、主題はビワである。

ビワというのは買うと高い果物である。今ちょうど季節になりつつあるけれど、スーパーで6個500円台とかなのでまだなんだか高い気がしてしまう。とはいえ、安くなってきても400円台くらいのイメージなので、そう安価な果物ではないことは明白だ。
値が張る原因というのはいろいろあるようだけれど、一言で言ってしまえば育てて出荷するのにかなり手がかかるからということのようである。そもそも木を植えて実がなるまで7,8年かかるものであり、そうやすやすと育てられないものであるという。また、実を一度収穫すると追熟するということがない果物なので、保存が効かないというのも厄介らしい。
それくらい繊細なので、値が張るとか以前に全く収穫できない大不作の年というのも定期的にやってくる。昨年ふるさと納税で長崎のびわを頼んだのだけれど、途中で「不作になったので別の返礼品に変えてください」という連絡が来たほどだ。結局長崎では別のものを頼み、びわは別の産地(香川)のものを頼んだりしたが、そちらは味がイマイチだった。昨年はおそらく不作の年だった、ということになるだろう。なかなか難しい果物のようだ。
昨年そんな具合だったこともあり今年はふるさと納税でビワは頼んでいないのだけれど、今年はどうやら不作ではなかったようでスーパーでもちらほらとビワの姿を見かけるようになってきた。とは言っても500円台か……と思っていたのだが、ある時不意に目に入ったビワが見切り品ではあるが6個で298円ということで思わず購入してしまった。別に見た目的にどこか傷んでいるということもなくて、普通の状態に見えた。早速それを家に帰って冷蔵庫で冷やして夜に食べたわけだが、美味しくて結局一気に6個食べきってしまった。見切り品なのですぐに食べた方がいいだろうとかなんとか言い聞かせながら食べた。とても美味しかった。やっぱりビワは好きである。もうちょっと求めやすい価格ならなとは思うが、まあこれくらい美味しいならたまに500円くらい出してビワを食べてもいいんじゃないかなという気持ちにもなるものである。とりあえず今はまだ流通量が少ないのかあんまりスーパーなどの店頭に並ばないので、最盛期を待ちたいところである。